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先日ピンクフロイドのロジャー・ウォーターズのThe Wallのライブ・ドキュメンタリーをDVDで観た。
ピンクフロイドのThe Wallという映画はぼくは好きだった。
それをロジャー・ウォーターズがライブで完全再現するというものだった。
後で知ったのだけれど、ドイツでこのライブをやった時、ナチスを連想させる衣装やシーンがあることから警察の捜査が入ったということだった。
ロジャー・ウォーターズはその意図をナチスを正当化するものではなく、一人のパラノイアを表現したものと弁明したようだった。
誤解のないように言うと、このナチスを彷彿とさせるシーンは全体の一部だった。
映画『The Wall』では、ヒトラーのようにアジテーションする主人公もその支持者たちも全て俳優やエキストラであり、もちろん演出されたものだった。
しかし、このライブではエキストラを使っているのではなく、チケットを買ってライブに集まった普通の聴衆だ。
件のシーンではロジャー・ウォーターズだけでなく演奏するバンドもナチスを連想させる黒い制服のステージ衣装と卍の代わりにハンマーを二つX(エックス)のように交差させた腕章をつけていた。
高度なプロジェクションマッピングを駆使しているのか、背景の壁には様々な映像が大音響とともに次々に映し出され、変化し、その演出力の完成度は高く迫力あるものだった。単なるライブではなく、演劇的要素もあり、現代的なオペラであり、総合芸術と言ってもいいと思った。
それだからこそ聴衆は熱狂的に拳を振り上げ、感極まって涙を流し、一緒に歌詞を叫んで陶酔しているような人たちもいた。
ナチスの敬礼の仕草を置き換えたような、両拳を頭の上でハンマーを交差させる動作でロジャー・ウォーターズの熱唱に応えていた。
ぼくはこの聴衆のファナティックさがこわかった。
そして白けてしまうのだった。
ナチスもヒトラーもクーデターで権力を掌握したのではなく、民主的に選ばれ、人々の支持を得て圧倒的な権力を握って行ったのだった。
そういう意味ではヒトラーよりも、一般民衆が熱狂的になり、カリスマを作りあげてしまうことこそが、社会の雰囲気がオセロゲームのように何かのきっかけで一変していくことこそがぼくにはとても恐ろしいのだ。
それは過去に限ったことではなく現在も未来も、どこの国でも起こりうることだから尚更恐ろしいのだ。
このライブでぼくはナチスを連想させるステージ衣装を聴衆の前で脱ぎ捨てるのではないかと思って見ていたのだけれど、そんな場面はなかった。それがあったらロジャー・ウォーターズの主張も少しは納得できたかもしれないけど。
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