2023年7月31日月曜日

【20230731:月】+++7月最終日に思うこととか+++

 


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2023年の7月も今日まで。

ますます気候変動は著しくなり、酷暑というより殺人的な暑さに毎夏ぼくらはみまわれて当たり前になってきた。

名古屋 シネマテークも先週金曜日に閉館し、ちくさ正文館本店書店も今日で閉店と時代の節目を目の当たりにする7月となった。

もちろん残念だけれど、逆にこの経済優先、効率優先の厳しい時代の中でよくぞ今まで頑張ってくれたと言えると思う。本当にお疲れさまでした。

ぼくは時々思う、スマホの無い時代が懐かしいと。

敢えていうなら、不便があった時代の方が今より生きやすかったかもしれないと。


携帯電話は百歩譲って仕方なかったとしても、スマホの登場はぼくらのライフスタイルを大きく変えた。

圧倒的とも言える便利さの一方で、可視化されないものや意識化されないものも含め、ぼくらが知らず知らず失ったものも少なくなかったような気がする。

SNSで四六時中ぼくらは強迫神経症的に誰かと繋がっていないと不安に陥ったりしてないだろうか。

すぐ隣に友人がいたとしても、彼や彼女と直接言葉を交わさず、スマホ画面を覗き込み、何やら入力してたり、調べものをしたりという光景はどこでもみられ、特異なものではなくなっている。バス停でバスを待つ人たちの大半がスマホを見てるし、乗車した後も車窓を眺める人はなく、ずっとスマホをいじってる人の多いこと。

それほど親しくもない人たちの行動や食した料理を常時知る必要が一体あるだろうか。

携帯電話さえ無いアナログ時代よりかえってぼくらは人間関係に縛られることになっていないだろうか。


今からほんの60年前、テレビのある家は稀だったし、自家用車のある家はもっと少なかった。

あの頃、テレビが各部屋にあったり、一家族が複数台車を所有したり、高齢者になっても車を運転するなんてほとんどの人が想像もしなかっただろうとぼくは思う。それほどすごい勢いで技術は進化し、ぼくらは大量に作られた新しくて便利なものを追い求めてきたわけだ。そのツケが今いろんな形で現れているのではないのかな。

高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違いによる交通事故なんかもその一例だと思う。自動車メーカーもまさか80代のドライバーがこんなに多くなるなんて想像もしてなかったことだろう。しかし、赤字路線だからと鉄道が廃線されたり、車社会のため路線バスが減らされたりと公共交通機関が充実してなければ自家用車に頼る以外にないのも事実だ。車優先社会の当然の帰結だと言える。

不便で無駄があって効率も決して良くは無いけれど、寛容だった時代の方が人には向いてるんじゃ無いかとぼくは思ったりする。テクノロジーの進化が人間を置いてきぼりにするのでなく、必ずしも最先端ではなくとも、使う人間に即したゆとりのあるテクノロジーであって欲しいと思う。

今後AIという新しいテクノロジーも、効率や性能優先で進化させていくのではなく、非効率な人間の特性に寄り添ったものにしてほしいな。

雨が降らない。

夕方、黒い雲が拡がって雷鳴が遠くで轟いてもほとんど雨粒が落ちてこない。

節水要請のニュースがそろそろ流れるんだろうか。

もう一つ。

それは電力逼迫と電力会社やマスコミが煽らないことの気持ち悪さ。

連日続く酷暑。

エアコンの利用は必至だから当然電力不足の報道がされると思っていた。

電力逼迫で脅しながら、実際には停電することなどなかったわけで(原発が全て稼働してない時でも)電力はやりくりできていたわけだから、原発再稼働のための理由付けだとぼくは思っていた。その目的が達成されたので脅す必要がなくなったためだろうか。


7月最後の日にこんなことを徒然に考えたりしてました。

今月もお付き合い、ありがとうございました。


*今日の画像は、朝気づいたら変わってしまっていたTwitterの不評なアイコン。遊び心とは無縁のオーナー特権を見せつけるだけの変更だよなぁ。

明日2023年8月1日のお店のツイートはお休みします。





2023年7月27日木曜日

【20230727:木】+++スモモが好きだもんで+++

 


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「桃とスモモのパフェ」が食べたくて、またまたモーニングパフェの時間に多治見まで行ってきました。

ぼくはスモモが大好きで、ソルダムとかには目がないわけです。おそらくフルーツの中でダントツ一位に好きです。因みに2位はキンカンかな。ついでに3位はイチゴとしておこう!

