2026年5月23日土曜日

【20260523:土】+++睡眠障害なんだろうな+++

 

■□

また眠れない夜をあかした。

時々ぼくは夜眠れなくなる。

「明日からまた営業日なんだからもう寝なくちゃ」と思えば思うほど眠れなくなる。

「明日は久しぶりに友人とサイクリングするからもう寝なくちゃ」と思えば思うほどワクワクして眠れなくなる。

思い返してみれば昔からずっとそんな具合だった。

やれ定期考査だから、やれ部活の試合だから、やれ入学試験だから。

そんな時は決まって眠れなかった。

気が小さくて臆病だからということもある。


眠れない時、頭と足の向きを逆にしてみたり、下着を脱いで真っ裸で寝てみたり、呼吸法を試してみたり、アレコレやってみる・・・のだが。

それでも眠れない時、とにかく横たわって身体を休めるだけでもいいやとじっと寝たふりをしてみる。自分に対して寝たふりをするわけだ。稀に引っかかって寝入ることができるときもあったりするから。

1時間ほど経ってそれでも眠れない時、スパッと眠る努力を諦め、起き上がって活動し始める。掃除したり、料理の仕込みをしたり、ブログを書いたりとかね。

そんなことが2ヶ月から1ヶ月半に一度くらいの割合でやってくるのだ。

いわゆる『睡眠障害』なんだと思う。

でも今まで「睡眠導入剤(眠剤)』は飲んだことがないし、飲む予定も今のところ無い。一睡もできなかった日の夜には泥のように眠ってしまうからだ。

今日みたいな日の昼間、一番心配なのは注意力が散漫になることだ。

お客さんに飲み物をこぼすような粗相したり、モノを落として壊したり、お湯で火傷したりとか。 。。

そんなことがないよう今日はいつも以上に注意しなければね。

何事も起きませんように!

 

 *ところで、今日の写真は何を撮ったものかわかる?

わかったらすごいよ!

答えは

瓢箪の内側。

あの穴の奥を覗き込むと長いトンネルのようになっていて別世界にワープできるのかもしれないよ。

これも1つの世界だよね。

 


2026年5月22日金曜日

【20260522:金】+++現実逃避なのかもしれない+++

 

■□

7年前に亡くなった父のことを最近よく思い出す。

ぼくと異なり無口でコツコツと何事においてもやり通す父だった。ぼくが有言実行タイプなら父は不言実行タイプそのものだった。

草取りもそんな父のおかげでぼくはやろうともせず、父にお礼の言葉さえ言わず任せっきりにしていた正真正銘の親不孝者だ。

今になって父のありがたさを噛み締め、父にすっかり甘えていたぼくのダメさを思い溜息するばかりだ。

GWの休業中のこと。

板塀塗装のためにローズマリーを抜いたことが契機となり、その流れで駐車場の草取りをしだしてからというもの、時間ができると草取りをしている自分に気がついた。

草取りに夢中になると頭の中が真っ白になる感じなのだ。

何も考えないで一心に雑草を器具を用いながら根っこごと引き抜く。特に根っこごとすっぽり抜けたときは格別だ。

何よりこの単純作業が心地よいのだ。

陽が傾き出した頃から、あっという間に3時間が過ぎたこともあった。午後7時を過ぎて暗くなり見えなくなるまで。

ぼくはふと父も同じだったのではないかと思った。

単純作業が苦手な人ももちろんいるだろう。でも逆に単純作業で心が凪ぎる人もいるはずだ。

ぼくは後者だ。そしておそらく父も。

現実逃避・・・なのかもしれないけど、誰かに迷惑をかけるものではないので良しとしよう。

この現実逃避作業のおかげで、駐車場は以前より広々とし、こざっぱりした感じがするのは手前味噌ではないと思いたい。

これから先、この状態をキープできるかどうかはわからないけど、少なくともぼくは草取りが嫌ではないことだけは自己認識できたし、父に感謝の気持ちを持てたことも悪くないと思ったのだった。

蛇足ながら、この草取りで一番の強敵はイシクラゲだ。雑草というより苔の一種みたいで生命力がとにかく凄まじい。晴れて乾燥すると黒く干からびたカットワカメみたいになり、あたかも死んだフリをしてるのだけど、雨が降ると吸水して復活し緑っぽいふやけたワカメみたいに大きくなるのだ。さらに水分を含むと分裂し増殖するという。そのため夥しい数のイシクラゲが湿気の多い土のあたりを中心に繁茂し増殖し続けている。いくらとってもキリがなくて、これには本当に参っている。バーナーで焼いてやろうかとか、ケルヒャーの蒸気を当ててやろうかと考えたりもしているのだけど。因みにイシクラゲ専用の駆除剤があるのだけど10,000円以上するのでちょっと手が出ないし、この駆除剤を使っても完全には駆逐できる訳ではないらしいので尚更躊躇しているのだ。やれやれ。


