2024年10月18日金曜日

【20241018:金】+++思い立って+++



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4ヶ月ごとの業者の浄化槽点検が終わったあと、母をショートステイに送り出し、その後母のクリニックで薬を処方してもらい処方箋薬局に寄り、軽トラの修理代を支払いに自動車工場に行ったりと午前中バタバタと過ぎていった。

ちょうど正午になった時、ふと思い立って岐阜県恵那市山岡に数ヶ月前にオープンしたばかりの本屋に行ってみることにした。

軽トラ修理後の中距離試運転も兼ねて。

両ドアの窓は全開にし、BGMはメイ・シモンズのプレイリストで。

風があって、曇天。

雨が降りそうで降らない、そんな感じの山並みをドライブ。

気持ちいい。

信号が少なく、ノンストップで距離がかせげる。

1時間ほどで目的地に到着した。

この本屋は正直ぼくのお店以上に場所がわかりにくいかもしれない。

明智鉄道の線路のすぐそばで、お店の庭の向こうを車両が運行していくのを2度見ることができた。

なんてイカしたロケーションなんだろうね。

平日の午後ということもあって、ぼく以外にお客はいなかったので、じっくりと本の品揃えを見ることができた。

新刊本以外に古本が少し置いてあった。

はじめは古本の一冊を購入するつもりだったけれど、結局新刊本とshunshunという作家のポストカードを購入した。

また支払いを終えた後、お店のそばを散策した。

フォトジェニックな場所だった。




帰り道はナビに頼らず、明智経由で戻ってきた。

明智を通るのは10数年ぶりだと思う。

それでも街並みの見覚えがあった。

3時間のショートトリップ、ショートドライブだったけれど、里山の秋を感じることができ、良い気分転換になったと思う。

そして軽トラも快調に走り続けてくれて安心したのだった。


2024年10月17日木曜日

【20241017:木】+++軽トラ復活+++

 


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軽トラを自動車修理工場に引き取りに行った。

なんと!ラジエターに穴は開いてなくて、ラジエターキャップのサーモスタットが破損してたとのことだった。

エンジンも大丈夫だというので、本当に良かった。

ラジエター交換だとかなり修理代がかかるだろうと覚悟してたから、それも予想したより少額でホッとした。

不幸中の幸アゲイン!


自動車修理工場からそのまま慣らし運転を兼ね、お店で使う食材等の買い出しに長久手の2店舗をはしご。そのついでに友人の銭亀さんに教えてもらった個展をみるために久しぶりにギャラリーIDFにも足をのばした。

最後はまた長久手のショッピングモールで買い物。

とりあえず軽トラは普通に乗れるので安心したのだった。

2024年10月16日水曜日

【20241016:水】+++代車に乗って+++


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代車でカフェ・レイドバックのモーニングに行った。

代車はスズキの白のワゴンR。

コラムトルコンも慣れると使い勝手がいいね。

先週の金曜日、ここでぼくの軽トラはラジエターから液漏れでレッカーだったからね。

その時、マスターから今日水曜日から金曜日までの3日間、開店12周年、移転後2周年記念でコーヒーチケットがいつもより安く購入できると教えてもらったのだった。

まだコーヒーチケットは使い切ってないのだけど、新たに購入した。

4個入りの卵もいただいた。

また友人をさそってここでモーニングしよう。

もちろんゴチしますよ。

曇天もいいもんだね。

2024年10月12日土曜日

【20241012:土】+++吉田ルイ子+++


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昨夜高橋源一郎の飛ぶ教室を聞いていて吉田ルイ子が5月に89歳で亡くなっていたのを知った。

ぼくの学生時代、フォトジャーナリストの草分けとしての吉田ルイ子の仕事にぼくは注目していた。著作はもちろんのこと、彼女が唯一監督した映画『ロングラン』も映画館に観に行った。その原作だった『ローラースケートでアメリカを横断した』もその当時のぼくのバイブルの一つとなったし、大学卒業後北米大陸一人旅を行う動機の一つともなったのだった。ローラースケートは無理だからせめて自転車でとロードバイクをアメリカ合州国に輪行したのもその影響の現れだった。

