2023年8月29日火曜日

【20230829:火】+++9年目になった+++

 




■□

VOUSHO Coffee Factoryをオープンする日をあらかじめ決めてなくて、行き当たりばったりで8月29日にしたのだった。

あれから丸8年が過ぎ、今日から9年目がスタートした。

告知もしてなくて、ほとんどゼロからのスタートとなった。

当時は定休日は5の倍数の日だった。それが火曜日・水曜日に変わり、現在は水曜日・木曜日・金曜日の3日間が定休日になった。

営業時間も午後8時までだったのを6時までにシフトダウンし現在に至っている。

口コミで少しずつ、本当に少しずつお客さんが来てくれるようになったけれど、当然ながら初年度はお客ゼロの日も度々あり、午後6時以降はたまにしかお客さんがくることはなかった。

待つことも仕事であり、待つことのつらさを毎日噛みしめる日々だった。


なんて言うと、今はオープン年度とは比べものにならないほどうまくやれてるように思われるかもしれないけれど、実際はそんなに変わってはいないんだよね。

でも、VOUSHOの存在を知ってくれた人は当時より増えたことは確かだし、そのおかげで今日まで存続できたわけだ。本当にありがたいこと。

ぼくはお客さんからいっぱい刺激や情報をもらってるから、VOUSHOと言う場を通してお客さんにも刺激や情報を還元したいと思ってる。そういう意味で、ぼく自身の好奇心と興味関心を失わないようアンテナを張り続けたい。

9年目もどうかよろしくお願いします。

自家焙煎珈琲店なのだから、珈琲のことも書くべきなんだろうけど、集ってくれる人との関わりの方をどうしても優先してしまう。珈琲についての考えはまた別の機会にね。

2023年8月28日月曜日

【20230828:月】+++こんな夢をみた+++

 


■□

馬鹿げた夢。

ふと思い返すとぼくの見る夢に楽しいものはない。

幸せだなぁと思って目覚めた記憶もない。

目覚めてぐったり疲れる夢とか、起きた時涙を流してた悲しい夢とか、夢で良かったと思う怖い夢とか、それに意味不明で不条理で馬鹿げた夢なんかがほとんどだ。

今朝見た夢はイスラムの人の名前についての夢だった。

ぼくはイスラムの男性と話していた。

ぼくが知り合いのイスラム女性の名前の語源をしつこく彼に訊いてる夢だった。

ぼくが彼に訊いてた名前は我ながらイカしてると思える名前だった。


イスラマ・ハリム・アリヴァ


夢の中の彼によると語源的には、

「イスラマ」はもちろんイスラムから由来してて「イスラム的な、イスラム人の、イスラム様式の」という意味らしい。これは文字通りの意味だ。

「ハリム」は集合体を表す抽象語であり、

「アリヴァ」は「アリバイ」の語源になった言葉だと言う。

全体としては、「伝統を重んじる確かな存在者」という意味で真面目で誠実な人になって欲しい親の期待が感じられるとのことだった。


目覚めたぼくは忘れないようにすぐこの名前をメモした。

そしてネット検索してみた。

残念ながら何もヒットしなかった。

夢の中のことだから当たり前なんだけど、ちょっと期待したぼくもいたよ。

★今日の写真は本文と全く関係無し。

昨日再度来店してくれた長野県下伊那郡豊岡村のアンティーク雑貨とビンテージ本のお店ハッピーデイズのショップカード。

名刺大のサイズながらインパクト抜群のデザイン。

ぼくはすごく好き。

店内に15枚くらい置いてある。

早い者勝ちでどうぞ!



2023年8月27日日曜日

【20230827:日】+++缶をため始めた+++

 


■□ 

トマト缶とか、黄桃缶とか、サバ味噌缶とか、ラベルを水洗いするとペロンと剥がれるスチール缶が好き。

デザイン的に完成されていて、尚且つシンプルなフォルムがとてもいい。

缶を洗っただけでも問題く使えるんだろうけど、万一指を切ったリするのも嫌だから、ペンチでバリの部分を少しずつ潰している。ちょっと馬鹿げて見えるかもしれないけれど、これなら安心して使えるからね。

