2024年1月26日金曜日

【20240126:金】+++照明のこととか+++

 


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相変わらず定休日の三日間は矢のように過ぎてる。

そのほとんどが実家と物置の整理がらみのことで費やされてる。

例えば買い物なんかも含めてね。

少しずつ改善はされてるはず。

継続は力なり。。。まさに。


ところで

気づいてる人はいないと思うけれど、お店の照明の照度をより明るいものにこれもすこしずつ交換してるんだ。

ぼく自身、暗い照明の下で文字を見るのがしんどいってのが最大の理由なんだけどね。

お客さんにも不自由かけてきただろうね。

LEDで20Wのを40W相当に・・・くらいのことなんだけど。

それでも少しは文字が見やすくなったと思う。


照明ってとても大切。

言うまでもないことだけど、文字を読むためだけではなく、部屋の雰囲気も随分照明によって変わるからね。

リラックスしたい時の電球色。

作業するときの昼光色で100W・・・とかね。

電球色と昼白色と昼光色の違いをしっておくといいよ。

この順で(右にいくほど)色温度が高くなるね。



2024年1月21日日曜日

【20240121:日】+++断捨離でいただきもの+++

 


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これはVOUSHOさんならきっと欲しがる。

そう思ったそうで、わざわざ名古屋から来店してくれたY子さん。

もちろん、頂いたものも気に入ってるけれど、それ以上にその気持ちが嬉しかった。

全部きれいに拭いてさっぱりさせた。

それでも経年変化の良い味が出ていて、大切に使わせていただこうと思った。

ありがとう!


古い木箱

サクラのカラーフィルムケース。

1953年が使用期限になっているフィルムの紙袋2種。




2024年1月19日金曜日

【20240117-19:水-金】+++定休日3日間はプチ大工仕事等ですっ飛んだよ+++



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実家の整理は続いてる。

18日木曜日はまたテレビボードや食卓テーブル、パソコン机、天井照明器具等を軽トラに載せ処理センターへ。

90kgだったので、1,800円の処理代となった。(50kgまで1,000円でそのあと10kgごと200円加算されていくシステム)


実家は壁土がもろくなってるところもあるので、胴縁を打ってからベニヤを貼った。また通販サイトで購入したテレビボードを組み立てるのも予想外に大変で、3時間半から4時間かかった。

今まで使っていたテレビボードは大きくて重かった。

一人で家の外に出すのも一苦労した。

次はタンスや食器棚の整理・廃棄、古くて使わない布団の廃棄もね。

天井照明はすべてLEDのものと交換したので、もう蛍光灯を交換したり、蛍光灯を買いにいく必要もなくなった。

少しづつだけど着実に空間が整理され広くなり、明るくなってきた。

年老いた母は複数のリモコンを使いこなせないので、キッチンとテレビのある部屋はLED照明をつけっぱなしにすることにしてリモコンは片付けた。(必要に応じてぼくが操作することに)

そんなこんなで定休日は一瞬で過ぎ去っているよ。(もちろん、焙煎等お店の準備も並行してやりながらね。)











2024年1月12日金曜日

【20240112:金】+++片付けの間隙を縫って+++

 

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午前中相変わらず実家と物置の片付け作業を継続。

そしてその間隙を縫うように銭亀さんと猫ヶ洞のドライカレー屋さんに行ってきた。

ちょうど個展の最中だったし、ぼくもVOUSHOの2月の個展DMを持参して杉本さんに。

ごぼうのドライカレーを食べてから、すぐ近くにある喫茶店で珈琲も。

銭亀さんと年末年始のことやら、オーディオのこと等短い時間だったけれどたくさん話した。

その後もちろんまた片付け作業を。

遅々として進まないように思えるけれど、そんなことはなくて、年末の頃と思えば随分スッキリしてきた。

本当に続けることが大切。

継続は力なりだね。

片付けはまだまだ続くよ、どこまでも。。。

2024年1月9日火曜日

【20240109:火】+++偉いなぁとぼくは誇りに思ってる +++

 


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親類のことを書くのは初めてかもしれない。

ぼくより一回りくらい歳下のいとこがいるのだけど、彼はずっと反ヘイトスピーチ等マイノリティー差別反対の運動を続けている。

彼は集会やデモ行進に参加するだけではなく彼自身が読書会や講演会を主催もしている。

彼の生活の中で仕事の次くらいに大きな位置を占めているのだろうと想像する。

月に一度くらいコーヒー豆を買いに来てくれるが、いつも話せるとは限らない。

ぼくは彼と政治的なことを話せるのがうれしいし、おそらく世の中の見方も概ね同じようなものではないかと思う。

昨日彼が自分たちの運動は『ゆるやかな結びつき』と言っていた。

ぼくはそれはとても重要なポイントだし、そうでなければ続かないと思った。

どのようにして、あるいは何がきっかけで、彼が今のような反ヘイトに根ざした思考・行動をするに至ったか、そのことをいつかじっくり訊いてみたいと思ってる。

ほんとうに偉い人だ。そんないとこがいることが誇らしいよ。

*写真は彼が昨日持ってきた彼主催のイベントちらし。


2024年1月6日土曜日

【20240106:土】+++2024年の営業開始、そして元旦からずっと考えてること+++

 