吉田ルイ子の著作『ハーレムの熱い日々』がぼくの人生に及ぼした影響は今振り返っても決して小さなものではなかったと言える。今のぼくがここで自家焙煎珈琲店を営んでいるのも、大げさではなく、彼女がぼくの内的世界に一石を投じたその余波によるものだ。

そんな彼女も故人となってしまった。

時の移ろいと人生の短さを思わざるをえない。 

人生は大いなる暇つぶしだとしたら、どうせなら死ぬまで暇を潰せる何かを持ち合わせたいものだ。

吉田ルイ子にありがとう! 

*VOUSHO店内に置いてある吉田ルイ子の本。なぜか2冊ずつあるものも。


 

 

2024年10月11日金曜日

【20241011:金】+++不幸中の幸+++



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お気に入りのカフェ・レイドバックの駐車場に軽トラを停めた時、すでにボンネットから湯気がたちのぼりプシュー、ジュワーっていう不気味な噴出音が車内にも響いてきていた。

5分ほど前からインパネの水温計の赤い警告ランプもつきっぱなしだ。

これは非常事態。やばい!


車から降りるとレイドバックのオーナーが「水が結構漏れてますよ!」と駐車場で声をかけてくれた。


ラジエターだよね。

フィンが劣化して穴があいたんだろうなぁ。

緑色の液体が右のフロントタイヤの下あたりにだだ漏れだった。

エンジンが焼き付いていないといいんだけど。


店内に入りぼくはとりあえず、モーニングサービスをいただくことにした。

まずは馴染みの自動車整備工場に状況を報告し車の修理受け入れの了解を得、その後自動車保険のロードサービスに連絡した。

こんな時は焦っても仕方ない。

段取りだけとって、あとはなるようにしかならないからね。


でも、良かったことは交通の妨げにならない駐車場に停めることができたこと。

それに店内で普通にモーニングしながら待てたこと。


お代わりのコーヒーを半分飲んだ頃、連絡入れてから1時間を過ぎたあたりでレッカー車が到着した。

運転してきた人が気さくな人でこれもとてもありがたかった。すぐに意気投合した。




ぼくが指定した自動車整備工場に軽トラを移送してもらい、そこで代車を借りてVOUSHOに戻った。

故障したことはついてなかったけれど、考えようによってはとてもラッキーだったし、スムースに事が運んだ。

これが住宅街の狭い道路だったり、交通量が多くて駐車しにくい道だったり、高速道路だったり、または人里離れた山中だったりしたらすごくストレスを感じたことだろう。

同じ1時間であってもレッカー車の待ち時間もずっと長く感じたことだろう。

そういう点を考えるとカフェのマスターをはじめ、ロードサービスの人も修理工場の人も関係した人たちが全て気さくな人たちでぼくはなんてついてるんだ!と思ったのだった。


絵に描いたようなぼくの「フコウチュウノサイワイ」ではなかったか。


あとは修理代だけだね〜。エンジンまで修理が及ばないことを願う。

ロードサービスの彼がラジエターに水を補給してくれたのでとりあえず自走できたから、それも良かったね。

2024年10月10日木曜日

【20241010:木】+++寄り道+++



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多治見までパフェ・モーニングへ。

期間限定パフェは秋色フルーツパフェだった。

今回については、柑橘系が好きなぼくには洋梨やマスカットでは少し物足りなかった。もちろん、美味しくいただいたのだけどね。

今日はエアコンをつけず軽トラの窓を開けて走った。

天気もよくて涼しくて気持ちよかったからだ。

青く高い空を眺めながら運転していて、ふと寄り道する気になった。

岩屋堂へ向かった。

無料駐車場に着いて車から降りると更にひんやりしていた。

ぼくは川べりに降り、水の音に耳をすまし、水の煌めきをしばらく腰をおろして眺めていた。

ぼく以外に誰もいない贅沢な時間だった。

その後瀬戸大滝まで歩いて行った。日陰の道はとても涼しかった。