2026年5月21日木曜日

【20260521:木】+++母は退院したのだけれど+++

 

■□

昨年の5月から3度目の入院、そして退院。

1度目は施設での転倒による大腿骨骨折のための手術での入院。2度目は今年3月に腰椎骨折で入院。そして退院から1ヶ月後の5月5日、この日は偶然にも母の94歳の誕生日なのだけど、誤嚥性肺炎のため入院したのだった。

この1年で3回の入退院となった。

入院ごとに母は痩せていき、認知症もしだいにその深度を増していった感じがする。母の記憶の中の世界と現実世界の区別がより曖昧となり、時間軸も現在と過去が入り乱れている。母と病院で話すとそんな感じだ。母の手や腕をみると、おそろしいほど痩せ細ってしまっている。骨と皮、そして植物の細かな根のような血管がくっきりと浮き出ていて、痛々しい。

母の血管はすごく細く、毎回看護師泣かせだが、実際のところ、一番痛い思いをしているのは母だ。血管の細さだけでなく、血管自体も脆くなっているので、すぐに点滴がはずれ、漏れ出した点滴の痕で母の手の甲や腕はいたるところ黒く変色してしまっている。

今回の入院では折れたままの腰の痛みと誤嚥性肺炎による高熱と食欲不振と点滴の痛みで本当にかわいそうな状態だった。

それでも抗生物質のおかげで炎症や熱も収まり、おしゃべり好きな母に少しどってきたことだけが救いだったと言える。

今現在、一番の心配事は食欲が戻らないことだ。

あれだけ甘いお菓子や果物が好きで、施設の面会時に差し入れしたものをペロリと平らげていた母なのに今は「食べたくないなぁ」というばかりだからだ。

『老衰』(老衰による死)という言葉をぼくは考えざるを得なくなった。

母はすでに『老衰』という死へのベルトコンベアーに乗っかってしまったのだろうかと。

来年5月に95歳の誕生日を迎えることはかなり厳しい、そんな状態になって来た気がするのだった。

 

2026年5月13日水曜日

【20260513:水】+++永代経と二人展+++

 

■□

覚王山日奉寺の永代経に参列。

久しぶり。

ここのお経は10人くらいのお坊さんが一斉にとなえるので荘厳な宗教音楽のようでいい。

毎日12時半からやるので永代供養や納骨をしてない人でも参列して見てみるといい。 

覚王山日奉寺はどの宗派でもいいのもいい。ぼくも特定の宗派を信仰してるわけではないから気が楽だ。

普段着でお参りできるのもいい。

ぼくもすぐ近くのギャラリーでやってる二人展を見に行くついでに参列した。

 

夫婦による二人展。

奥さんは絵。

旦那さんは立体オブジェ。

ぼくのお気に入りは布でできた不思議な動物。

存在感、質感は彫刻家だけにさすがだった。

 


2026年5月12日火曜日

【20260512:火】+++写真展@無我苑+++

 

■□

碧南市の無我苑に行くたびに、とても遠く感じる。

それでもこれが4回目くらいなのでやっと道順を8割くらい覚えられた気がする。

 

VOUSHOでも個展やワークショップをやった竹谷さんの写真展。

1800点の写真はまさに圧巻以外のなにものでもなかった。

平日で入館者も少なくじっくり見学できたのもとてもよかった。

刺激をもらった。

見て、あ!っと思ったものを帰り道から積極的にiPhoneで撮ってるぼく。

単純だ。

刺激をもらえるかどうか。それがぼくにとって意味のある展示かどうかの評価基準なんだろうな。

2026年5月9日土曜日

【20260509:土】+++お気に入りのぼくの自転車+++

 

■□

昔、もう15年以上前かな。

某オークションでフレームサイズの大きいミニベロのまさにフレームのみを落札した。ビンテージでもなんでもない自転車。

それを当時守山区にあった(今は大阪に移転)隅除輪業の量太さんにお願いし、ギアをシングル化し、更に後輪をコースターブレーキ化してもらった。ハンドルはビーチクルーザーに使う幅広で大きく弧を描くものにした。ぼくはこの自転車をVOUSHO号と名付けた。

ところがビーチクルーザー用のハンドルがぼくの膝に干渉してしまい、とにかく乗りにくい。正直言って危険だった。そこで自分でハンドルをカットし長さ調整してみたのだけどあまり効果無し。そんなに短くもできないしね。

