2022年10月30日日曜日

【20221030:日】+++また徹夜してしまった+++

 


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良く寝たと思って起きたら、まだ1時間しか経ってなかった。

いつもより早く、午前零時くらいに寝たのに。

せっかくだからトイレに行って、また寝ようとしたのだけど頭が冴えてしまって眠れなくなった。その時点でやばいなぁと思っていたのだ。

案の定眠れなくてその後ぼくにしては1時間という長い時間、眠るようにつとめた。

それでも眠れなくていつものように寝るのは諦めた。

眠れなくて悶々とするのは嫌なのだ。

それなら潔く起きて活動する。

午前2時過ぎからぼくは起きてあれこれ作業することにした。

5時頃になってそろそろ眠れるかなと少し横になってみたがダメだった。

結局、午前1時から徹夜してしまった。

ときどきあるんだよなぁ。

頭が冴えてこうして眠れないことが。

こういうのを睡眠障害っていうんだろうか?

ただ、昨日もその前も10時間くらい寝て、寝すぎで頭が痛くなるくらいだったからな。

今夜は眠れますように!

*今日の画像は夕方お客さんとスライドショーを眺めていた場面。実はすごくいい背後からの写真が撮れると思ってiPhoneを構えたちょうどその時、お客さんが来店して、彼の姿勢が変わってしまったのだった。でもそれまで二人して無言で壁を見上げていて良い時間だったなぁ。とても心地よかったんだよね。


2022年10月29日土曜日

【20221029:土】+++ステルス値下げしてた+++

 


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すべてが値上げの世の中。

『ステルス値上げ』という言葉を知った。

わからないように値上げしてるってこと。

金額は同じでも中身を減らす・・・とかいうもの。

姑息だ・・・とぼくは思う。

一消費者としてぼくなら正々堂々と値上げなら値上げを宣言してくれた方がどれだけいいことか。

こっそりわからないようにやるなんて裏切りだと思う。

そんな中、ぼくは気づいた。ぼくは時代に逆行して実質値下げしていたことにね。

現状維持でも実質減益なのに、「ステルス値下げ」していたのだから。

それは珈琲。

以前から200ccくらいは珈琲の量を増やしたいと思っていた。

ぼく自身がお客ならそのくらいは飲みたい。

一杯500円もする珈琲だもの。

安い珈琲を飲もうとしたら今の世の中いくらでも選択肢はある。

それなのに、わざわざぼくの500円の珈琲を飲みに来てくれるんだから、それに少しでも見合うような空間をつくり、蔵書、音楽等にもこだわって珈琲をのんで過ごす時間の質をあげなければと思っている。

より満足度を増すためにも、もう少し珈琲の量が要ると思っていた。

数か月前、珈琲カップを200㏄入る少し大きなものに替えた。

一杯分の珈琲豆の量も増やした。

値段はもちろんそのままだ。

自家焙煎した豆は過去に値上げしたものもあるが、ストレートとブレンドのホット珈琲だけは2015年にオープンしてからずっと500円を維持している。

維持だけにぼくの意地でもあるね。

最近VOUSHOの珈琲薄くなったなぁ・・・なんてことは絶対しないからご安心を。

万一値上げするときは、もちろん正々堂々と告知するし、そうならないように頑張るつもりだ。

お代わり珈琲も200㏄で300円。

お代わりの時は、珈琲豆の種類も変えられるので2杯で800円。一杯400円とお得になるので活用してほしい。

ただし、珈琲以外の飲み物から珈琲のお代わりはもちろんできないのでね。

今日は久しぶりにお店らしいことを書いちゃったなぁ。。。

*夕方になるとプロジェクターからのスライドショーがはっきりと見えるようになる。気づいてないお客さんもまだ居るみたい。


2022年10月28日金曜日

【20221028:金】+++布団のこと+++

 


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3年ぶりに敷布団を新調した。

ハードタイプ。

そのせいかいくらでも寝られる。

疲れが溜まってることもある。

寝具はとても大切だ。

ぼくはたいてい6時間くらいしか眠らないけど、1日の4分の1はこの上で過ごすからだ。

今度は2年で替えてもいいかなと思ってる。

それにしても秋晴れが続き、気持ちいい季節になった。

このまま台風シーズンも過ぎてほしいなぁ。



2022年10月23日日曜日

【20221023:日】+++ぼくのこととして考えてみた+++

 