久しぶりにこの小さな滝を見た。名称は瀬戸大滝だけど水量もおおくなく小さな滝だ。

ちびっ子の頃、滝浴びをし、滝の下にある岩を滑り台にして遊んだ思い出がある。

人の住む街の景観は時とともに移り変わってしまうけれど、自然の景色はほとんど変わらないから10代の頃の思い出の世界に一瞬にしてタイムスリップするみたいだ。 

懐かしいなぁ。



いい季節になったね。












2024年10月9日水曜日

【20241009:水】+++AGUちゃんと刈谷市美術館で遭遇!+++

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刈谷市美術館で開催中の宇野亜喜良展に行く。

直前に銭亀さんを誘ったら映画を観に行って不在だった。

そんな日もある。

ぼくが到着した時、館内はとても空いていた。

そのため落ち着いて見ることができた。

総計、二周り半くらい観た。

ビデオ上映も全て観た。

約2時間かかった。



この展覧会ではポスター等の原画を特にしっかり観るよう心がけた。

原画自体は想像したより小さいサイズだった。


観終わった後、特設のミュージアムショップで分厚い図録を購入した。値段は高かったけれど頑張った。

作品はイラストレーションだけでなく、立体から、舞台衣装、舞台小道具等々多岐にわたっていた。

(これは誰かわかるよね?よく似てる!)


宇野亜喜良も自分の『好き』をとことん追求し続けてきた人だと実感した。

実際の彼がどういった人だったのかわからないけれど、お金や名声を目的としたギラギラした人ではなくて、好きなものを純粋に追い求めるタイプの人じゃなかったのかなとぼくは勝手に想像した。

インタビューの映像でもちっとも偉ぶったところがなく、訊かれたことをしっかり考えて自分の言葉できちんと的確に説明しているのを見て、彼は誠実な人だなと思ったりもした。

できるなら、こんな90歳にぼくもなりたいものだ。(そんなに長生きできないけど)


そして、二周り目を終え、2階展示場から階段でホールに降りた時、「あ!VOUSHOさん!」と誰かに呼ばれた。

その声のする方に向くと、声の主は人形作家のAGUちゃんだった!

ぼくが美術館に到着した時より入館者がかなり増えていたからよく見つけてくれたものだ。

彼女曰く、独特の雰囲気を醸し出してるからすぐわかったとのこと。それは果たしてどんな雰囲気なんだろう。


「黒色すみれさんの(関わってる)ポスター観ましたか?」と訊かれ、ぼくは首をふった。全く気づいてなかったのでAGUちゃんとポスターが展示してある2階まで一緒に観に行くことになった。

全部は確認できなかったけれど3枚のポスターに黒色すみれの名が記されていた。

AGUちゃんはこの個展が東京で開催されてた時に2度観て、今回が3度目とのこと。学芸員によるギャラリー・トークが2時からあるのでそれを聴くのが目的のようだった。

さすがだ!!


しかし、AGUちゃんと偶然遭遇するのはこれが初めてではなくて、強い引きを感じたりしたのだった。(ま、ただの偶然なんだけどね〜。)




2024年10月7日月曜日

【20241007:月】+++営業前に欅舎の個展へ+++

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常滑在住の画家、岩崎里香さんの個展を見に長久手の飯島さんの欅舎へ。

里香さんは以前VOUSHOのグループ展『カフカ変身展』(2020年)に参加してもらった作家さんでもあった。

今日は里香さんの在廊日。

里香さんに作品の説明を受けながらゆっくり見ることができた。


 今回の個展では彼女が名古屋でイラストレーターとして仕事を始めた頃の作品から現在まで35年間を通じての作品が展示されるとのことだった。

ぼくは地方誌『手の仕事』に里香さんが携わっていた時の挿絵だったりイラストだったりがとてもいいなぁと思っていたので初期の作品を見るのが楽しみだった。

銅版画や木版画は里香さん曰く「この頃のは暗い作品ばかり」と言ってたけれど、不安と孤独が作品から感じられてぼくは好きだった。

 

