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これはおそらく多くの人からぼくが煙たがれる一つの例だと思う。
それはお客さんとの会話の中でぼくが思ったことだ。
某駅に設置されてるストリートピアノ。
高齢の女性が同じ音階の単純なメロディーを延々と弾いていたとのこと。自分も弾きたくて彼女が弾き終わるのを待っていたが、一向に終わる気配がないため、他所に行って時間をつぶし、再度ストリートピアノのところにやってきた。しかし、彼女のたどたどしい演奏はまだ続いていたと言う。
『時間制限はないの?』とぼくがお客さんに質問すると、5分で交代するように貼り紙してあるとのこと。
『すみません。わたしも弾きたいので交代してもらえますか?』と老女にお願いすればいいことだけれど、遠慮して言えない人が多いのも理解できる。
言わないと気づかない人もいるので、ぼくが同じ立場なら間違いなくお願いすると思う。5分と言う制限時間を大幅にすぎているしね。そのお客さんは弾くための楽譜も持参していたと言う。
この話は当たり前の考え方と言えると思うが、お客さんとの会話は次の段階に進んでいった。
ここで、もしピアノを弾いてるのがとても上手な人だったとする場合だ。
通りすがりの人たちも次々に足を止め、その演奏に聴き入った情景を思い描いて欲しい。
5分の制限時間は瞬く間に過ぎ去る。
一曲終えたところでアンコールの声があちらこちからあがっている。
ぼくはピアノ演奏が上手でも下手ても、基本的には次に弾きたい人が居ても居なくても、5分と言う制限時間は同じでなければならないと考える。
これは私設ではなく公共のストリートピアノだから尚更だ。
『制限時間は5分ですのでこれでやめます。聴いていただいてありがとうございました。』って言う演奏者だったら、最高にスマートだし、カッコいい。
でも多くの演奏者は聴衆からアンコールを請われたら、断りきれず演奏を続けるのではないかと思う。それは無理もないことだとも思う。
この場合、ぼくは聴く側の方に気をつけなければならない問題の本質があると思う。
ピアノ演奏が上手いかそうでないかで制限時間そのものを有効にしたり無効にしたりしていないかという問題だ。
いわゆるダブルスタンダード。
愛想笑いが嫌いなのと同様にこのダブルスタンダードも嫌いだ。
皆がもっと聴きたいと思ってるんだからと5分という時間制限をいとも簡単に反故にしてしまうのはおかしいとぼくは思う。
まだ演奏者側のことになってしまうけれど、一度ピアノの席を離れ、『次に演奏される方はお見えになりますか?』と聴衆に問うてから『いらっしゃらないようなので、また弾かせてもらってもいいですか?』とことわってから、座り直して弾くなら偏屈なぼくも文句は言えないだろう。
本当は弾きたくても、そんな上手い演奏者の後では、気が引けて弾きたいとは言えないこともあるよね。
詰まるところ、ぼくは人によって態度や基準を変えるのが好きじゃないってことなんだよね。
ぼく自身も気づかずにそうしていないか注意しないといけないと思ってるよ。
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