2024年6月30日日曜日

【20240630:日】+++2024年の6月が終わる+++

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2024年も半分終わった。

6月も駆け足で去っていった。

今月は高校時代の旧友と40年ぶりに再会したり、半年ぶりに映画会を行ったり、久しぶりに新品のカメラも購入したのだった。

そして2009年と2011年に放送されたテレビドラマ『仁』を配信で一気観して大泣きもした。


大沢たかおははまり役だし、内野聖陽演ずる龍馬もぼくにとってはこれまでの龍馬の中で一番よかった。綾瀬はるかも初々しくて、彼女に対するぼくのイメージも随分と変化した。

江戸時代末期に青年医師がタイムスリップして、ペニシリンを製造したり、点滴や輸血、開腹開頭手術したりと荒唐無稽ながら、幕末の偉人たちも巻き込むストーリー展開に夢中になり、幾日か寝不足の日々を過ごすこととなった。このドラマは名作だと思う。ぼくの知らない世界は無限に拡がってるのだった。

 


2024年6月25日火曜日

【20240624:火】+++半年ぶりのVOUSHO映画会+++

 




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VOUSHO映画会、なんと半年ぶりだった。

そして今年初。

昨年の12月以来とは!

午後7時から始めたけど、この時期はまだ明るくて、天窓からの光で不思議な雰囲気だった。


毎回見終わった後のトークがぼくは楽しい。

様々な切り口の感想と意見。

おのずと理解が深まる。

実は次回の映画はすでに決まっている。

ぼくが個人的に注目してる日本の監督の映画。

また半年過ぎてしまわないようにしなきゃね。








2024年6月17日月曜日

【20240617:月】+++人身事故のニュースに思う違和感+++

 


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鉄道の人身事故のニュースを聞くたびに或る違和感をぼくは覚える。

例えば「上り中央線は○○駅での人身事故のため30分から1時間の遅れが出ている模様・・・」のように淡々と列車の遅延状況が伝えられる。

そこには年齢、性別、一切の情報がない場合もある。

死傷者の詳細がすぐには特定できないだろうから人身事故とそれに起因する列車遅延の発生しか伝えられないのは理解できるのだけれど、ぼくの違和感の元は人の死より列車遅延の方が重要に聞こえてしまうことだ。

その遅延に遭遇した人の中には自分の予定が変更を余儀なくされたことに舌打ちして迷惑がる人もいるかもしれない。

鉄道自殺は多くの人に迷惑をかけるというのはその通りかもしれないけれど、それでも飛び込まざるを得ない状況に彼や彼女は追い込まれていたわけで、ぼくは気の毒でならない。

(鉄道の)人身事故という言葉を聞くたびにどんな人がどんな思いで飛び込んだんだろうと思わざるを得ない。


この国は自殺大国だ。

単純化して言わせてもらえば、社会を覆う非寛容さと自己責任論が人々を分断し孤立化させ、ひいては自死を選択させているのではないだろうか。

何の解決にもならないのは承知だけれど、せめて「亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします」とニュースの最後に付け加えたりはできないものかと思うのだ。

自殺者のでない、寛容な懐の深い社会にしたいものだよね。

2024年6月16日日曜日

【20240616:日】+++Thanks for a shopping bag+++

 

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ぼくの英語力は元々大したことはないのだけど、最近は本当にボロボロで単語もセンテンスもちっとも出てこない。

終わってる。

インバウンドなんてぼくのお店には関係ない別世界の話だけど、それでも外国のお客さんが時々来てくれて、ありがたいことにリピーターも少ないながらいてくれたりする。

大抵は旅行者ではなく、陶芸家だったり、仕事で日本に来てる人だったりだ。

エストニア、フランス、アメリカ。。。

そんな中、昨年から時々来店してくれていたウクライナ出身のアメリカ人女性イリーナさんが、1ヶ月の陶芸のための滞在を終えて帰国すると告げに来店してくれた。

昨年は2ヶ月間で、もうこれで来ることはないようだ。

先週来てくれた時はぼくの好きなウクライナの民族音楽グループDakhaBrakha(ダッカブラッカ)の曲をかけたら、彼女はダッカブラッカのアメリカツアーを4回くらい聴きに行ったほどのファンだと知ったばかりだった。

