2023年7月10日月曜日

【20230710:月】+++あるミュージシャンに対する違和感の根っこがわかった+++

 


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今からちょうど10年前の2013年12月30日に大瀧詠一が急逝した。ぼくは彼の楽曲や彼の声が好きだった。彼のような高音域の歌声が出せないにも関わらずカラオケで彼の楽曲をついついリクエストしてしまうくらいに。

そしてぼくがおそらく最後に聴いたF M番組「サンデー・ソングブック」は、年を越した2014年1月26日に放送された。ぼくはこの番組のMCをしてるミュージシャンも好きだった。この時までは。

ぼくが彼を好んだ理由の一つは彼の音楽全般に対するマニアックで広範な知識だった。ぼくはオタクやオタク気質な人に興味があるし好きなのだ。彼のCDも3枚持っていたりした。

話を戻して、ぼくが最後に聴いた彼の番組の中で、大瀧詠一との親しい交流もある彼に是非番組で大瀧詠一の追悼特集をやってほしいと言うリスナーのリクエストがたくさん来てると紹介された。

ぼくはそれは至極当然のことだと思った。

彼なりの選曲でもって偲びたいと言う人の願いは十分理解できた。

番組内でそれに対し彼は次のようにこたえた。

『大瀧さんが亡くなったあとですね、えー、番組宛に早く追悼特集をやれとかですね、追悼特集は誰も知らないレアアイテムをたくさんかけろとかですね、最低半年はやれと、そういう類のハガキが少なからず舞い込んでまいります。(中略)そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というものは、大瀧さんが最も忌み嫌ったものでありました。』

彼の言うような極端な追悼特集を希望した人はぼくは一部だと思っている。

そんなリクエストを例に出し、ファンとかマニアと言う人の独善性に自分は言いなりにはならないぞと言う意思表明をしたかったのだろう。

言い換えれば、彼の独自性をアピールしたかったのだろう。

彼が追悼特集をやろうとやるまいとぼくはどうでもよかったけれど、その時ぼくが感じたのは、彼の驕りだった。(他にも感じたことはあるのだけれど、ここでは省いておく)

彼自身ミュージシャンである限り、CDを買ってもらったりライブに来てもらったりして収入を得ているわけだ。番組にしても多くのファンが聴いてくれてるからこそ、何年も続く長寿番組になっている。

ファンに対し、何でもかんでも言うことを聞けと言ってるのではもちろんない。不条理な要求はスルーすればいい。この場合なら特異なファンの独善的なリクエスト例など持ち出さず、思うところあって追悼は自分の心の中だけで済ませておきたいのでどうかご理解頂きたい・・・とか。

彼の追悼番組に対する発言の中に、気に食わないなら聴かなければいいと言う突き放した感じをぼくは強く感じた。このことによって少しくらいのファンが消えたところで、自分の不動の人気や売り上げに影響なんてほとんど無いと思っている驕りに裏打ちされたものだと。

それ以来、ぼくは彼のこのラジオ番組を聴かなくなった。

そして昨日2023年7月9日(日)のサンデー・ソングブックでの発言問題が起こった。

故ジャニー喜多川の性加害問題について、音楽プロデューサー松尾潔の言及に端を発した事務所契約終了問題に対する彼の発言だった。

性加害問題に対する彼の認識の低さや、強いものに対する忖度も指摘される通りだとぼくも思っている。

そして9年前と同様だと思うのだけど、次のように彼は発言を結んだ。

『この様な私の姿勢をですね『忖度』あるいは『長いものに巻かれている』と、その様に解釈されるのであれば、それでもかまいません。きっとそういう方々には、私の音楽は不要でしょう。』

驕り以外の何ものでもないとぼくは思う。

ぼくは権威的だったり、威張っていたり、驕りたかぶってる輩が大嫌いだ。今回のことで9年前のことと根っこが同じだと自分なりに納得はできた。

はっきり言います。

ぼくにはあなたの音楽は不要です。


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