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2024年の営業スタート。

今日は予想外にお客さんが来てくれて、かと言って、てんてこ舞いになるほどではなくてありがたいことだった。

それに画家のKさんが桑名から来店してくれて、あれこれ話せたのもよかった。

ところで、元旦の能登半島地震以来ずっと頭から離れなくて考え続けていることがある。

それは一日のブログにも記したように、NHKのアナウンサーが津波の到来を伝えるために絶叫調で放送していたことだ。

あのあと、Twitterで散見したのは、2011年の東日本大震災時にもっとアナウンサーが必死で伝えるべきだったという批判が少なからずNHKに寄せられていたことと、今回その批判・教訓がやっと活かされたと言うツイートだった。

また知人からもメールがあり、NHKニュースが緊迫感ないと田舎はまず避難したり逃げたりしないと言う事情を説明してくれた。

ぼくは何に引っかかっているのかその後も気になって、実家の片付け作業しながらもついつい考えてしまっていた。


結論から言うと、災害が起こったときに冷静に報道するのでなく、緊張感を出すために絶叫調で報道する、あるいは報道するべきだ・・・と言うのにぼくは同意できないし、同意しない。

もっと絶叫して伝えてくれたら災害に巻き込まれなくて済んだのに・・・と報道側にその責任を負わせるのだろうか?

情報を得て、どう判断するか、それは個人の責任で行うものだとぼくは思う。

その判断を行うための情報を隠蔽したり、誤情報を伝達した時とはわけが違うとぼくは思う。


ふとぼくは高校教諭時代、生徒指導部の一員として自転車通学生徒のノーヘル指導をさせられた時のことを思い出した。法律で自転車乗車時ヘルメット着用が努力目標にすらなっていない頃のことだ。校則によりヘルメット着用を義務化し、着用していない生徒を見つけては、生徒手帳を取り上げペナルティーを課すと言うものだった。

学校近くでヘルメットをかぶる生徒がまだ大丈夫だろうと思う辺りにぼくら生徒指導部担当教諭は隠れ、ノーヘル生徒を現行犯摘発するのだ。なんでこんな馬鹿馬鹿しい取り締まりを勤務時間前の早朝からしないといけないのか納得いかず、先輩教諭にたづねたりもした。

その時、先輩教諭が言った言葉をぼくは今もはっきり覚えてる。

『自分のクラスの生徒が死んだら嫌だろう。』だった。

その当時、若造のぼくは咄嗟に反論できなかった。

今思うに、ヘルメット指導は学校という組織を守るためのアリバイみたいなものだったのだろう。

あご紐をしめてなくてもちょこんと被ってさえいたらよかったわけで、実際に事故にあったらそのようなヘルメット着用は無意味だろう。

ヘルメットをかぶっていても急なくだり坂を猛スピードでくだって信号機の無い交差点に突っ込んだら自殺行為以外のなにものでもない。ぼくら教員がやるべきことは、自転車通学に伴う危険性や危険行為を事あるごとに朝礼等で注意喚起することだと思う。耳にタコができるほど言うべきだったろう。100歩譲って、ヘルメットならどんなヘルメットでも可(自転車競技用の高価なものでも)というならともかく、当時そんな度量を学校は持ち合わせていなかったからね。


話を元に戻す。

繰り返すけれど、ぼくはやはりやり過ぎだと思う。

個人的には民放各局までが絶叫調にならないでほしい。NHKが絶叫調でいくなら民放ニュースをチェックするつもりだからだ。

そういうのってどんどんエスカレートしていく。

悪いことじゃないと言う意識も働くだろうしね。

そして批判されたくないし、組織を守らなければと言う気持ちもね。


これも関係ないことだけど、東日本大震災の時の『絆』ブームにも違和感があったことを思い出した。

なんだか非日常時になると全体がわ〜っと右へならえ〜!みたいになることが本当に恐ろしい。日常時にはとんでもない異常事態でも平然としているのにね。


2024年1月5日金曜日

【20240105:金】+++静かな年末年始を振り返る+++

 