モーニングパフェの時間は午前11時までで、その時間内だと紅茶かコーヒーが付いてくるというサービス。コーヒーも紅茶ももちろん美味しい。ぼくはたいてい紅茶を選択してるかな。

パフェの説明の画像を拡大して読んでもらいたい。

この説明文を読むだけでも、どれくらい店主がパフェ作りにこだわってるかわかると思う。

もちろんアイスからチョコ、ケーキまで全部手作り。

暑い季節にはたまらんぜ!

しかも、多治見は暑すぎるよねぇ!


*本日の紅茶はフレーバーティーでトライアングルっていうのでした。

2023年7月26日水曜日

【20230726:水】+++春日井のカフェへ+++

 


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前回臨時休業で二度目のチャレンジ。

今回は営業しててランチタイムにお邪魔した。

店内は広く、テーブルもそれぞれに離れていて、とてもゆったりとした空間で落ち着く。

BGMも民族音楽的なものが流れていて、さすが中近東の料理を提供するお店。

ぼくのお店はとにかくモノが多くて、モノに囲まれ、息苦しさを感じる人もいると思うけど、ここは厳選されたモノが適度に配置され空間の抜け感が気持ちいい。

そしてランチメニューから注文した『本日のプレート(数量限定)白身魚の紙包み焼き』1,500円がとても美味しかった。




手の込んだ料理。野菜も多く、どれもとても美味しくて思わず顔の筋肉がだらしなく綻んでしまった。味付けもスパイスが効いていて、ぼくの好みだった。

店主のこだわりが料理にも店内にも色濃く表れていて、個性的ないいお店だった。

8月から定休日が変わるそうなので、間違えないようにしないとね。

ぼくの友人を伴ってまた行こうと思ってるよ。

ごちそうさまでした!


*本来ならこれで満足するところだけれど、来たついでにもう少し食べたくなってしまって、メネメンライス(トルコ風ピリ辛スクランブルエッグ)を単品で注文してしまった。もちろん完食!




2023年7月25日火曜日

【20230725:火】+++VOUSHO映画会+++

 


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5月6日以来の夜VOUSHO映画会。

「今までに何回やってるんですか?」と訊かれ、カウントしてないことに気づいた。

もともとこれはプライベートなものだから、お店のイベントと切り離して考えていたからだ。

同じようにVOUSHO寫眞倶楽部で写真を撮りに出かけたのもプライベートなものなのでカウントしてなかったな。


さて今回の映画会ではアイスランド映画『たちあがる女』を見ることにした。

ぼくを含め参加者6名。


大人の寓話でありながら、現実の政治問題、環境問題等々がないまぜになった作品だと思う。

とにかく主人公の女性の意志の強さと行動力が潔くてかっこいい。守護天使のような男性3人の楽器演奏、同じくウクライナ女性3人の民族音楽的な合唱もファンタジーさを増幅していてユニーク。


観終わってから各自持ち寄った飲み物とお菓子をつまみながら歓談した。

楽しいひとときだった。


2023年7月21日金曜日

【20230721:金】+++写真展へ+++

 


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高層ビルの並ぶ名駅中心街。

古い雑居ビルが今でも存在するんだね。

レトロなタイル。

細かく分かれたテナント。

間口は狭いのに奥行きがある。

ちょっとした迷路、ダンジョン、九龍城。

目的のギャラリーはその2階最奥にあった。

GRDigitalのスローシャッターで独特の動きのある写真を撮っていたユミさん初の個展だった。

今回はこれまでのユミさんの写真(ソニーαの写真もあるのかな)をコンセプショナルな意味合いに再構成して展示しているものだとぼくは理解した。

複数枚のテイストの違う写真を全体として一つの写真とみなし、反対側の壁面に一枚だけ展示してある写真と等価なもの・・・ってことだったかな。

コンセプショナルなものは難しくてぼくにはよくわからなかったので、間違って解釈してる可能性大なのでご注意を。

難しいことは抜きにしても、ユミさんの写真は彼女のセンスが煌めいていてカッコいいからぼくは好きだなぁ。

ユミさんは在廊してたし、タカさん夫妻にも偶然会えてよかったな。


*上の写真はユミさんとその写真友だちの人たち。平日なのに見にくる人が後をたたなかった。



2023年7月20日木曜日

【20230720:木】+++2023年の梅雨明け+++

 