まぁそういうことをぼくのポンコツ英語でやりとりするわけだけど、聞く方はともかく話す方は単語が出てこなくてほんとに情けない。日本語でもそうだから仕方ないけど。


そしてイリーナさんはぼくに彼女がデザインしたショッピングバッグをプレゼントしてくれた。

ぼくは何もしてないのに、ありがたいことだった。

ショッピングバッグに彼女のサインを書いてもらった。

彼女はユーリ・ノルシュタインも好きで、彼の描くハリネズミを自分のハンドルネームにしたとのこと。

ezhclayのezhがロシア語でハリネズミのことらしい。

ぼくは彼女の写真をインスタント写真で1枚撮らせてもらった。

ほんの心ばかりのお礼しかできなくて申し訳なかった。

ぼくは彼女のバッグをエコバッグとしてこれからいつも買い物の時に使わせてもらうことにした。

もうこれで会えないと思うと寂しいけれど彼女の活躍はInstagramでこれからも見させてもらうね。




2024年6月15日土曜日

【20240615:土】+++痛いところのない幸せ+++

 


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久しぶりに友人のZさんが来店。

汗かいてたから自転車で。

片道12kmだという。

Zさんは変わらず元気でいるのかと思っていたら、この1ヶ月間左の膝間接が腫れて痛くて外出もできずにいた様子。

彼はぼくもどこか痛かったりするのか訊いてくれたのだけど、幸い痛いところはどこもなくてありがたいことだ。

35歳の時に患った腰椎椎間板ヘルニアの影響で足の指先が痺れてることはあるけどね。

まぁそれがぼくのデフォルトになっているので、気にしなければ気にならない。

痺れが酷い時くらいしか意識しない。

痛みは意欲を削ぐ。

だから痛みは極力遠ざけたいものだとZさんと話していて改めて思った。

ぼくは最近自転車にも乗ってないし、季節が梅雨間近で汗ばむからなおさら乗りたくない。

でもZさんのいう河川敷を一緒に走ってみたいとは思ってる。

早く彼の痛みが去って、楽しい自転車生活がZさんに戻りますように!


2024年6月11日火曜日

【20240611:火】+++高校時代の旧友と再会+++

 


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背の高い痩せ気味の男性が入ってきたとき、ぼくにはそれが誰だか全くわからなかった。

その男性は扉の前に立ったままずっとぼくの方を見ていた。まるで『俺がわかるか?』と言いたげな表情で。

ぼくは知り合いの人かもしれないと、彼の顔とぼくの記憶の中の人物とを頭の中で照合し始めた。しかし、全く該当する人物が浮かび上がらなかった。

それほど彼はスマートになり、目つきや顔つきも変化していた。


30年ぶり、いやそれ以上だ。40年ぶり以上かもしれない。

ぼくの記憶の中の彼は仕事柄目つきがとても鋭く厳しかった。

学生時代の彼はどちらかといえばお喋りでユーモアもあり明るいタイプで冗談を言い合える間柄だった。ぼくの部屋に夜中まで居たり、逆に彼の部屋に泊まったことも何度もあった。これからどう生きたいか朝まで語りあったこともあった。一緒に旅したこともあった。

ところが彼が就職して一年ほど経った時、居酒屋であった時の彼の目つきはとても鋭いものに変わっていた。世の中全て犯罪者ばかりと言わんばかりの目つきだとぼくはその時思った。今思えば、その頃から彼とは住む世界が違ってしまった感じがして、徐々に彼との距離が遠のいていった感じだった。