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父の葬儀の喪主として実際に経験して考えたこと。そしていくつかの葬儀に参列して考えたこと。

自分自身の葬儀についてどうしたいのか、思いつくままに記しておこう。

・ぼくは特定の宗教等を信仰してないので、お坊さんをよんだり、戒名を作ったりはしない。だから、葬儀会社に葬儀一式を委託することはしない。

・ぼくのデスマスクをできるだけ見せたくない。死んだぼくの顔でなく、笑ってる時の記憶の中のぼくで締めくくってほしい。

・偲ぶ会とか行うとしたら、普段着で集ってほしい。葬儀のための制服なんて要らない。気持ちが大切だからだ。香典ももちろん必要ない。小さな会場(部屋)を1日借りれるくらいの金は残しておくつもりだ。手ぶらで来てほしい。想い出話があれば、それが一番嬉しい。珈琲でも飲みながら想い出話ができたらいいなぁ。

・葬儀に代わるものとしての集いに案内を出す人をぼくはあらかじめリストアップしておく。親族であっても付き合いがなければ案内するつもりはない。

・ぼくが死んだら火葬場に直送でいい。墓はもちろん要らない。散骨でいいのだが、それがかなわないなら永年供養をうたってる無宗派の寺でいい。

こんなことを考えてる。初めて文章化してみた。新鮮に感じるから不思議。

これをたたき台としようか。

『カラダは物質だけど、タマシイはエネルギーなんだ』と言う谷川俊太郎の絵本の一節。

命が消えた時、カラダから何かが無くなるとぼくも思う。その人当人であっても、亡骸はもうその人ではなくなってる。

抜け殻というと、ひどいと思う人もいるだろうけれど、葬儀で亡くなった人の顔を見るたびにいつもぼくはそう思う。

ぼくらのカラダは器であることをいつも思い知らされる。器には寿命があり、それが尽きた時物質に戻るんだ。

でも、その人のエネルギーは、ぼくらの記憶の中やその人の居た家や部屋、着てた服、身に付けてたもの、読んでた本、運転してた車や自転車、さまざまなところに残っていて、彼や彼女の気配をぼくらは感じる。そうしたエネルギーも少しずつ消えては行くのだけど。

だからぼくはエネルギーの方をきっとより大切に思うのだろう。

人それぞれ死生観は異なって当たり前。ほくの考えを他の人に押し付けるつもりはない。でもぼく自身のことについては、ぼくのやりたいようにやらせてもらいたいんだよね。

まとまりないけれど、今日はここまでにするね。



2022年10月22日土曜日

【20221022:土】+++気分はカタツムリ+++

 


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肉体疲労が精神に影響与えてるなぁ。それにお店以外のことでやらねばならぬことが溜まっている。書類を書いて揃えたり、役所に申請とかぼくにとっては厄介なことばかり。

そんなこともあって、今のぼくの気分はまるで殻に引っ込んだカタツムリのようだ。

誰も居ない海を見に行く以外どこにも出掛けたくないし、見知らぬ不特定多数の人とも接したくない。

とりあえず、カタツムリの殻のように薄っぺらいぼくのお店の中でじっとお客さんを待とう。風向きが変わるようにぼくの気分も変わり、殻から首をのぞかせる気になるまでね。



2022年10月21日金曜日

【20221021:金】+++葬儀のこととか+++

 


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華美でなく心のこもった良い葬儀だった。

お通夜の時、大勢の弔問者で式場の職員も総出で対応に追われたくらいだった。午後6時から始まったお通夜の焼香には9時を過ぎても来る人があった。義理の弟の人柄、人徳のためだろう。


葬儀は社会の縮図だなぁと改めてぼくは思った。

振り返ってぼくはどうなんだろう?と自問した。

ぼく自身の葬儀の在り方、葬儀ではない別の形、あるいは葬儀的なことそのものをやるのかどうか。

・ 

お通夜のあと、28歳の息子と一緒に33歳の娘の家に泊まることになった。葬儀場から車で10分もかからないところに娘は夫と幼稚園児の子ども2人と暮らしているからだ。新築してからぼくはまだ2度目の訪問だった。