こうしてぼくはまたゴミをためていくのかな。

何に使うか、そしてどんな一手間、二手間かけて気に入ったものにするか。それを考えるのも作るのも楽しいんだよね。



2023年8月26日土曜日

【20230826土:】+++過去は振り返らず+++

 


■□ 

ぼくに友だちが少ないのは、連絡を取るまめさがないこともあるけれど、過去に留まっていたくないこともその一因かもしれない。

小学校、中学校、高校、大学、教員時代とどの時代をとってみても、今現在付き合ってる人は本当に少ない。

ぼくの年季の入った無精さのためにぷっつりと縁の切れた人の中には、再会したい人もいるけれど、ほとんど『去るもの日々に疎し』状態となっている。

それも人生だから仕方ないか。

基本的には個の問題なんだけれど、元同僚だった人たちと話をすると、昔話がメインになることが多い気がする。

もちろんぼくも懐かしかったりするので全否定する気は毛頭ないけれど、そればっかりになると閉口してしまう。

今のこと、これからのことを話そうよ!って強く思う。

話題の中で過去のことをしょっちゅう引き合いに出すのもぼくは聞いてて白けてしまう。

そう言えば、作家の高橋源一郎は、良い人だと思ってるのだけど、ラジオ番組の彼の語りの中で、若い時にデモで捕まり刑務所に入れられたことにしょっちゅう言及する。ぼくは正直その言及に辟易している。

その例に似てる。

ぼくは今を大切にしたい。

過去が良くても悪くても、今が問題だ。

過去に生きるのでなく、今を生きたい。

そして、今を生きる人たちとこそ、ぼくは親交を深めたいと思ってる。


2023年8月25日金曜日

【20230825:金】+++行き当たりばったりがいい+++

 


■□

前日のブログに記した言葉『行き当たりばったり』ってぼくは好きだし、ぼくに合ってると思う。

「まぁ、なんとかなるさ」

「明日はあしたの風が吹く」

「予定は未定」

そんな感じで今まで運良く過ごすことができたような気がする。本当に運のみだった。もう一生分の運は使い果たしたので、あとはうまく不時着、タッチダウンできれば言うことない。

偶然の積み重ね。

ぼくの運は人との出会いの運。

良き人たちと出会えた運だ。

これからも『行き当たりばったり』でしか生きて行けそうにないけれど、よろしくね。

*写真はぼくの好きなローラン・トポール。

画家で俳優で作家。

ファンタスティック・プラネットの絵を描いた人として有名。ヴェルナー・ヘルツォーク監督『ノスフェラトゥ』にも出演してた。ドラキュラ映画ね。

今日のブログの内容とは全く関係ないけど!なんとなくね。



2023年8月24日木曜日

【20230824:木】+++なにごとも中途半端+++

 


■□

ぼくは一つごとを極めるタイプではない。 

いろんなことに興味があって、あれもこれもやってみたい欲張りなタイプ。

計画性も乏しく、自分の興味の赴くまま、行き当たりばったりでしかない.

結局何をやっても中途半端だ。

でもこれがぼくだし、ぼくに合ってると思うようになった。

何に対してもとりあえず10年やれば、それなりの手応えはあるはずだと思ってる。 

ピアノのように1年半でやめてしまったものもあるけれど、やらないよりやった方がやはりよかった。

旅に例えるなら、ぼくは数日滞在して次へ行く駆け足の旅でなく、できればその土地で1年暮らして次に移る、そんな定住型の旅がしたいタイプなんだろう。

マイナスでもプラスでも、自分を識ることってきっと大切なことなんだろうね。


2023年8月22日火曜日

【20230822:火】+++ダブルスタンダード+++

 


■□

これはおそらく多くの人からぼくが煙たがれる一つの例だと思う。

それはお客さんとの会話の中でぼくが思ったことだ。


某駅に設置されてるストリートピアノ。 

高齢の女性が同じ音階の単純なメロディーを延々と弾いていたとのこと。自分も弾きたくて彼女が弾き終わるのを待っていたが、一向に終わる気配がないため、他所に行って時間をつぶし、再度ストリートピアノのところにやってきた。しかし、彼女のたどたどしい演奏はまだ続いていたと言う。