以前、他の知人から聞いたところによると、彼は随分とその世界で出世したあと、定年退職し、瀬戸川沿いの遊歩道をよくウォーキングしてる姿をみると聞いていた。

でも、きっと今でも目つきの鋭いままの彼だろうとぼくは勝手に想像していた。


彼が名乗ってもぼくは40年前の彼と脳内でしばらく同期できないままでいた。

メガネの下の彼の目を見つめるうちに、まるでボケていたピントがぴたりと合っていくように、彼の面影が昔の彼と一致した。

『目が昔のままだ!』とぼくは彼に言った。


彼の目つきはもう厳しくも鋭くもなく、柔和なものになっていた。それは高校生の頃の彼を見るようだった。

そしてその後彼と近況報告も含めあれこれ語った。他にもお客さんが居たけれど、ぼくは彼の隣に座って自分の話をし、彼の話を聞き続けた。どれだけ話してもどれだけ聞いてもネタは尽きないように思われた。

また別のお客さんが来店したのをきっかけに彼が帰るために立ち上がるまで僕らの話は続いた。


ぼくは改めて、VOUSHOをはじめたからこそこうして彼との再会が実現したんだと思った。

本当に会えてよかった!

彼はぼくが生きてるうちに再会したい一人だったからだ。

そう思うなんて、ぼくの人生も本当に終盤のロスタイムになってるってことなんだろうね。

再会できて本当によかった。

来てくれた彼に対してと、この再会に至った偶然の重なりにありがとう!


*彼と並んで自撮りした写真が上手く撮れてなかった。その時居らしたお客さんに頼んで撮って貰えばよかったなぁ〜。柄になくちょっと遠慮しちゃった。

今日の写真は昨日の朝焙煎した直後の店内。煙が天窓の光に反射して光の束ができていつ見ても綺麗なんだよね。

2024年6月10日月曜日

【20240610:月】+++ぼくが選んだカメラ+++




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久しぶりに新品のカメラを買った。

ここ一年くらいずっと迷っていた。決めかねていた。

今のぼくの撮りたいものにもっとも適したカメラは何なのかと。


ランニングコストは無視できない。

今はモノクロフィルム自家現像に割く時間も見当たらない。

貧乏性なぼくは、高級な中古フィルムカメラを購入したら、それを使い倒すのではなく大切に保管しておくことになってしまうだろう。それでは意味がない。


デジタル一眼カメラももちろんいいけれど、あまりに綺麗に撮れすぎて今のぼくの好みに合致しない。

ある意味、iPhoneで十分事足りしてまう。


本当はポラロイド写真が好きだけど一枚あたり500円のランニングコストは趣味で撮るにはありえないレベルの金額だ。

そこで検討してたのがチェキだった。

ポロライドと同種のインスタント写真で1枚あたり100〜130円くらいのコスト。

スクエアーが登場してそれを第一候補にしていたが、フィルム代が150円くらいとさらに割高になることと、この先スクエアーフィルムが安定供給されるか不安もあった。

またアナログのチェキカメラだと以前のブログでも記したように失敗する写真が毎回必ず出る。これはぼくが使いこなせていないためではあるけれど、これ以上のランニングコストをかけることはぼくには無理なので、失敗しないチェキでないといけない。

これが結論だった。

失敗しないチェキ。


因みにポロライドのSX-70シリーズはゾーンフォーカスではなくファインダーでピント合わせができたので失敗写真が少なかった。

こうして購入することに決めたのがアナログとデジタルのハイブリッドのチェキカメラだった。


INSTAX  mini Evo

内臓充電池のため、いずれは充電能力が落ちてダメになるのがネック。

デジタル処理でフィルターとか組み合わせ的には100種類使用できるけど、ぼくには不必要な機能と良いことばかりではない。

それでもチェキフィルムをプリントアウトするときにフィルムカメラのように、巻き上げレバーを巻くとフィルムが出てくるギミックはとても好き。


また、iPhoneとBluetoothでペアリングしておくとiPhoneで撮った写真をチェキでプリントアウトもできるのもいい。microSDも使えるのでチェキで撮った画像データも保存できるし、チェキ専用アプリを使っての保存もできる。