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梅雨明けしたらしいね。

そしてもう学校は終業式で夏休みに入るらしいね。

そこでぼくも2023年のVOUSHOの夏休みをどうするか考えてみた。


結論から言うと、今年は夏休みは設けない。

なにも商売熱心だからではない。

夏はお客さんが一年でも最も少ない時期だから、この期間に休みをとった方が理にかなってる。

でもぼくは人混みと暑いのが大の苦手だし、休みを取っても人で密な所に出かけるわけでもないし、結局のところ空調の効いた部屋の中でじっと引きこもっているだけでいつもの定休日と変わらないからね。

だからぼくは世間の夏休みが終わり、子どもたちが学校に戻り、平日は人出が少なくなる秋をじっと待ち続けるのだ。

夏休みを設けない代わり、10月下旬に秋休みをとってもいいかなとも思ってる。

随分と久しぶりに旅行してみようかなどと。

それにしても暑いねぇ。。。

2023年7月19日水曜日

【20230719:水】+++2ヶ月ぶりだね+++

 


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太くんが前回神奈川から来てくれたのは約2ヶ月前の5月9日だった。

だから久しぶり・・・と言う感じがしなくて、その翌日、つまり前回が昨日のことの様な錯覚がした。

今日は太くんの同級生との午後6時からの飲み会の前に来てくれた。

1時間しかなかったから(この前にも彼には予定がしっかり入っていたからね)、冷たいデザートを頬張りながらコーヒーして少しおしゃべりしたただけだけれど、時間を割いてくれたこと、それがとても嬉しいことだった。

改めてぼくは思ったのだけれど、『時間がなくて・・・』っていう言い訳はしてはいけないね。

時間は作るものだからだ。

本当に必要だったり大切だったりするなら、やりくりして時間は作るものだから。

それができない時は、言い訳などせず『今回はいけなくてごめんね』でいい。

そんなことを思ったよ。


2023年7月17日月曜日

【20230717:月/海の日】+++よく話した日だった+++

 


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殺人的な気温となった三連休最終日の海の日。

こんな日にお客さんは少ないのが当然だし、正直期待してはいけないと諦めムードだった。

ところが開店してすぐから、そこそこお客さんが来てくれてありがたいことだった。

終わってみたら1時間以上延長していた。

もちろんにぎわってではない。

そこそこと言ったように、他店の来店客数の基準からしたら閑古鳥という程度の人数なのだけど、それ以上にお客さんの個性と話題の密度が濃かった。

最初の常連さんとはAIのことや昔のこのあたりの地形のこと、卵のことなどいろいろ勉強になる話をした。

そして中盤は伊那市豊岡村で雑貨と古本等をあつかっているというご夫婦が来店。瀬戸にきたついでにたまたまネットでVOUSHOを見つけて来てくれたのだった。

ぼくより2歳年上で世代も同じなので話題に事欠かなくて濃厚な楽しい時間だった。



そして最後は最近仕事帰りに来てくださるお客さんで、フランスやベルギーに住んでいたことのある国際派の女性。彼女とはアールデコ建築のことから始まり、にわとりの話、学校教育の話とこれも時間を忘れて話し込んでしまった。

ということで、終わってみたら、おもいっきりお客さんと話した祝日営業日となった。

それぞれに学ぶことがあってぼくにはとても良い刺激になった。

小確幸だよね。

ありがとうございました。

*上の絵地図面白いよ。西暦717年。瀬戸とか赤津とか馴染みある地名がいっぱい載ってるし、そこまで海が来てたと言うこと。岩作(やざこ)とか吉根なんかも載ってるしね。津島は本当に島だったんだ。