次第にVOUSHO号の出番は少なくなり、お蔵入り。。。となっていた。

そこで昨年ハンドルを別の自転車に使っていたノーマルっぽいものに交換してみた。そしたら見た目のアンバランスさ(これが好きなんだけど)は失ってしまったものの俄然乗りやすくなった。当たり前なのだけど。

急な下り坂や長く続く下り坂ではコースターブレーキは楽だ。ペダルを漕ぐのを逆回転させればブレーキがかかるのだ。つまり足の力だけでブレーキングってこと。ブレーキワイヤーやギアのワイヤーもなく、前輪ブレーキのワイヤーだけという見た目のシンプルさもいい。

そこで今回は藤のカゴからより荷物がたくさん載せられるスチールのカゴに交換した。友人のカゴに刺激されてのこと。これは無印良品の自転車で使っていた無印純正の白い大きなカゴ だ。錆びついていたので全体をやすってミッチャクロンとラッカースプレーでつや消しクロにお化粧直しした。

このVOUSHO号で友人と海を眺めながらポタリングする予定だ。

ぼくは急な坂道はすぐに自転車を降りて押してのぼる。ストイックさを求めるサイクリングは断固NG!なのだ。

歩くような速度でタラタラ海辺の路地裏なんかを自転車で散策するのが好きだ。

そんなサイクリングならどうかお誘い下さい。軽トラにVOUSHO号を積んで馳せ参じます。

 

2026年5月7日木曜日

【20260507:木】+++無為に過ごせなかった+++

 

■□

銭亀さんにこの連休は無為に過ごすと宣言してたのに、ぼくはあれこれ作業したり母の入院だったりで更に疲れてしまったのだった。

ブログですでに書いたこと以外に何をしたかと言うと、こんな具合だった。

お店の駐車場の草取りから始まり、オリーブとシマトネリコの剪定、更には駐車場から道路の側溝にまで進出してしまった初代の(つまり一番古い)ローズマリーをバッサリと刈り取ったのだった。

一日中剪定バサミで太い幹もカットしまくったので、翌日から朝起きると右手がパンパンにむくみ、親指と人差し指と中指の第2関節に痛みが走るようになってしまった。相変わらずぼくは愚かだった。

そして次にやったのが防虫防腐効果のある黒色のキシラデコールを道路側と駐車場側の黒板塀に塗ったのだった。その日は天気がよくて、半日でしっかり陽焼けしてしまった。もっと早朝からやるべきだった。陽焼けは体力を消耗する。それはわかっていたのにぼくは愚かだった。

また別の日には大きなビニール袋に入れっぱなしで外に放置してた古材にカビが生えそうだったので、この機会にタワシで洗い始めてしまった。こうした単純作業は何も考えなくてもいいのでやっていて気持ちいい。一皮むけてきれいになった板目を見ると達成感もあったりしてね。それぞれの板の使い途を考えるのもまた楽しいだろう。


そんな時に母が入院となったのだった。

他にはVOUSHO店内に工業系の照明器具を取り付けたり、自転車の前カゴを別のカゴに取り付け直したり、とにかくこちょこちょあれこれしていた。まさに貧乏暇なし状態だった。

結局11連休のうち、今日と明日は仕込みがあるので休みではないのだけど、何もしないで家でゴロゴロ寝てたのは9日間の中でたった一日だけだった。

休みの時に休養し鋭気を養うならともかく、休みのたびにくたびれてしまっていては本末転倒も甚だしい。わかっちゃいるけどやめられないぼくは本当に愚かだ。

それは十分承知しているのだけど・・・無為に過ごすというのはぼくにとってかなり高難度の修行のようだ。

ぼくの修行はそれこそ無為に続いていきそうだね。

 

2026年5月5日火曜日

【20260505:火】+++母再び入院+++

 

■□

母は昨年5月15日に施設内で転倒し、大腿骨骨折のため入院・手術した母。退院したのは6月3日で、20日間の入院だった。

そして今年3月23日。

今度は転倒もしてないのに第3腰痛を骨折し入院。母の体の型をとって作ったコルセットで固定するだけで4月6日に退院。 15日間の入院だった。

そして今日、5月5日。

実は今日は母の94歳の誕生日でもあった。日曜日と祝日は面会できないという規則の施設のため誕生祝いは5月2日に面会して行ったのだけど、その日も嘔吐し食欲がないと聞いた。