胃腸風邪で体調のすぐれない旦那さんには寝てもらって、ぼくと娘と息子はお酒を呑みながら延々と話し込んだ。

結局朝まで眠らないで話した。

義理の弟、彼らにとっては頼り甲斐ある叔父との思い出のことはもちろん、映画やテレビドラマ、政治のことと話題は多岐にわたった。

3人でこんな風に話すことも、真面目な話の中身も初めてのことだった。娘と息子の考え方、生き方の一旦が垣間見れた気がした。この葬儀がなかったら、こんな機会が果たしてやってきただろうかとぼくは思った。

父親らしいことをほとんど何もしてないぼくだから、偉そうなことは言えない代わりに、対等の友人同士として話したつもりだった。

谷川俊太郎の絵本のことばも紹介した。

『カラダは物質だけど、タマシイはエネルギーなんだ』と言うことばだ。2人とも合点が言ったようだった。

この秋1番の冷え込みで、半袖Tシャツと短パンのぼくは娘のフード付きパーカーを借りて、息子と歩いてコメダでモーニングをした。

実はぼくにとってはこの徹夜の一夜のことが一番の想い出になったのだった。

※写真は娘の子どもと。お通夜の始まる前。ぼくはコーヒーを飲み、彼はしるこサンドをひたすら食べてたな。

2022年10月17日月曜日

【20221017:月】+++思いもかけない訃報+++


 

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営業中、思いもかけない訃報連絡が入った。

ぼくは何と言って声をかけたらいいかわからなくて、何も言うことができなかった。通りいっぺんの慰めのことばを言うくらいなら何も言わないでいようと咄嗟に思った。

年齢に関係なく死はいつだってぼくらと隣り合わせなんだ。

夜再び連絡が入り、明後日の夕方お通夜、そして翌日葬儀という予定になった。


2022年10月14日金曜日

【20221014:金】+++銭亀さんに連れられて書道展へ+++


 

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書道は小学校の時に2年間くらい近所の書道教室(今でも同じところでやってるからすごい!)に通っただけだった。どうしたらうまく書けるのか何もわからないまま、とにかく先生の模範の書を真似ながら書いていただけだった。朱筆で訂正されるのが嫌ではなく、どちらかと言えば面白いと思っていた。

あれから何十年も経った。

ぼくの字は小学校高学年の書道教室に通っていた時のまま何の進歩もなく、逆にだだくさに書く癖がついてしまい、自分で書いた文字が読めないことがしばしばとなった。

銭亀さんから以前も一度誘われたことがあったけれど、書道は全く門外漢だからということで断ったのだった。

ではなぜ今回行く気になったか?

それはその書道展はぼくの仲人を引き受けてくれたかつての先輩教員だったからだ。不思議な縁で銭亀さんとぼくはつながっていたのだった。それが面白くて行く気になった。

結果どうだったかというと、行ってよかった。

久しぶりに仲人夫妻に会えたこともあったけれど、書道を絵画的に見ることができたから、ぼくのような書道や書家の知識がゼロのものでも楽しめた。

それと銭亀さんと仲人氏の書についての質問とその回答がそばできいてて面白かったこともある。

銭亀さんに誘われなかったら、行くことはどう考えてもなかった。

いつも刺激をもらってばかりの銭亀さん、ありがとうね。



2022年10月13日木曜日

【20221013:木】+++移転したカフェに行ってみたぞ+++

 


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天白区植田にあったぼくのお気に入りのカフェが森林公園のボート池の北西に今月始めに移転した。店はため池に面していて、こんな素敵な借景はめったにないだろうね。

この場所はイヌキにちかく、以前も動物がいるカフェとかやってたところだ。今回ぼくは初めて来た。

オールマンブラザーズバンドのレコードとか来日チラシが置いてあるから70年代アメリカン・ロックをイメージしたライブ・カフェだ。

今回は敢えて外のデッキスペースでランチを注文した。

曇っていて涼しかったし、池を満喫できるからだ。

ぼくは天白にあった頃のお店も落ち着けて好きだったけれど、こちらはこちらでまたいいなぁと思った。結局、店主の同じテイスト、センスで統一されてるからだろう。どこにいってもレイドバックはレイドバックなのだ。

どこに行ってもVOUSHOはVOUSHOだ!となるようにぼくも精進しないとなぁと柄になく言ってみました~。

食事代を支払う時に、女性スタッフの方に(店主の奥さんかな?)おなか一杯になりました?と訊かれたので(ぼくはこういう時、率直に言ってしまう!)、「正直いうと、おなか一杯ではなくて、もっと食べれます」と答えた。「もっと量を増やさないといけないかなぁ。。」と彼女は言ってました。

次回はモーニングに行ってみようと思ってます。朝7時からやってるんだもんね。えらいなぁ!