*下の写真はショップカード代わりに頂いたショップティッシュ。力の抜け感がイカしてるよね。VOUSHOのも一瞬作りたくなったりしたな。ただしぼくの姿はNGで、ダークなものになっちゃうわなぁ。



2023年7月14日金曜日

【20230714:金】+++銅版刷り作業をやっとした+++

 


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ありがたいことに、時折ぼくの銅版画作品が買われていく。

そのため気づくと在庫が無くなっていたりする。

お客さんから「急いで無いのでいいですよ。」って優しい言葉をいただくとぼくはその優しさに完全に甘えてしまって刷りの作業にちっとも取り掛からないのだ。

でもそれだって常識の範囲、我慢の限界ってものがある。

基本的にぼくはいい加減な性格なのでなんと半年ほど甘えてしまっていたのだ。

宿題の提出期限のようにいついつまでにと言う指定がぼくにはきっと必要なんだと思う。


注文していただいてた分から今日やっと銅版画を刷った。

刷りだすと楽しいのだけど、本当に取り掛かるまでが遅い!遅すぎる!

本当に申し訳ありませんでした。

ちょっと心を入れ替えようと思っています。



2023年7月10日月曜日

【20230710:月】+++あるミュージシャンに対する違和感の根っこがわかった+++

 


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今からちょうど10年前の2013年12月30日に大瀧詠一が急逝した。ぼくは彼の楽曲や彼の声が好きだった。彼のような高音域の歌声が出せないにも関わらずカラオケで彼の楽曲をついついリクエストしてしまうくらいに。

そしてぼくがおそらく最後に聴いたF M番組「サンデー・ソングブック」は、年を越した2014年1月26日に放送された。ぼくはこの番組のMCをしてるミュージシャンも好きだった。この時までは。

ぼくが彼を好んだ理由の一つは彼の音楽全般に対するマニアックで広範な知識だった。ぼくはオタクやオタク気質な人に興味があるし好きなのだ。彼のCDも3枚持っていたりした。

話を戻して、ぼくが最後に聴いた彼の番組の中で、大瀧詠一との親しい交流もある彼に是非番組で大瀧詠一の追悼特集をやってほしいと言うリスナーのリクエストがたくさん来てると紹介された。

ぼくはそれは至極当然のことだと思った。

彼なりの選曲でもって偲びたいと言う人の願いは十分理解できた。

番組内でそれに対し彼は次のようにこたえた。

『大瀧さんが亡くなったあとですね、えー、番組宛に早く追悼特集をやれとかですね、追悼特集は誰も知らないレアアイテムをたくさんかけろとかですね、最低半年はやれと、そういう類のハガキが少なからず舞い込んでまいります。(中略)そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というものは、大瀧さんが最も忌み嫌ったものでありました。』

彼の言うような極端な追悼特集を希望した人はぼくは一部だと思っている。

そんなリクエストを例に出し、ファンとかマニアと言う人の独善性に自分は言いなりにはならないぞと言う意思表明をしたかったのだろう。

言い換えれば、彼の独自性をアピールしたかったのだろう。

彼が追悼特集をやろうとやるまいとぼくはどうでもよかったけれど、その時ぼくが感じたのは、彼の驕りだった。(他にも感じたことはあるのだけれど、ここでは省いておく)

彼自身ミュージシャンである限り、CDを買ってもらったりライブに来てもらったりして収入を得ているわけだ。番組にしても多くのファンが聴いてくれてるからこそ、何年も続く長寿番組になっている。

ファンに対し、何でもかんでも言うことを聞けと言ってるのではもちろんない。不条理な要求はスルーすればいい。この場合なら特異なファンの独善的なリクエスト例など持ち出さず、思うところあって追悼は自分の心の中だけで済ませておきたいのでどうかご理解頂きたい・・・とか。

彼の追悼番組に対する発言の中に、気に食わないなら聴かなければいいと言う突き放した感じをぼくは強く感じた。このことによって少しくらいのファンが消えたところで、自分の不動の人気や売り上げに影響なんてほとんど無いと思っている驕りに裏打ちされたものだと。

