2022年10月10日月曜日

【20221010:月/スポーツの日】+++ある旅立ちのはなし+++

 


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瀬戸市内で金工作家(元々は彫刻作家だった)をしてた彼との出逢いは、まだそんなに長くはない。

大学進学で愛知へ来て、縁あって瀬戸に来たのだと思う。絵画や陶器やガラスと違って金工作家の問題点は作業時の音だという。

なるほどと思った。

そのため、作業場所を確保するのが難しい。ぼくの知る限り彼の工房は、5年ほど前は大きな製陶所の片隅にあった。そこが完全に閉鎖解体が決まってからはさらに瀬戸の辺境に位置した廃工場に作業場を移転した。

そんな彼が月に数回ぼくのお店に来てくれるようになった。おそらくそのきっかけの一つは数年前彼が久しぶりに行った個展をぼくが見に行ってからだと思う。

等身大に近い紙紐で作られたトルソは身体の部位を欠損しながらも迫力のあるものだった。展示点数は少なかったけれど、それを感じさせない存在感があった。いつかVOUSHOで展示できるといいなぁとぼくはそのとき思った。


しかし、大きな彫刻作品が売れるわけでもなく、生計をたてることは難しい。彼は主に真鍮製のカトラリーを打ち出しで作製し、それを販売することで暮らしていた。

最近は小さなフライパンや、電灯用の傘や、タンブラーなども作っていた。試作したものを携えてぼくに見せてくれたものだった。


先週、そんな彼から京都に工房用の物件を見つけ転居するか迷っていることを告げられた。転居するなら今月中になるという。

ぼくより歳下だけど、ぼくが珈琲店を始めたくらいの年齢の彼だ。人生の大きな転換点となり、今を逃すとこの先こんな機会が再び来るかどうかわからない。話をきくと、彼は経済的な不安はあっても行ってやってみたい気持ちが強かった。ぼくにはそう感じられた。ぼくならどうするか、自分のこととして考えてみた。彼の個人的な状況も踏まえ、やはりぼくが導きだした答えは、やらないで後悔することはしたくないということだった。

無責任かもしれないけれど、正直にそのことを彼に伝えた。彼はまた考えてみますとその日は帰って行った。

5年ぶりのライブ当日の営業時間に彼は珈琲を飲みに来てくれて、京都行きを決めたことを教えてくれた。これから半月あまり、引っ越し準備で忙しいらしい。ぼくも彼の背中を押した責任を感じた。

ライブにも彼は来てくれることになった。ライブが終わり、その帰り際、彼がポケットから紙包を出してぼくにくれた。

それは彼が真鍮を打ち出して作ったスプーンだった。

スプーンは軽いけれど、彼がどんな気持ちで叩いて作ってたのか考えるとずっしりしたものを感じた。





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