今日も午前中に嘔吐し、38.5℃の発熱と悪寒の連絡が施設の看護師さんからあり、救急外来で診てもらうことになった。ぼくは午後5時40分頃に救急病棟に到着した。GW連休ということもあり、救急外来はとても混んでいた。病院まで施設から付き添ってくれた看護師さんから色々話をうかがった。彼女が帰ってからも診察の順番はなかなか回ってこなかった。

やっと診察室に呼ばれ、まずはコロナとインフルの検査。そして血液採取。それからレントゲンとCT撮影となった。それが終わってからまたしばらく待合室で待った。次に呼ばれた時はERの隣にあるカーテンで囲われたベッドに移され導尿による採尿や点滴が始まった。

午後10時前に若い女性医師から入院するように言われた。今回は誤嚥性肺炎の疑いがあるからだった。

心配して病院に駆けつけた時、救急外来で車椅子に乗った母を見たら、いつもとさほど変わらぬ様子で安心した。相変わらずおしゃべりだったからだ。しかし、待っている時間が1時間、2時間、3時間と長くなるにつれ、目をつむって黙っている時間が長くなった。ぼくでさえとても疲れて来たので当たり前だろう。 

この1年で3回目の入院となった。

そして入院するごとに明らかに母は体力的に弱まり、食事の量も少なくなって来ている。

父は7年前の2019年5月2日に亡くなったことも何度言っても忘れる母。今でも生きていると思い、面会や見舞いに来ない父を心配している。 

入院した後も高齢のため体調が急変することだってある。

また母が施設に戻れるよう回復することを願うばかりだ。


 

2026年5月4日月曜日

【20260504:月】+++OH! MY GOD! 雨漏り!+++

 

 ■□

雨漏り!

ずっと恐れていたこと。

開店当時からずっとね。

いつか来るって思ってた。

築50年以上の古いスレート屋根の工場だったからね。

顛末はこんな具合。

4月26日(日)の深夜の雨で天窓付近から1階床に雨漏りあと。

床がまるでおしっこしたみたいに濡れていた。

2階から天窓を調べたけれどこれといった雨漏りあとは発見できず。

5月1日(金)昨夜の雨の影響を見にお店に来たら琺瑯のたらいに50ccの雨水が溜まっていた。

やはり雨漏りに違いなかった。それでも天窓周辺に雨漏りあとは見つけられなかった。

漏れているときに見ないとわからないのかもしれないね。

翌日の5月2日(土)に実家の屋根にのぼりそこからスレート屋根の状態を目視する。

すると1箇所5cmくらい穴のあいたような箇所があり、知り合いの元板金屋さんに見積もりを電話で依頼。5日(火)に来てくれることに。

5月3日(日)夕方から雨で深夜に雷をともない激しく降る予報。

そのためぼくより体重が軽く(スレートは脆くなっているので割れる可能性大のため)、高所も大丈夫な家人がスレート屋根にのぼり、雨漏りの原因と思われるひび割れ箇所とスレートが欠けた箇所に防水用アルミテープを貼ったのだった。

翌日設置しておいた琺瑯のたらいには雨水は一滴も落ちていなかった。

元板金屋さんにもこのことを伝え、とりあえず、しばらくこのまま様子を見ることになった。

果たしてこのアルミテープどのくらいもつことやら。。。

屋根をガルバで貼り直すような大規模改修工事も想定しておかなければならなくなった。

やれやれだね。

 


2026年5月1日金曜日

【20260501:金】+++やっと行けた珈琲店+++

 

■□

開店してから1年も経ってしまった。営業日が重なっていて、ぼくが行けるのは金曜日だけ。金曜日は翌日からの営業のための仕込みをしてるので行くことができるタイミングがなかなかやってこなかった。

今回GW中の営業日をぼくは休業することにしたのでやっとそのタイミングがやってきたわけだ。

お店は名古屋の大須の西にあたる場所に位置している。どうやら花の卸売市場みたいな建物の一劃にある。駐車場がないので、お店の近くのコインパークに停めた。本当はマンションから自転車で来るつもりだったけれど昨夜からの雨が上がりきらなかったので諦めて車で来たのだった。

お店自体は大きくはないけれどシンプルな作りで清潔感溢れていた。音楽もかすかに聞こえる程度。平日のオープン直後なのにすでにお客さんが二組 。人気店だ。二人の人柄からだろう、近所の人とも知り合いになっていて声をかけてもらったりしていた。