それ以来、ぼくは彼のこのラジオ番組を聴かなくなった。

そして昨日2023年7月9日(日)のサンデー・ソングブックでの発言問題が起こった。

故ジャニー喜多川の性加害問題について、音楽プロデューサー松尾潔の言及に端を発した事務所契約終了問題に対する彼の発言だった。

性加害問題に対する彼の認識の低さや、強いものに対する忖度も指摘される通りだとぼくも思っている。

そして9年前と同様だと思うのだけど、次のように彼は発言を結んだ。

『この様な私の姿勢をですね『忖度』あるいは『長いものに巻かれている』と、その様に解釈されるのであれば、それでもかまいません。きっとそういう方々には、私の音楽は不要でしょう。』

驕り以外の何ものでもないとぼくは思う。

ぼくは権威的だったり、威張っていたり、驕りたかぶってる輩が大嫌いだ。今回のことで9年前のことと根っこが同じだと自分なりに納得はできた。

はっきり言います。

ぼくにはあなたの音楽は不要です。


2023年7月6日木曜日

【20230706:木】+++気づいたら半年以上すぎていた+++

 


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インスタの自分のページを久しぶりに見てみて驚いた。

最後の投稿は1月1日で、それから半年以上過ぎていたからだ。

つまり、その間ぼくは全く作品作りをしていないということだ。

いつもと変わらぬ日常を送れることは幸せだけど、日々の生活に追われてただけで、ぼくはすこし情けない気持ちになった。

まぁ、これもぼくだから仕方ない。

残念な性質だけど受け入れるしかないのだよな。

いつかやる気になりますように。。。

そんな日は来るのだろうか?・・・

同級生で部活のチームメイトだった今井ちゃんが今年の1月25日に亡くなり、そのお通夜に行ったのは1月27日㈮だった。

彼が亡くなってからもうすぐ半年になるのだった。

今日今井ちゃんの奥さんからお志の品物が届いて、半年過ぎたことにぼくは気付いた。

葬儀の数日後、奥さんからお礼の電話をいただいた。

今度はぼくの方から電話してお礼を言った。

電話の向こうの奥さんの声はあの時より元気そうですこし安心した。




2023年7月4日火曜日

【20230704:火】+++「筋を通す」と言うことを考えさせられた+++

 


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昔々、俳優の鶴田浩二が「傷だらけの人生」と言う歌の中で「何から何まで真っ暗闇よ。筋の通らぬことばかり・・・」と当時の世相を嘆いて(?)うたっていた。

先日Twitterで脚本家・倉本聰の記事を読んだ時、鶴田浩二の歌を思い出すとともに、改めて現代において「筋を通す」ことの意義を考えさせられた。ますます筋を通すことが難しく、疎まれやすい世の中になってしまったんじゃないのかなと。

以下、転載しておく。

出典は総合ビジネス誌「財界」ON LINE編集部 2023/01/22

長い記事なのでそのつもりで。


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「北の国から」の脚本家・倉本聰 2023年の「環境サミット」開催に思う


「人類とは恩知らずな、突出して愚かな生命体ではないのか」─。こう投げかけるのはドラマ『北の国から』の脚本を手掛けた作家の倉本聰氏である。SDGsやESGという言葉が飛び交う現代社会。その現代社会の象徴的な課題が環境問題だ。しかしその環境問題は「豊かさが産んだもの」と倉本氏は指摘する。人類の生存を脅かす新型コロナの感染拡大、ロシアによるウクライナ侵攻といった人類の愚行……。我々は今をどう生きるべきなのか。雪深い北海道・富良野の地から都会に住む人々への倉本氏の訴えとは?