マクロ機能もあるので液晶パネルでピントを確認しながら撮れるので寄っての写真も失敗もない。

友人を撮った写真(先日のOくんとチェロの写真が一枚目だった)を目の前でプリントアウトしプレゼントできるのは、ポラロイドと同様のちょっとしたパフォーマンスでもあり、徐々に浮かび上がる写真を一緒に眺めるのも楽しい。

そんなカメラを今使い始めたよ。



2024年6月8日土曜日

【20240608:土】+++人性初チェロ+++

 



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楽器音痴というか楽器をほとんど弾けない、吹けないぼくだから尚更感動しちゃった。

それは岐阜のOくんがチェロを持って来店してくれて、生でチェロの音を間近で聴くことができた上に、弦で弾かせてもらったからだ。

ぼくの人生で初チェロ!

あの低音がぼくのお腹にまでズーンと響いてきて、こんな経験はなかなかできないだろうから、とにかく興奮しちゃった!

Oくん、このためにコスチュームまで音楽家風にきめていたんだなぁ。

ありがとう!

チェキで撮った写真を岡田くんに。


2024年6月7日金曜日

【20240607:金】+++歯医者のあとの寄り道+++



 

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神経抜いてある歯の被せ物の下が虫歯になってると先週の定期検診で院長さんに言われた。虫歯治療はもう何年もやってなかったな。もちろんこの治療は一度で終わるわけはなく数回続く。やれやれだ。

麻酔がまだ効いてるけど、久しぶりにぼくのお気に入りのカフェに遠回りの寄り道をすることにした。

店主さんがモーニングセットを持ってきてくれて、池の改修工事がほぼ終わったこと、そして新しい道路工事はまだ2年続くことを教えてくれた。

前回来た時は、池の水は抜かれ、改修工事真っ只中だったからね。それと比べたら今日は別世界。池の水面を撫でて吹いてくる風がとても気持ちいい。

「池に水が入って、なんだかホッとしますね」とぼくが言うと、「そうですね」と彼は池を眺めながらニコッと微笑んでそうつぶやいた。

いい笑顔だなぁとぼくは思った。

店主の笑顔もここの魅力の一つ、とぼくは思ってるよ。



2024年6月6日木曜日

【20240606:木】+++++人の交わりにも季節あり+

 


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今日のタイトルは南方熊楠のことばだ。

孫文と熊楠はロンドン時代に交流を深めたものの、後に自然と疎遠になったと言う。

家族ぐるみの付き合いもしていたみたいだけどね。

そこで熊楠が残したことばが今日のタイトルの『人の交わりにも季節あり』なのだ。


ぼくは熊楠のこの言葉にとても納得した。

自分の限られた経験からしてもまさにそうだ。

一時期あつく交わったと思ったら、知らぬ間に季節が移り変わったように疎遠になった人がどれほどいることか。


自然と疎遠になっていくのが人付き合いのデフォルトであって、消えそうで消えずに細々と続いていくことの方が珍しいことなのかもしれない。

季節の変化とともに疎遠にならないためには、少なくとも一方の人が強い意志を持ち、マメにアクションを起こすしかない。世の中そんな人ばかりでなく、ぼくのようにズボラで気分がムラな人の方が多いから大半が疎遠になるんだと勝手に決め込んでいる。

だから仕方ないのだ。

誰のせいでもないのだ。

成り行きに任せるしかないのだ。


そう考えると、「ま、いいか」と思える。

『人の交わりにも季節あり』

ぼくの座右の銘の一つにしよっと。


〈追記〉

季節の移り変わりを乗り越え続いていく交わりの一つの目安があるのかもしれない。ぼくの限られた経験から言わせてもらうと、10年と言う年月かなと。10年を超えてなお細々とではあれ、付き合いが継続していたら、その後も続いていく可能性が高いのではと。ふとそんなことを思ったので。