ぼくはネルドリップのマンデリンとイチゴのパンナコッタを注文した。

旦那さんが淹れてくれたコーヒーはまろやかで、カップも温かみのある作家モノで美味しくいただいた。

そして奥さんの作るパンナコッタも美味しくてペロリと食べ切ってしまった。

店内には静かな時間が流れていた。

すると突如、けたたましい警告音が鳴り出したではないか。

お店の外にある警報が誤作動して甲高いベルの音が鳴り響いていた。

窓を閉めたりシャッターを半分まで下ろしたりと少しでもうるさくないよう旦那さんはお客さんに配慮していた。

10分か15分か、そのくらい鳴り続けていたように感じた。

人の耳というか脳はうまくできていて、この大音響に集中しないようにできているみたいで、徐々に気にならななくなって行った。

そして再び唐突に鳴り止んだ。

岡崎夫妻によると、こんなことは初めてだそうだ。

ぼくは思い出に残る日に来店できたということだ。

もっと色々話しをうかがいたかったけれど、それは次回のお楽しみということでお店を後にした。

そうそう、今日は食事類がなかったので、次回は岡崎さんの手作り料理を注文しよっと。 

それから奥さんの岡崎さんはFUNNEL名義でぼくのお店で骨董市をやってくれたり、夫婦で来店してくれたりととてもお世話になっていたのです。


 

2026年4月27日月曜日

【20260427:月】+++GW中、臨時休業することにした+++

 

■□

4月の営業日も今日がラスト。ぼくの中では今日で4月も終わり。つまり2026年も3分の1が過ぎてしまったということだね。

母が腰椎骨折しての入退院。施設に戻ってからの腰痛の再発とコルセットの着用位置等々。その前にはぼくの体調不良と物置を作業部屋に改装する工事スタートとあれこれ重なって多忙を極めていた。正直疲れたし、疲れが取れないうちに、淀みのように新たな疲れが以前の疲れの上に堆積していった。そんな感じの今日この頃なのだ。

そんなこともあって今年のゴールデンウィークにかかったVOUSHOの営業日は思い切って臨時休業にすることにした。

早速、SNS(twitterとインスタとFacebook)とホームページに臨時休業の告知をした。

それに加えこの期間中にきてくれそうな人たち(特に遠方の人)に個々にSNSのDM等で連絡した。

それでも営業してると思って来店してくれる人たちが毎回いて、いつも本当に申し訳なく思っている。今回もきっと少なくない人たちがやってきてはがっかりして帰っていかれることだろう。心苦しい。ごめんなさい。

twitterだけは営業日に投稿しているけど、InstagramもFacebookもHPも5ヶ月ぶりの投稿で放置プレーも甚だしい。いくらSNS自体が苦手だとしても、お詫びするしかない。これも、ごめんなさい。

GW明けの5月9日(土)からはまたいつも通り変わりばえなくひっそりと営業再開しますので何卒よろしくお願いいたします。

*HPのトップページの文言も変えた。英語と日本語の併記は敢えてやめ、英語だけにした。このどうしようもない国内向けでなく、世界に向けての意思表明ってことになったりするといいんだけど。

2026年4月16日木曜日

【20260416:木】+++7年ぶりの風邪+++

 

■□

『馬鹿は風邪をひかない』という。

ぼくは父が2019年5月2日に亡くなってから風邪をひいたことがなかった。その間、コロナ禍もあったけれど、コロナにもインフルエンザにもかかることはなかった。

ただし、父の葬儀の疲れからか帯状疱疹になったのと、3度虫垂炎になり、3度目に手術したことだけだった。

喉のちょっとしたいがらっぽさを感じたのが4月9日(木)ですぐに市販の風邪薬を飲んだのだけど翌日からは発熱以外風邪の諸症状が次々に現れた。

今振り返ると当たり前だけど営業日の土日月に症状はさらに悪化した。

なんとか営業日を乗り切った翌日火曜日、軽トラ・ジャンボの半年点検と知り合いの作家さん二人の個展をはしごして自宅マンションに戻った時が底だった。

それから1日半ずっと寝て過ごしたおかげでやっと快方に向かってきた状態。食事の時とトイレ以外ほとんど寝ていた。何時間寝ても寝足りないほどだった。

まだ今日も時々咳や痰が出るし、疲労感は残ってるけど、それでも随分良くなった気がしてる。

今回のことで、ぼくのような自営業者は体調管理も仕事の1つにしないといけないことと、若い頃と違いリカバリーに時間がかかることを認識すべきだと思い知った。丸1週間かかったからね。

若い頃、発熱を伴わない体調不良なら栄養ドリンクと一緒に風邪薬を飲めば翌朝にはほぼ良くなってたわけだけど、もうそんなわけには行かないということ。

そして今回実は一番辛かったのは味覚がなくなっていたことだた。食欲はあって口に含んでも味がしないことだった。(今日は味覚も戻ってきているけど、相変わらずコーヒーは口がまずくて飲みたくない状態)