G7の環境会議が札幌で開催

 この春、G7サミットが広島で開かれることになり、そのついでにG7の環境会議が札幌で持たれるということになって、どういうわけかその相談が、僕の所に持ちこまれてきた。

 国会議員を仲立ちに環境省の環境局長、札幌市の副市長など偉い方々が雪深い我が家にわざわざお越しになったのだが、その時、僕の申し上げたのは、かねがねこういう大会議の折にいつも感じていた一つの疑問である。それはどういうことかというと。

 人間の産み出した環境の変化。気象変動やら異常気象などなど、そういう重大事を論ずるのに、暖房やクーラーのガンガン効いた快適な文明的空間の中で事を論ずるのはまちがってはいまいか。雪が降ろうが、嵐が来ようが、天然自然の環境の下でこういう重大事は論じられるべきものではないか。

 たとえば三内丸山遺跡の中に今も残っている大集会場のような竪穴建造物を建て、その中央に大きな焚火を焚いて、その火を囲んで学識者やら大臣たちが語らう。照明はかがり火かローソクの灯りのみ。入口に垂れ下ったむしろのすき間からは表の気温や湿度やらが風にのって室内に遠慮なく侵入する。そういう当たり前の気象条件の中で、寒さ暑さに耐えながら地球環境について真剣に語り合う。そういう会議こそ筋ではないのか。

 そう申し上げたら皆様、シンと無口になってしまった。

「そうは言っても」というセリフは「前例にないから」というセリフとともに富良野では禁句、とあらかじめ伝えてあったから、さすがに口にする人はいなかったが、口にしないでも彼らの反応は、はっきり表情の奥に表現されていた。

 霞ヶ関や永田町の主導するこうしたイベントの開催企画として、元々無理なのはよく判っていた。大体、安倍晋三元首相のあの大事件の後である。警察はその威信にかけて、あのようなことの起こらないよう必要以上に神経質になっている。だから札幌でこうした大会議を開くについては、元々警備のしっかり行き届く××ホテルで開催することは既に前提として条件に入っていると、国会議員から聞かされていた。それでも僕が一見、突拍子もない、こういう破天荒なプランを提案したのは、永年真剣に環境問題にとり組んで来た一人の老人としての意地である。

 SDGsだの、カーボンゼロだの、学識経験者はむずかしい言葉で我々庶民を煙にまこうとするが、そもそもこの問題の起源は一体どこから始まっているのか。

 文明が「便利」をつくりすぎたからである。

文明が人類にもたらしたもの


「便利」とは何か。元々人類は他のけものや植物のように自分の体内にあるエネルギーだけで生き、暮らし、恋をし、子孫を作りつづけてきたのに、次第にその脳が肥大化し、サボルというズルサを知ってしまってから、自分のエネルギーの消費を抑えて他人のエネルギーを利用することを覚えた。いわゆる代替エネルギーである。それは、初めは家畜に始まり、奴隷・捕虜・弱者へと形を変え、それが産業革命以来、化石燃料にターゲットを変えて、石炭・石油・天然ガスから遂には原子力まで範囲を拡げた。

 3㍍歩けばボタンが押せるのに、3㍍歩くためのエネルギー消費をけちり、リモコンというものを発明する。

 そうやってどんどん消費エネルギーを使わないで暮らすと、筋力が落ちて来て何となく不安だから、高い金を払ってジムの会員になり、何の生産性もない重いものを上げたり下げたり、どこにも行きつかない自転車のペダルをひらすら踏んで汗を流したり、理解不能の行動に走る。人類はこういう不思議な生き物になってしまった。

 環境破壊は先進国が作ったもので、それを後進国まで面倒を見させられるのはたまらない、と後進国の方々は言うが、至極もっともな言い分で、同じ日本でも東京と富良野の僕の暮らしでは相当に文明的隔差がある。早い話が乗物というものに、ここ2、3年は殆んど乗っていない。そも公共交通機関などというものが、この山奥にはないのである。

 宇宙衛星から撮影した夜の地球の写真というものがある。これを見ると先進地域と後進地域の差がおどろくほど見事に判別される。先進地区は光に溢れ、後進地区は真暗である。朝鮮半島の下半分、38度線から下の韓国は光の洪水の中にあるが、その上、北朝鮮の夜の大地はおどろく程の真暗闇である。よくあんな真暗な大地から次々とミサイルを飛ばしてくるものだと妙な感慨に耽けさせられる。