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年末年始休業も今日で終わる。

既に昨日から明日からの開店準備を始めてる。


今回全く一人っきりの年末年始を過ごした。

この間、母はショートステイで居ないので、実家と物置の整理をすべく、実家に泊まり込みで作業を続けた。

だから正月もぼくには全く関係なかった。

一人で粛々と作業を進めた。


可燃ゴミは総数16袋(一袋45L)、不燃ゴミ2袋、粗大ゴミ40kg。

粗大ゴミは昨日処理センターへ軽トラで運んで処理してもらった。50kgまでだと1,000円で済む。


これで物置はすっかり綺麗になったかと言うと、全くそうではない。歩くスペースができた程度に過ぎない。

それでも実家は少しスッキリしたし、ちょっとした達成感もある。


この間、誰とも話すこともなく、食事の準備、調理、片付けから始まって、VOUSHOの外壁の防腐剤塗装等朝から深夜まで働き続けた。外食もしなかったなぁ。

健康であることが大前提ではあるけれど、寂しさを感じることもなかった。

逆に誰にも気を遣うことなく、自分のペースで黙々と作業できることが気持ちよくさえあった。


休憩はVOUSHOで音楽を聴きながら珈琲タイム。

ずっとKim Hiorthoyを聴き続けている。

切なさがいいのだ。


家族や親類、友人と賑やかに過ごす正月もきっと楽しいものなんだろうけど、一人ぼっちも悪く無い。悪いどころからとても良い。すごく気ままで自由なのだ。繰り返すけれど、健康であることが絶対条件ではあるけれどね。

そんなわけで今年のぼくの目標は、一人で過ごす時間を増やすことと、そのために健康を維持することとした。

今日も朝からクッキー焼いたり、お店の入り口まわりの杉板に防腐剤を塗装したり、忙しく働いている。

明日、久しぶりにお客さんと接して、久しぶりにナマの会話を交わすことになる。


それを楽しみにしてる。


2024年1月2日火曜日

【20240102:火】+++う〜ん、我ながらよく働いてるぞ+++




 

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元旦もずっと片付け作業継続中。

黙々とやっている。

時々独り言を言いながらね。


そして正月二日目の今日も作業三昧。

午前11時頃から午後2時までお店の杉板にエボニー色のキシラデコールを塗っていた。

養生をしっかりしてから塗装作業。

塗装の出来は養生にかかっていると言っても過言じゃない。

でも正直言ってぼくはこの養生が苦手で好きじゃないんだよなぁ。

とにかく苦手な養生をさっさと済ませて塗装開始。

キシラデコールの揮発性溶剤の臭いを2時間嗅いだので少し気持ち悪くなった。

午前中は曇っていたけれど終わった頃には快晴に。

しばらく脚立の一番上に腰掛け青空を眺めながら汗がひくのを待ってた。

コーヒータイム後は実家と物置の整理の続き。

可燃ゴミ40Lの袋が既に7〜8袋。

不燃ゴミも2袋満タン。

そして粗大ゴミが3つ。

さらに今日は一箇所、壁の板貼り作業まで行った。

でも午後4時には作業終了することに。

これが大切。

ついついやれるところまで・・・と頑張ると翌日に影響するからね。

余力があるところで止めるのがコツなんだとようやくわかる。


今のところ、この年末年始休みは予定通りきっちり作業を行っていて我ながらよくやるなぁと思ってる。

そろそろ片付け作業と並行してお店の準備もしていかないとね。





2024年1月1日月曜日

【20240101:月】+++元旦地震でスタートした+++

 


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2024年になった。

今年もよろしくお願いします。


新年早々能登半島方面での地震で驚ろいた。

緊急地震速報のけたたましい音がスマホから発していたので、ぼくはすぐにNHKのFMラジオをつけた。

そしたら、今度は女性アナウンサーの絶叫に近い声での地震速報が聞こえてきた。

おそらくまだ若いアナウンサーなんだと思う。

う〜ん、そこまで感情移入しなくていいから、とにかく必要な情報を落ち着いて伝えてほしい。

そう思った人は他にいないのだろうか?


ガラ携のワンセグでNHKのニュースを見たら、同じアナウンサーなのか、こちらでもテンション高く叫び声に近かった。

う〜ん、彼女の動揺と伝えなきゃという使命感が伝わってくる。それが逆に恐怖心を煽る。


能登方面の人たちが心配だ。


それと知り合いで新潟に帰省してる人のことも心配だ。


ぼくは東日本大震災の時、学校の会議室にある大型液晶テレビで津波の模様を他の同僚たちと食い入るように見ていた。船やタンクや車や諸々のモノが流されてきて、堤防を乗り越え、大きな倉庫をも流しさる様子を目の当たりにした。その時、なぜか涙が溢れて仕方なかった。

今日もそうだった。

地震速報を聴いてるだけで東日本大震災のあの光景が頭の中に蘇ったのか、またしても涙が流れ続けた。軽いPTSDみたいなモノなんだろうか。


とりあえず津波による人的被害は出なかったようなのでホッとした。

まさかの新年早々の、元旦地震だった。


災害はいつ起きてもおかしくない。

ぼくらはなんの前触れもなく突然事故や災害に遭遇するものなのだ。

何が起こっても不思議じゃない。

そんな世界にぼくら生きてるわけだし、そのことを改めて頭に刻んでおかないといけない。

明日の安心安全の保証なんてどこにもないのだ。


それとこれはぼくの個人的な意見だから聞き流してくれていいのだけど、

地震と津波速報にこのくらい危機感持って放送伝達するなら、この国の危機的な政治状況も同じような緊張感を持って必死に放送伝達してほしいと思うのだった。(ことわっておくが、民放各局のことは見てないので知らない)