2022年10月12日水曜日

【202221012:水】+++こんなアトリエ、こんなスタジオ、すごい!+++

 

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多治見の意匠研の近くと言ったらいいかな、陶磁器美術館へ行く途中にガラス作りのアトリエが民家の間にひっそりとある。

そのことはぼくのお店のお客さんからきいていた。以前のアトリエ内部の画像も見せてもらっていた。いつか行きたいとずっと思っていたのだ。数年ぶりにこのアトリエで個展があると教えてもらい最優先して行ってきた。

奥さんがガラス作家。ご主人が絵とか彫刻とかの造形作家なのかな。ご主人はぼくがうかがったときは居なくて奥さんが一人でお客さんに対応していた。

VOUSHOと同じようなスレートの工場をリノベされてるのだけど、とてもいい空間になっていた。1階はダークなスペース。だから電灯が映える。2階は白く明るいスペース。工場の鉄窓がいい味だしてる!

ぼくは鉄窓が好きなのでなおさらだ。

ぼくが文章で説明するより画像の方が雄弁だ。

あとは画像を見てね。

ガラス作品等のディスプレイ方法が勉強になったなぁ。

この作家さんとアトリエを教えてくれたSさんに感謝!




 








2022年10月10日月曜日

【20221010:月/スポーツの日】+++ある旅立ちのはなし+++

 


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瀬戸市内で金工作家(元々は彫刻作家だった)をしてた彼との出逢いは、まだそんなに長くはない。

大学進学で愛知へ来て、縁あって瀬戸に来たのだと思う。絵画や陶器やガラスと違って金工作家の問題点は作業時の音だという。

なるほどと思った。

そのため、作業場所を確保するのが難しい。ぼくの知る限り彼の工房は、5年ほど前は大きな製陶所の片隅にあった。そこが完全に閉鎖解体が決まってからはさらに瀬戸の辺境に位置した廃工場に作業場を移転した。

そんな彼が月に数回ぼくのお店に来てくれるようになった。おそらくそのきっかけの一つは数年前彼が久しぶりに行った個展をぼくが見に行ってからだと思う。

等身大に近い紙紐で作られたトルソは身体の部位を欠損しながらも迫力のあるものだった。展示点数は少なかったけれど、それを感じさせない存在感があった。いつかVOUSHOで展示できるといいなぁとぼくはそのとき思った。


しかし、大きな彫刻作品が売れるわけでもなく、生計をたてることは難しい。彼は主に真鍮製のカトラリーを打ち出しで作製し、それを販売することで暮らしていた。

最近は小さなフライパンや、電灯用の傘や、タンブラーなども作っていた。試作したものを携えてぼくに見せてくれたものだった。


先週、そんな彼から京都に工房用の物件を見つけ転居するか迷っていることを告げられた。転居するなら今月中になるという。

ぼくより歳下だけど、ぼくが珈琲店を始めたくらいの年齢の彼だ。人生の大きな転換点となり、今を逃すとこの先こんな機会が再び来るかどうかわからない。話をきくと、彼は経済的な不安はあっても行ってやってみたい気持ちが強かった。ぼくにはそう感じられた。ぼくならどうするか、自分のこととして考えてみた。彼の個人的な状況も踏まえ、やはりぼくが導きだした答えは、やらないで後悔することはしたくないということだった。

無責任かもしれないけれど、正直にそのことを彼に伝えた。彼はまた考えてみますとその日は帰って行った。

5年ぶりのライブ当日の営業時間に彼は珈琲を飲みに来てくれて、京都行きを決めたことを教えてくれた。これから半月あまり、引っ越し準備で忙しいらしい。ぼくも彼の背中を押した責任を感じた。