明後日からまた営業なのでぶり返さないようにしないといけないね。無理が利かなくなってきたことを認識すべし!だね。問題は無理してる自覚がないことなんだけどね。

 

2026年4月6日月曜日

【20260406:月】+++母、退院した+++

 

■□

午前11時半、母は退院した。

しかし背骨の骨折はそのままでコルセットで痛みを和らげるだけ。今後施設での生活はより大変なものになるだろう。何をするにも痛みを伴うのだから。高齢になると全身麻酔の手術もできず『様子見』しか無くなる。長生きをするということは、いろんな側面があると改めて思い知らされる。

そしてなんと4日後の金曜に受診予約が組まれていた。レントゲン撮影しての受診だ。この受診に一体どんな意味があるのだろう?

 

2026年4月4日土曜日

【20260404:土】+++とても疲れているのは季節のせい?+++

 

■□

季節の変わり目、と言うこともある。

母の入院諸々だったり、物置改装工事の準備だったり、花粉症の影響だったりもある。

それより年齢的に当たり前なのかもしれない。

他人のカラダに入ったことがないので比較できないわけだが、自分史的に とにかく癒えない疲れを感じている。 

昨夜だって8時間半も寝たのにだ。

これはぼくも無呼吸症候群ってやつかと疑ったりもするが、どうなんだろう。

諸悪の根源はストレスだと思うけど、教職を退職してからと言うもの、大きなストレスとは無縁になり、さざなみのようなストレスくらいになったとこれも実感している。

だけどストレスフリーではない。

かえって小さなストレスに過敏になってしまっているかもしれない。

新年度。

どこの職場も大変だと思う。

ぼくはいつも通り変わり映えなく一人でお店を営業してるだけなので、何も変わらない。

ありがたいこと。

この疲労感と眼精疲労がもう少し軽減してくれるといいんだけど。

それは贅沢というものかな。

1つ良い報せは、母の退院が来週月曜日の午前中に決まったこと。病室のベッドにいるよりは施設に居た方がずっと良い。腰の骨折部位の根本治療はできなくて、コルセットでしのぐしかないのだけど、母がまた施設に戻れるまで回復してホッとしてる。来月に母は満94歳を迎えることになる。

2026年4月2日木曜日

【20260402:木】+++作業部屋化工事始まった+++

 

■□

昨日は雨だったので物置掃除が最後までできなかった。端材を梱包して外に出す作業ができなかったからね。

そのため工事の始まる午前10時までにモノを撤去しないといけないので朝から作業していた。ほぼ完了した午前9時半にすでにぼくはぐったり疲れてしまった。この1週間本当に大変だった。

午前中はまた打ち合わせ。作ってくれた図面資料をもとに使用木材を決めたりした。その後、材料の調達にTさんは出かけ、戻って来た2時からまずは透湿防水シート貼りと断熱材のはめ込み作業が行われた。

いよいよ作業部屋への改装工事が始まった。写真だと広角なので広く見えるかもしれないけれど、7畳ほどしかない長細い空間だ。この空間がどのように変わっていくか具体的に想像するのも楽しい。

作業は基本的に毎週木曜日の1日だけ。

完成までの道のりは長いけれど、それだけ長く楽しめるわけだね。

2026年3月30日月曜日

【20260330:月】+++ザワザワ3月+++

 

■□

3月はザワザワした月だった。

プライベートですべきことも多く、毎日カレンダーでチェックを怠りなくしないととんでもないミスをしでかしそうだった。

そんな月もあるね。

そして3月も終わろうとしているこの時期、桜は満開を迎えているらしい。数日後の雨で桜は散ってしまうだろうと今日友人がいっていた。

桜をのんびり愛でる、そんなゆとりが今のぼくに無いのが残念だ。

『見なくちゃ』と思いたくない。

それは何か違う。

偶然通りすがりにチラ見するだけになりそうだ。

こんな春もあるね。


2026年3月28日土曜日

【20260328:土】+++ドラマのタイトルが覚えられない+++

 

■□

なぜかタイトルが覚えられないドラマが最終回を迎えた。

監督が今泉力哉だったこともあって(実はもう1つ大きな理由があったのだけどそれは内緒)何回も見直した。

それでもタイトルが覚えられなかった。

『冬のなんとか、春のなんとか・・・』

ちょっとこういうタイトルは苦手。

以前、高級食バンの店名に屋号とは思えないのがやたら増えた時のアノ感じに似てると思った。まるで拒絶するようにぼくの頭に入ってこなかった。

 