暴走を始めたスーパーカー


 ところでわが日本。

 小さな島国が光の洪水である。

 その洪水を見ながらふと考える。

 僕が幼い子供だった頃。即ち1940年代前後の日本を、もしも宇宙から夜、眺めたとしたら、一体どんな情景だったのだろうか。殆んど今の北朝鮮と同じ暗黒の中に沈んでいたのではなかったか。

 1950年代はどうだったろう。

 戦後のあの時代の夜の日本の情景は、40年代とさほど変わっていなかったろう。60年代はどうだったろう。70年代はどうだったろう。思えばこの頃から日本列島は俄かに光を放つようになり、80年代のバブル期にいたって燦然と輝く今の日本になってしまった。そうしてこの頃から世界各地で環境問題が発生し始めた。

 貧しい時代に環境問題はなかった。豊かになって各種の環境問題が生じた。豊かさが明らかに環境を悪くした。そのことに人類は気づき始めた筈だ。

 では何故ここまで様々な弊害を産む豊かさの裏にひそむ危険性を、かしこい人類が放置したのだろうか。

 気づいてはいたと皆、口にするが、手を打つ勇気を持たなかったことは、気づいていなかったと同じことである。

 人類というスーパーカーは、いわば暴走を始めたのである。言い方を変えるなら元々このスーパーカーは、大事な二つの部品をつけ忘れた見事にして偉大な欠陥車だったのだ。二つの部品とは、ブレーキとバックギアである。この二つの大きな倫理的欠陥を放置したのは誰の責任だろうか。というより、この二つの大きな欠陥に、かしこい人類は気づいていたのだろうが、気づいてそれを無視して来たのだろうか。

 人類は地球上の生物の中で、最もかしこい優れた存在だと、いつのまにか自他共にそう思いこんでいる。しかし本当に果たしてそうなのか。何千年も殆んど進化せず、動物園の檻の中でひたすら人に見られることで一生を全うするけものたちの生き方、あるいは森の中で一粒の種から、芽を出し葉を出し花を咲かせ実をつけ、それを種として次世代につなげる、余計な野望を一切持たず、百年、千年同じ生き方で朴訥に生きている植物たちの生。見様によっては彼らの方が、ずっと倫理的哲学的に優れた一生を送っているのではないか。

 たとえば木の葉はその生涯を、光合成によって酸素を作り出し、落葉となって土を作り、水を貯めこんで動物に贈る。しかし贈られる当の人間は、その酸素を1分間に17、18回吸いこむことで生きながら、息を吸うというその行為を、生まれた時から誰にも教えられず、当たり前のようにやっているものだから、すっかり忘れ果て感謝もせずに、落葉は単なるゴミとしか思わない。そうしたことの延長線上に我々の今の豊かさはあるのに、そうした思考は持とうともしない。思えば人類とは、そういう恩知らずな、突出して愚かな生命体ではないのか。

アイヌの人たちに建造物を


 環境問題はそうした人類の真の愚かさが、作るべくして作ってしまった究極の帰結だと僕には思える。

 だからこそ今一度、原点に立ち戻り、天然の温度と風にさらされながら、この大問題にとり組むべきではないか。そういう想いで提案したのである。

     ●

 しかし国家を運営する人たちの思考の方角は全くちがうようだ。

 世界を代表するG7のお偉方にそんな失礼な対応はできない。

 警備の問題はどうするのか。風邪をひかせたらどうするのか。焚火の火の粉が飛んだらどうするのか。大体、三内丸山のような、竪穴式の大会議場を一体どうやって建設するのか。

 そこで当方はこう説明する。

 白老にあるウポポイ民族共生象徴空間。ああいう素朴な建造物をアイヌの人たちに作ってもらえば良い。木材を組み立て、紐やツタで結び、屋根は木の皮や植物で葺く。アイヌのチセの創り方の手法でアイヌのやり方で創っていただく。

 すると先方はとんでもない!という。たとえ数日間使用するだけだからといっても、世界の要人をお招きするものなら、それは権威ある建築家に依頼し、コンペ形式で安全快適な建造物を目指し、大手の信用ある建設会社に入札させて最高のものを作らねばならない。国の威信に関わるものであるから─。

 国の威信!!

