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お店を閉めたのは営業時間が過ぎてそろそろ1時間になろうとしてた午後7時ちょっと前。
お店の外に出て驚いたよ。涼しいからだ。 本当に涼しい! 秋だよ!秋! やった〜! 秋が来たね〜!
最後のお客さんたちは陶芸作家でもある常連さんたち。ぼくも気が緩んで思ってることをそのまま言ってしまう。もっと気を遣うべきなんだろうけど、気の置けない人たちだからね、甘えだね。気をつけます。
何を話したかというと、こんなことなんだ。
昨日と一昨日、ほんとなら瀬戸物祭りだったけれど、コロナ禍で瀬戸物大廉売市は中止になった。だから土曜日の夜の花火もなかったし、例年のような20万人の人出もなかった。そのことで、ぼくの友人が「瀬戸物祭りなくて、花火もなくて寂しかったでしょ?」ってメッセージして来てくれた。
ところがぼくはどう答えたかというと、「ううん。全然寂しくなんてないよ」だった。
コロナ禍の一連の生活の変化で大変な不自由や不安や苦痛を受けている人はいるし、ぼくだってそれなりの経営的打撃を受けたのだけど、『ぼくに限って言えば』コロナ禍による生活の変化は悪いことばかりじゃない 。むしろ『ぼくにとっては』都合のいいこともいくつかあるのだ。
いろんな儀式が苦手なぼくにとってはそうしたものが催されなくなったとか、規模を縮小してやっても当たり前になったというのがまずよかった。本当に助かった。
それにもともと人がたくさん集まるようなところに行きたくないから、そういうのが無いのもぼくにとってはあまり関係なかった。
コロナ禍が収束した後もできれば現状のまま継続して欲しいことだってある。不要不急の儀式的なこと、会議的なこと、集会的なことは やらなくったって回っていくことがわかったわけだからね。
来年、瀬戸物祭りが開催されたとしたら、その時はひょっとしたら久しぶり感があるのかもしれないけれど、もしかしたら、中止したこと自体を忘れかけてるのかもしれない。「あ〜、そう言えば、去年は中止だったか」みたいにね。
話を戻そう。
「ううん。全然寂しくなんて無いよ」ってぼくは答えた。
それは、瀬戸物祭りがあろうとなかろうと、来てくれるお客さんがいるからね。ありがたいこと。だから寂しくなんて無いよ。
それに何でもかんでも盛り上げようっていう気にはぼくはなれないってことかな。
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