2026年8月16日日曜日

【20260816:日】+++3年間ねかせておいた本+++

 

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『夏帆』を読み終えた後もの足りなくて、購入してから3年程ねかせて置いた『街とその不確かな壁』を8月6日に読了した。

ぼくは書籍化されなかった『街と、その不確かな壁』を鶴舞中央図書館で読み(正確には雑誌に掲載されたものをコピーして読み)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でより深化した世界観に感銘を受け、そしてこの最終形?『街と・・・』ということになった。

読み終わったあとしばらくこの小説の世界観に浸ることはできた。

それでもぼくは『世界の終りと・・・』の方が好みだとわかった。

ぼくは小説家でもなければ批評家でもないし、ハルキストと呼ばれる熱心な村上ファンでもない。何より自分の読解力も全く当てにならない。拠り所になるのは自分のあやふやな感性以外にないのだけど、『世界の終り・・・』の世界観の方が自分にはしっくりしていた。

映画もそうだ。

荒削りではあるけれど、若い頃の作品の勢いみたいな数値化できないものの力をぼくは感じたりする。ヴェンダースの初期三部作、特に『さすらい』や『都会のアリス』はいまでもぼくの最も好きな映画の1つだし、ジャームッシュの初期作品『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウンバイロー』は最近も含め何十回繰り返し見たことだろう。

小説の技法というか言語化力、描写力、物語の構成力は経験を積んだ現在の村上春樹の方が巧みだろうし、世界的人気作家の実力は疑いの余地のないものだろう。

それでもぼくの好みは『世界の終り・・・』だとはっきり感じた。

独特の『孤独感』、『寂寥感』というのだろうか。それこそが『世界の終り・・・』にぼくのココロが共振した核となるものだった。映画同様小説も鑑賞時の年齢や精神状態が少なからずその評価に影響を与えるものだとしても。

村上春樹の意図がどういうものなのかぼくには断言できないけれど、現実世界が今のようにひどくてもぼくらがとどまるべきなのは、高い壁の外側のこの世界なんだろうね。

ぼく個人としてはあの不確かな壁の街で暮らしたいと切に思ったりもするのだけど。

 

蛇足だけれど、『街とその不確かな壁』を読み終えた翌日、一体何度目の再読になるかわからない『1973年のピンボール』を読了した。ぼくにとっては村上文学に興味を持った原点の作品なのだ。