 環境問題を真剣に論ずるのに、どうして国の威信が関係ある?

 あなた方はあのオリンピックでの汚職問題を再び再現なさろうとするのか。

 そんなこんなで僕の愚案は、今関係者がそれぞれ持ち帰り、誠意をもって検討中、ということに一応なっている。

 十中八九、採用されまい。

 それも当然だと僕も思う。しかし。

     ●

 環境問題を真に論ずるなら、自然環境の中でやるべきだという僕の考えは全く変わらない。

 かつて東日本大震災が起こった後、復興庁というものが新設されたが、その復興庁の所在地が、災害を受けた東北にではなく、東京に置かれたときいた時、僕は激しい違和感を持った。

 復興を目指すための復興庁の所在地が、窓から外を見れば瓦礫に覆われた被災地であるのと、華やかなビルの林立する東京のどまんなかに設置されるのとでは、働く者のモチベーションが全くちがうのではあるまいか。

 環境問題を論ずる場所の設定にも、全く同じことが言えると思うのである。

 都会には文明が鎮座ましまし、環境問題というきれいな文字だけが、切実さと離れて頼りなく浮遊する。今年は大雪だ、雪害で大変だとテレビの画面が大声で叫んでも、都会の人々は同情はするが、雪の冷たさ、閉じこめられた被害者の辛さは想像するだけで実際には感じない。

 ITに囲まれ、情報馴れしてしまった現代人には、環境問題も今夜の飲み会の約束も同じ比重で心にある、という気がしてならない。

 かくなる上は、お偉いさんたちやお役人にまかせず、トゥンベリさんやマータイさん、本気でこの切実な課題に向き合っている世界の賢者たちを一堂に集めて、原野の中で、吹雪の中で、嵐の中で真剣に話し合える、そういう会議の場を考えてみようか。




2023年7月3日月曜日

【20230703:月】+++30年ぶりの再会+++

 


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柘植さんのはからい。

毎回感謝。

地元県立高校で同僚の先輩教諭Kさんを同伴して来店してくれた。

ぼくはKさんが学年主任でぼくがクラス担任だった時が一番楽しく充実していたと記憶している。

(もう一人はぼくが転勤してから入れ違いで転入してきたというHさん。Kさんとは同じ国語科で、柘植さんの友人でもある。これで二度目かな。彼もユニークな人で映画「東京リベンジャーズ」がよかったということでぼくと話が盛り上がった。)


Kさんとは実に30年ぶりくらい。

再会直後、がっちり握手した後に、「ハグ!ハグしよ!。ハグ!」とKさん。

相変わらずノリがよくて明るいキャラクター。いい味出してるなぁ、Kさん。

ぼくは握手同様しっかりKさんを抱きしめた。

そしたら女の人のようにKさんが華奢なのに気づいてちょっと驚いた。

「Kさん、痩せたねぇ。」ってぼくがおどけたように言うと、

「あったりまえだ!何歳だと思っとる。◯6歳だぞ!◯6歳!」と間髪入れずのツッコミ。

お互いに外箱は古く、ひなびて、経年劣化してしまったけれど、Kさんの中身は変わってなかった。声の大きさも声のハリもあの頃のままだった。

そのことがぼくはほんとに嬉しかったなぁ。


他にもお客さんは来てくれたけれど、合間をぬって、2時間半ほど彼らと談笑した。

帰るときにもう一度Kさんにぼくは握手を求めた。

またぼくがぎゅっと力を込めて握手すると「相変わらず力が強いなぁ〜。」とKさんは言って笑った。

柘植さんが「まだじゅんさん若いでだわ。」と続いた。

ぼくももう若くなんてないんだけど、Kさんに会えて嬉しかったからついつい力が入っちゃうんだよなぁ・・・と口には出さず笑顔で3人を見送った。

今回もVOUSHOを始めたからこその再会だった。

こんな時は改めてこの店をやってよかったと思うのだった。

柘植さん、毎回ありがとう。


*Kさんは写真の一番右側ね。◯3歳まで教壇にたってたんだって。大学卒業してから51年間、つまり半世紀もやってたんだ。健康だからこそもあるけれど、すごいことだよ。