若い頃の作品で技巧的にも拙いから恥ずかしいと彼女は言っていたけれど、ぼくに言わせて貰えるならば、それよりも見た者に何かを感じさせる「波動」のようなものが放射されてることの方が余程重要だと思うのだ。

これは他の職業にも言えることで、例えばぼくがなりわいとしていた教職でも、教育実習生の研究授業の方がベテラン教師の授業よりも生きた授業だったりすることもあるからだ。教授法なんかは経験を積む中でうまくなっていくものだが、それよりも何かを伝えたい、わかりやすく教えたいと言う若くて生きのいい熱意に溢れた授業の方が熟練の授業をしのぐことだってあるからだ。

 

また個展の話に戻るけれど、里香さんの駆け出しイラストレーターの頃の押しつぶされそうな不安と孤独はぼくが想像する以上だったと思うくらいストレートにその作品に現れていた。

35年経った今、肩の力が抜け自分の周りを静かに見つめる、そんな里香さんの眼差しのこもった風景画は、古くなって壊れていくものや忘れ去られていくものへの優しさと慈愛に溢れていると思うのだった。

「今は楽しく絵を描いています」と言う里香さんの言葉にこれまでの彼女の画業や人生の変遷の重みをぼくは感じざるをえなかった。

*岩崎里香個展は10月13日(日)までの土日月のみ。


2024年10月5日土曜日

【20241005:土】+++やっと秋だぁ+++

 


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昨日くらいからやっと秋!って実感できるようになってきた。

10月にしっかり入ってからだからな。半月以上ズレてしまってる。

年々気候はズレてズレて想定外の自然災害が発生するようになったよね。


とにかく最高気温ももう30℃を超えることはなさそう。

やっとぼくもお出かけする気になると言うもの。


夜も長くなってきた。

疲れ切ってさえなければ、机に向かえる季節。

あとは台風の被害が出ないことを願うのみ。


12月に企画してるグループ展がじわじわと近づいてきてる。

今夜は参加者に変更点等一斉連絡したところ。

作品の搬入は11月中旬。

あと1ヶ月半を切ってる。


そんなわけでぼくも日々プレッシャーを感じるようになった。

家電品の梱包材を着色してオブジェみたいにしようとしてる場合じゃないのに。。。

そんな秋の始まりってとこです。


2024年9月26日木曜日

【20240926:木】+++YOKOZCO展とアンティークショップ+++


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久しぶりにYOKOZCO展に足を運んだ。

進化し続けるYOKOZCO。

軸は変わらない相変わらずのYOKOZCOテイストだけど、絵も額も木彫も完成度がどんどん上がってる。そんな印象をぼくは持ってる。さらに、最近はやきものがとても味わい深い。

ぼくは取り立てて猫好きでも犬好きでもないけれど、彼女のやきもの作品の動物とおじさんたちとの触れ合ってる雰囲気のなんと愛情豊かなことか。

彼女の動物好きなことがぼくにだってビシバシ感じられるほどだ。

YOKOZCOはモコディーで初個展。

ほとんどの作品がsoldoutなのもすごい。

そしてぼくも実は初モコディーだったのだ

物販で置いてあるもののセレクトはもちろんのこと、お店の雰囲気もロケーションも全て洗練されていておしゃれだった。


その後、藤ケ丘へ向かいこれまた久しぶりにミュゲさんのお店のドアを開けた。

変わらないミュゲの世界観。

老眼のぼくには薄暗くて文字も小さいから値札に書いてある数字もはっきり見えない。

でもこれもミュゲさんの世界なんだよね。

帰り際に『VOUSHO Coffeeです』って名乗ったら、ぼくと認識してくれた。

何年ぶりかなぁ。

7〜8年は経ってるかも。

帽子にマスクにメガネで誰が誰だかわからないわなぁ。

ミュゲさんとお互いの近況報告が少しできてよかった。

2024年9月20日金曜日

【20240920:金】+++3つの空間へ+++

 

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残暑厳しいね。

今日は3つの空間を訪問した。

一つ目。

ランチを食べに久しぶりに那古野の近くの大島屋へ。

相席させてもらってランチを食した。

相変わらずのやさしい味。

ほっとする。

名駅に近いのに京都の町屋のような風情。

店主さんとも話せてよかった。

 