このドラマは単純に言うなら20代から30代前半と思われる若者の恋愛劇。

セリフが長く、長回しだし、会話劇みたいな感じなのは異色だった。

主演の杉咲花の演技はビッチな女性の内面を見事に演じ切っていた。

色々と登場人物の人間関係について思うところはあるのだけど、端的にぼくの感想を言うなら『面倒くさいなぁ』となる。

ぼくの若い頃もそうだったのかもしれないけれど、あれこれかけひきしあったり、理屈っぽく説明したりと恋愛にかけるエネルギーってこんなにも大きく、生活の大きな部分を占めるものだったのかなぁと。ああ、面倒くさい。

もっと単純でいいのではないか。一緒に居て疲れず、世界の見方のベクトルも同じ方を向いていて、お互い楽しい時を過ごせられるならそれでいいではないか。

最終話の公園のシーンでぼくには少し唐突に思えたのだけど、『戦争反対!』と小太郎(岡山天音)に叫ばせたのは昨今の世界や国内情勢を鑑みてのことだったのかな。

それにしても、ぼくにはこのドラマのタイトルが内容と符合して捉えられない。そして覚える気も全くない。

やはりぼくは相当の馬鹿者だな。

*写真は千代田街道沿いにある入ってみたいエスニック店3店舗。3店舗が隣り合って連続してるのもすごい。本文と全く関係無しね。


2026年3月26日木曜日

【20260326:木】+++工事のための片付け開始+++

 


■□

来週から物置の作業部屋化工事が始まるので、物置の荷物の移動を午前から始めた。

腰を痛めないよう、無理をせず、一人でぼちぼちやることにした。

やり始めた時は先が全く見えず途方に暮れそうになった。

何事も少しずつ継続していけばなんとかなるもの。

少しやっては休憩し、また少しやっては休憩。

サッシの掃き出し窓もはずして掃除したので開閉もスムーズになった。

作業を終えた午後4時半頃までに半分から3分の2くらい片付いたように思う。

よくここまでやれたものだと思った。(写真だとまだモノがいっぱいに見えるけど、これでも

かなり少なくなったのだ)

工事が始まるまでに片付け完了できる見通しができてよかった。

明日以降も毎日少しずつ片付け継続するね。


2026年3月24日火曜日

【20260324:火】+++母の入院+++

 


■□

昨日母は入院した。

今日の午前9時半頃、整形外科の医師から電話があった。昨年骨折した大腿骨は問題ないが背骨骨折しているとのことだった。母が痛みのために立ち上がれなかったのはそのためだった。

高齢のため手術はできないので、母の身体に合わせたコルセットを作ることを勧められた。もちろん同意した。

来週の火曜日に母の骨折についての説明を受けることになった。

総合内科では見つけられなかったが、入院したことによって整形外科でも診てもらえ骨折がわかってよかった。

総合内科の医師は入院させるかどうか迷っていたので、こちらから入院を希望したのだった。もしあのまま母を施設に戻していたら痛みで寝たきりになっていたかもしれない。

午後4時半頃母の様子を見に行った。

母は左向きにエビのようになって眠っていた。

それが母にとって痛みが少ない姿勢のようだった。左腕に点滴をしていた。

目覚めた母は「早くお迎えが来てほしい」と弱音を吐いていた。

痛みは気力を削ぐ。

なんとか痛みがなくなるか軽減して欲しいと願わずにはいられなかった。

26日(木)の夜7時半頃に母の面会に行くと既にコルセットをし上体も起こしてベッドにもたれていた。痛みも無いようでホッとした。母の表情も良くなったように思えた。

2026年3月23日月曜日

【20260323:月】+++本日臨時休業します+++

 

■□

昨日夕方、高齢の母(93歳)の調子がよくないと施設からの連絡があった。

食欲旺盛な母が食べれなくなり、嘔吐もしたようだ。右大腿部骨折の箇所に痛みもあり、車椅子に移れずベッドで伏せているとも。便秘も6日目になり、かろうじてカロリーメイトを今朝一つ食べたとのこと。血尿も時々あるようで心配は絶えない。

そのため急遽病院へ付き添うことになった。

連休明けということもあり、病院は混雑していて待ち時間も長い。営業開始時間にとても間に合わないので今日は臨時休業することにした。

せっかく来てくれた人には本当に申し訳ない。

ごめんなさい!

✳︎昨年5月に入院したので1年間に2度目の入院となりました。

連休明けで大変混雑していて時間がかかりました。


2026年3月22日日曜日

【20260322:日】+++マタヤラカシタ+++

 

■□

またやらかした〜!