ライブにも彼は来てくれることになった。ライブが終わり、その帰り際、彼がポケットから紙包を出してぼくにくれた。

それは彼が真鍮を打ち出して作ったスプーンだった。

スプーンは軽いけれど、彼がどんな気持ちで叩いて作ってたのか考えるとずっしりしたものを感じた。





2022年10月8日土曜日

【20221008:土】+++オツベル・ライブ@VOUSHO+++

 


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当日客も2名あり(前売り1名体調不良で欠席連絡)全体で11名のお客さんでオツベルくんの音楽を楽しんだ。

ぼくは楽器を弾けないので偉そうなことはもちろん言えないけれど、オツベルくんはギターがうまい!いろんなテクニックでもって自分の音楽世界を構築している。


CDで聴く方がいいミュージシャンもいれば、ライブの方がよさがわかるミュージシャンもいる。ぼくの数少ないライブ経験からすると原マスミは断然ライブの方がいい。だから、これはぼくの個人的感想ということで敢えて言わせてもらえば、オツベルくんもライブでその良さがはっきりわかるミュージシャンだと思う。ファルセットもきれいだった。

心地よかったなぁ。



来てくれたお客さんもとても満足してるようだった。CDをまとめて4枚買ってくれた陶芸家さんもいた。ぼくも買ったし、あとKくんも、Tさんも買ってサインしてもらってた。マキシマム20名の設定だったけれど、今夜くらいが実はゆとりがあってとてもよいと思った。1階に7名、2階に4名。ゆったりと音楽世界に浸れた。

7時半ちょっとすぎに始めて、アンコール1曲を含め、終わったのが9時少し前だった。午後10時がお開きの時間だったけれど、オツベルくんたちを見送ったのは11時だった。

VOUSHOにとって今回がまだ3回目のライブ。

しかもアンプとか使ったのは初めて。エフェクトも効いてこれもよかった。オツベルくんにはまたツアーでこちらに来ることがあったら声かけてとお願いしたけど、それまでVOUSHOがあればいいんだけど・・・ね。

最高の秋の夜長だったなぁ。

皆さんに感謝。

特にオツベルくんのライブを何年も前からずっと勧めてくれて、今回オツベルくんとの間に入ってVOUSHOをツアーに組み入れてくれ、音響機材も用意してくれた元橋さんにこの場をかりてお礼を言いたい。元橋夫妻、ありがとう!

あと、体調崩して参加できなかったYさん、お大事にね!また元気な顔見せてください。



と、これを書いてアップしたのは日付を超えた10月9日深夜2時10分過ぎ~。明日は日曜営業だワン。。。

2022年10月3日月曜日

【20221002:日】+++今日はこのセリフが効いたなぁ+++

 


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益田ミリ原作のドラマ『スナック キズツキ』を見てて、今日はこのセリフがぼくのココロに響いた。

再就職のための就活中の女性とスナック・キズツキの女性店主のシリトリの一場面でのこと。

『笑っちゃうくらい頼りない私の人生。差し出せるものも残せるものも多分何もないんだ。』

『だけど私たちは出場している、この歴史に。歴史の上に否応無しに積もっていく塵みたいなものかもしれんがね。』

ぼくもそうだよなぁと思う。

何かを極めたり、何かを成し遂げたりなんてぼくにはできない。ただ塵や泡のように歴史の中に積もって埋没していくんだ。

でも、それでいい。

たとえ塵や泡のようであっても、ときに小さな幸せを感じたり、何かに感動して涙したり、夢中になったり、がっかりしたり、憤ったり・・・そんなことを繰り返して生きるだけでいいんだと思う。

美味しいものを美味しいと感じて食べたり飲んだりできて、ウンチやオシッコを気持ちよく出せて、あの人いい人だなぁと思えたり、他人に感謝できたり、空を見上げる余裕があって、ココロ穏やかに眠りにつけたらそんないいことはないと思う。

そんな日が、月に一度でもあれば上出来じゃん。

 皆、それぞれ問題を抱えながら生きてる。他人と比べたり、他人の物差しで自分を測らないことだよね。

自分は自分だよ。

ぼくのココロに響いたセリフだったな。