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こんなことを書く必要はない、あるいは書いちゃいけない、とまた言われるだろう。
でも頭の中にしこりのようにくっついて離れないので、記しておくことにした。
記したことでもう少し自分の考えを整理することができるといいのだけど。。。
ぼくは宗教的にも道徳的にもバチアタリなんだと思う。
それは自覚している。
ぼくの思考に欠落してたり希薄だったりするものはいくつかあるのだけれど、例えば所属意識が低いことみたいにね、『ご先祖様のおかげ』的な発想がほとんど無いのもその一つだ。
顔も知らない、人となりも知らない人たちを意識するというのは、ぼくには正直言ってわからない。
「わかる必要なんてない!」と言う人もいるだろう。「そういうものなんだ!」とよくきくフレーズがこだましてきそうだ。
「ご先祖様がいたからこそ、今のおまえがあるではないか!」と。
それはその通りだと思う。
そういう偶然の組み合わせで確かにぼくは人間として産まれ出でたわけだから。
「一人で生きてるなんて思っちゃいけない。ご先祖様に生かされていることを忘れるな!」こうなるとまたぼくはわからなくなる。
ご先祖様の具体的イメージがぼくにはない。これが親や祖父母までならもちろんイメージできる。
だからぼくにとって「ご先祖様=祖父母まで」なら感謝もできる。
それ以前の混沌としたご先祖様たちには申し訳ないけれど、ぼくの祖父母までをご先祖様の代表として認めてもらうしかない。
それから逆にぼくは自分の子孫に「ご先祖様に申し訳ない」と言って気兼ねすることなんて求めない。
あっという間の短い人生を自分の好きなように我儘に生きてくれればいい。
ぼくは自分から手を合わせたい時に手を合わせる。
形式的に行うことに意味を見出せないから。
誤解されるかもしれないからもう一つ付け加えると、ご先祖様を大切に思ってる人たちに向けてぼくの考えを押し付けるつもりは毛頭ない。ご先祖様を大切に思い、そのことによってその人たちに心の平安なり生きる原動力が得られるならとてもいいことだと思うからだ。
きっとこのぼくの考え方はいびつでバチアタリなものなんだと思う。
こんな考えで申し訳ありませんというしかない。