二つ目。

中村区にあるEUREKA Gallery&Cafeへ。

オーナーは写真家。

ここは元銭湯。

コンクリートがはつられて剥き出しだったり、銭湯時代のタイルをそのまま利用したりと空間作りのセンスも高い。

写真スタジオも兼ねた広大なスペース。

天井も高くとても気持ち良い空間。

全てがおしゃれ。

 

 

そしてこの空間に負けない作品を展示してるのが、イラストレーターで絵以外にも立体作品も作られる4coさん。

今日はその4coさんの作品を堪能させてもらった。

4coさんの作品はどれも丁寧な仕上がりで完成度の高さを感じた。

学ぶところが多かった。

4coさんの作品や店内をたくさん撮らせてもらった。


 

 

最後は中区錦2丁目のantique Salonへ。

企画展「本の標本、本のオブジェ」を見に行った。

自分の本が飾られてるのが不思議な気分。飾り方や飾る場が違うと本の雰囲気も変わるものだね。


店内どこを見ても重厚でカッコいい。

こうした独特の雰囲気のお店が名古屋にあることが本当に嬉しい。

また、ぼくが選んで展示してもらった本が他の参加者とかぶったことも嬉しかた。

 

 

今日はそれぞれ個性ある空間と作品を堪能でき大きな刺激をもらえたのだった。

2024年9月18日水曜日

【20240918:水】+++太くんとの夜+++

 



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夕方、太くんとVOUSHOで二人だけの小さな酒宴。

9時過ぎに彼を見送った。

3時間が矢のように過ぎた。

話題はいつも尽きない。

今夜のキーワードは『浮き足立つ』だった。

マイナスイメージの言葉だけれど、振り返って見るとぼくの人生はいつも『浮き足立った』ものだった。

でも、そんな『浮き足立つ』自分も、あるいは『浮き足立ってる』他人も愛おしきものではないか、とも思う。

自分自身が『浮き足立ってる』ことを自覚して『浮き足立って』いるならいいじゃん!という結論にぼくらは達した。

あとはぼくらの共通の友人であるタカさんが以前ぼくに言ってくれた『やっつけ(or だだくさ)はいけない』ことだけ肝に命じておけば。 


宴も終盤の頃。

ぼく自身も驚くことが起きた。

太くんがぼくに『キヨサクの「想うた」もいいけど、吉田拓郎の流星(森七菜)バージョンがすごくいいよ』 と教えてくれたのでその場でyoutubeで検索して聴き始めた時だった。

ぼくは初めてだったが、サラリーマン役の仲野太賀とスタバ店員役の森七菜が演じる有名なPVらしい。 

キヨサクの野太い歌声は、あ〜なるほどな・・・と思った。竹原ピストルのようなメッセージ性の強い歌詞で多くの人が好むのも理解できた。

次に拓郎バージョンとなる「流星」を聴き始めて、ほんの数フレーズでぼくは動画をストップさせた。

「太くん、ごめん。ちょっとダメだ。胸が詰まってしまって・・・」と言うのが精一杯で涙が溢れて泣いてしまった。

こんなことは初めてだった。

自分自身に対して本当に驚いてしまった。

何がぼくのココロの琴線に触れたのかわからない。

ただただ吉田拓郎が数行の歌詞を歌っただけで胸が様々な想いでいっぱいになりココロの容量以上のものが一気に溢れた・・・そんな感じだった。

ぼくは嗚咽をこらえるのがやっとだった。

拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』を口ずさむたびに泣けてくるのだけど今回はそれ以上だった。


太くんが帰ってから、少し落ち着いた気持ちで再度この楽曲を聴いてみた。

今度は最後まで泣かずに聴けた。

 

『たとえば僕が まちがっていても』

『正直だった 悲しさがあるから』

『オーオーオオー 流れて行く』

この最初の3つの歌詞が引き金になったようだった。

 

不思議だ。

あの時の感情の高まりは一体何だったんだろう。

人のココロは不可解きまわりないものだね。