『時間制限はないの?』とぼくがお客さんに質問すると、5分で交代するように貼り紙してあるとのこと。

『すみません。わたしも弾きたいので交代してもらえますか?』と老女にお願いすればいいことだけれど、遠慮して言えない人が多いのも理解できる。

言わないと気づかない人もいるので、ぼくが同じ立場なら間違いなくお願いすると思う。5分と言う制限時間を大幅にすぎているしね。そのお客さんは弾くための楽譜も持参していたと言う。


この話は当たり前の考え方と言えると思うが、お客さんとの会話は次の段階に進んでいった。

 

ここで、もしピアノを弾いてるのがとても上手な人だったとする場合だ。

通りすがりの人たちも次々に足を止め、その演奏に聴き入った情景を思い描いて欲しい。

5分の制限時間は瞬く間に過ぎ去る。

一曲終えたところでアンコールの声があちらこちからあがっている。

ぼくはピアノ演奏が上手でも下手ても、基本的には次に弾きたい人が居ても居なくても、5分と言う制限時間は同じでなければならないと考える。

これは私設ではなく公共のストリートピアノだから尚更だ。

『制限時間は5分ですのでこれでやめます。聴いていただいてありがとうございました。』って言う演奏者だったら、最高にスマートだし、カッコいい。

でも多くの演奏者は聴衆からアンコールを請われたら、断りきれず演奏を続けるのではないかと思う。それは無理もないことだとも思う。

この場合、ぼくは聴く側の方に気をつけなければならない問題の本質があると思う。

ピアノ演奏が上手いかそうでないかで制限時間そのものを有効にしたり無効にしたりしていないかという問題だ。

いわゆるダブルスタンダード。

愛想笑いが嫌いなのと同様にこのダブルスタンダードも嫌いだ。

皆がもっと聴きたいと思ってるんだからと5分という時間制限をいとも簡単に反故にしてしまうのはおかしいとぼくは思う。

まだ演奏者側のことになってしまうけれど、一度ピアノの席を離れ、『次に演奏される方はお見えになりますか?』と聴衆に問うてから『いらっしゃらないようなので、また弾かせてもらってもいいですか?』とことわってから、座り直して弾くなら偏屈なぼくも文句は言えないだろう。

本当は弾きたくても、そんな上手い演奏者の後では、気が引けて弾きたいとは言えないこともあるよね。 

詰まるところ、ぼくは人によって態度や基準を変えるのが好きじゃないってことなんだよね。

ぼく自身も気づかずにそうしていないか注意しないといけないと思ってるよ。



2023年8月19日土曜日

【20230819:土】+++謎の音/追記したよ+++

 


■□

3時半頃かな。

突如キーン!と言う音が店内に。

大きくなったり、少し小さくなったり笑繰り返していた。

たまたま居合わせたお客さん4人とぼくとで店内を捜索。音源を探すも特定できず。

お客さんのアドバイスで電気を消していったけれど、それでも音は続いていた。 

周波数の高い音。

それだからこそ気になって仕方ない。

4時頃にその謎の音は突然消えた。

でも原因がわからないから、不安は払拭しきれない。

なんだか居心地のよくない結結末だ。


その後ふと思った。 

エアコンの室外機をチェックすべきではなかったかと。業務用エアコンも設置してから8年半ほどになる。壊れる前兆だとやだなぁ。。 

VOUSHOは吹き抜けてるので音が反響しやすいからどこに音源があるのか特定しにくいからなぁ

また急に音が鳴ることもあるかと思う。

その時は室外機をチェックしに行くぞー!



《追記:8/20 19:58》

ブログを読んでくれてる友人から、これは『コイル鳴き』じゃないかとメッセージをもらった。

ありがたいこと! 

「キーンの音。ACアダプターとか充電器から出ている事もあります。症状名はコイル鳴きだったかな。他の原因かも…ですが。」

コイル鳴きでネット検索すると色々でてるとのことなので、調べてみることに。

知らないことばっかりだなぁ。

教えてくれてほんとうにありがとう!

