■□
鉄道の人身事故のニュースを聞くたびに或る違和感をぼくは覚える。
例えば「上り中央線は○○駅での人身事故のため30分から1時間の遅れが出ている模様・・・」のように淡々と列車の遅延状況が伝えられる。
そこには年齢、性別、一切の情報がない場合もある。
死傷者の詳細がすぐには特定できないだろうから人身事故とそれに起因する列車遅延の発生しか伝えられないのは理解できるのだけれど、ぼくの違和感の元は人の死より列車遅延の方が重要に聞こえてしまうことだ。
その遅延に遭遇した人の中には自分の予定が変更を余儀なくされたことに舌打ちして迷惑がる人もいるかもしれない。
鉄道自殺は多くの人に迷惑をかけるというのはその通りかもしれないけれど、それでも飛び込まざるを得ない状況に彼や彼女は追い込まれていたわけで、ぼくは気の毒でならない。
(鉄道の)人身事故という言葉を聞くたびにどんな人がどんな思いで飛び込んだんだろうと思わざるを得ない。
この国は自殺大国だ。
単純化して言わせてもらえば、社会を覆う非寛容さと自己責任論が人々を分断し孤立化させ、ひいては自死を選択させているのではないだろうか。
何の解決にもならないのは承知だけれど、せめて「亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします」とニュースの最後に付け加えたりはできないものかと思うのだ。
自殺者のでない、寛容な懐の深い社会にしたいものだよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