《追記の追記》

検索してみた。

コイル鳴きは故障の予兆ではないみたいなので、もしコイル鳴きならちょっと安心。

でもあの神経に障る高音キーンは耳鳴りのようで勘弁して欲しいなぉ。




2023年8月15日火曜日

【20230815:火】+++こんな日もあるんだなぁ+++

 




■□

台風7号接近。

結果的にはかなり西に移動し近畿地方を進んで行った。

そのためVOUSHOは風雨もそんなにひどくなくホッとした。

毎回台風がこちらに来るたび、突風でお店の屋根が吹き飛ばされるんじゃないかと心配している。

もし吹き飛ばされたら、その時点でVOUSHOは廃業だと覚悟するぼくだ。

そのくらいVOUSHOの屋根はオンボロな気がするんだよね。


それはさておき、ぼくは台風でも極力営業しようといつも思ってる。

バイトを雇ってるわけでもないし、ぼくだけのことだからね。

もしお客さんが悪天候にも関わらず来てくれて臨時休業だったら、いつも以上に落胆するんじゃないかと思うからだ。愚かなことと言われるかもしれないけど、ぼくはできる限り来てくれた人をガッカリさせたくない。お客さんが一人も来なかったととしても、営業日にはお店はいつも通り開けておきたいと思うのだ。(一応当たり前のことを記すけど、命の危険を感じるような暴風雨の時はもちろん例外です。)

と言うことで、今日はオープンしててもお客さんは来ないだろうから、のんびり絵でも描きながら過ごそうと思っていたのでした。


ところが、こんな日もあるんだなぁ。

絵を描く時間がほとんどないくらいだったから。

本当にありがたいこと。

それに営業時間中は風雨もほとんど気にならい程度だったこともよかった。

また定休日明けから頑張ろうという気になった。

何回も言っちゃうぞ。

本当に本当にありがとう!


2023年8月11日金曜日

【20230811:金】+++熱狂さってこわいんだよね+++

 


■□

先日ピンクフロイドのロジャー・ウォーターズのThe Wallのライブ・ドキュメンタリーをDVDで観た。

ピンクフロイドのThe Wallという映画はぼくは好きだった。

それをロジャー・ウォーターズがライブで完全再現するというものだった。

後で知ったのだけれど、ドイツでこのライブをやった時、ナチスを連想させる衣装やシーンがあることから警察の捜査が入ったということだった。

ロジャー・ウォーターズはその意図をナチスを正当化するものではなく、一人のパラノイアを表現したものと弁明したようだった。

誤解のないように言うと、このナチスを彷彿とさせるシーンは全体の一部だった。

映画『The Wall』では、ヒトラーのようにアジテーションする主人公もその支持者たちも全て俳優やエキストラであり、もちろん演出されたものだった。

しかし、このライブではエキストラを使っているのではなく、チケットを買ってライブに集まった普通の聴衆だ。

件のシーンではロジャー・ウォーターズだけでなく演奏するバンドもナチスを連想させる黒い制服のステージ衣装と卍の代わりにハンマーを二つX(エックス)のように交差させた腕章をつけていた。

高度なプロジェクションマッピングを駆使しているのか、背景の壁には様々な映像が大音響とともに次々に映し出され、変化し、その演出力の完成度は高く迫力あるものだった。単なるライブではなく、演劇的要素もあり、現代的なオペラであり、総合芸術と言ってもいいと思った。

それだからこそ聴衆は熱狂的に拳を振り上げ、感極まって涙を流し、一緒に歌詞を叫んで陶酔しているような人たちもいた。

ナチスの敬礼の仕草を置き換えたような、両拳を頭の上でハンマーを交差させる動作でロジャー・ウォーターズの熱唱に応えていた。

ぼくはこの聴衆のファナティックさがこわかった。

そして白けてしまうのだった。

ナチスもヒトラーもクーデターで権力を掌握したのではなく、民主的に選ばれ、人々の支持を得て圧倒的な権力を握って行ったのだった。

そういう意味ではヒトラーよりも、一般民衆が熱狂的になり、カリスマを作りあげてしまうことこそが、社会の雰囲気がオセロゲームのように何かのきっかけで一変していくことこそがぼくにはとても恐ろしいのだ。

それは過去に限ったことではなく現在も未来も、どこの国でも起こりうることだから尚更恐ろしいのだ。


このライブでぼくはナチスを連想させるステージ衣装を聴衆の前で脱ぎ捨てるのではないかと思って見ていたのだけれど、そんな場面はなかった。それがあったらロジャー・ウォーターズの主張も少しは納得できたかもしれないけど。