営業してるのにお店の入り口の看板を『CLOSED』のままにしていたのだった。

そのため、ぼくが気づいただけでも2組6人のお客さんが去っていった。

3連休最後の日曜日。せっかく来てくれたのに申し訳ないことをした。

本当にすみません。。。

時々、うっかりミスをするぼく。

歳のせいもあって、ミスの頻度が上がってる気もする。

今日のように『OPEN』にしてなかったり、外灯を点け忘れたり、入り口の鍵をしたままにしてたり。この3点はいつもチェックしないといけない。いつものルーティンとして何も考えずにやるとこういうことになる。

なんでも疑うぼくなら、『CLOSED』でも本当にやってないかお店の入り口を開けてみようとするのだけど、看板を見て素直に休みなんだと諦める人もいる。割合的には後者の方が多いのかもしれない。本当に注意して間違えないようにしないといけない。

これに懲りずまたタイミング合ったらお越しくださいね。

 


 

2026年3月19日木曜日

【20260319:木】+++1年近くかかって動き出したこと+++

 

■□

昨年、MacBookのSSD化でお世話になったTさんと二度目のお付き合い。

今回は物置の作業部屋化をお願いすることになった。

元々はガレージだったものをVOUSHOを開業する時に物置に改装してもらっていたのだけど、今回はそれに床と壁と天井に断熱材を仕込み構造合板で覆い部屋にしてしまうというもの。

今月中にこのリノベは始まるだろうけど、ぼくの妄想から始まり具体化するのに1年ほど要するにことになった。

完成は5月末を予定している(Tさんは他に仕事があるので週に1日か1日半の作業のため)。

とても楽しみ。

この空間ができたら、その中身はぼくが棚や作業台をレイアウトしたり、壁板を別に貼ったり、作りつけの棚を作ったりするつもり。空調も取り付け、ぼくの作業だけでなくワークショップもできるようになったらいいなと思っている。

とりあえず、工事できるように荷物を撤去することがぼくの目下の任務。

が、これが実はすごく大変。毎日少しずつやるしかないねぇ。

*別件だけど、先日このブログに閲覧制限をつけて見たら、全く空白のページ(about blannk)しか出なくなってしまい諦めた。他の無料ブログサイトに移行するしかないのかな。

 

2026年3月15日日曜日

【20260315:日】+++目玉焼きと卵巻き考+++

 

■□

自炊するようになって十数年経つ。

ぼくが食事を作るときに注意してることはとにかく怪我をしないこと。

慣れてきて油断すると指を切ったりするから。

ちょっとした切り傷だってヒリヒリして痛い。

あの痛さをあじわいたくないから、指を切らないようにすごく注意してる。

そのおかげでここ10年間一度も包丁で指を切ったことはない。

でも一度だけ洗い物の時、手を突っ込んだ先に包丁があって切ったことがある。

まさか!・・・だった。

それ以来、最初に包丁を洗って水切りカゴに立てている。

 

前置きが長くなった。

 

今日のお題は目玉焼きと卵巻き(卵焼きと言った方がいいのかなぁ)。

この2つは簡単そうで難しい。

奥が深い・・・と勝手に思っている。

理想的な目玉焼きってなかなかできない。

半熟で綺麗な形にするのはとても難しい。

ポイントは火加減だ。

ある時点で火を止めたり、余熱態勢に入ったりする。(ぼくは蓋をして調理してる)

この火加減というのは、他の料理の時でもある意味最も大切な調理を成功させる要素なのではと思ったりする。

いくら味付けが良くても、火加減を間違ったら台無しとまではいかなくてもとても残念なことになる。

 

卵巻きもそうだ。

焦らずにうまく卵を巻けて行ったときは嬉しいし、焦げ目もなく綺麗に焼けたときの達成感も半端ない。

だから、ぼくは目玉焼きと卵巻きは料理の基本中の基本が詰まっていて、これらをうまく調理できたら他のものもできるんじゃないか・・・とすら思ってる。(専門家から言わせたら違うかもしれないけど)

今朝卵6個使い、顆粒出汁ときび砂糖、それに千切りした大葉をたっぷり入れた卵巻きが自分的にはうまく焼けてとても嬉しかった。

これぞ本日の小確幸!・・・だった。

 

目玉焼きと卵巻きを日々作り続けながら、現在の料理のレパートリーを増やしたり、応用を効かせるようになりたい。

そう思う一方でご飯を鍋で炊けて、具沢山の味噌汁を作れて、卵巻きがさっと焼けるなら、あとは怖いもの無しだ!と思う自分もいたりする。(前の二つはなんとかできるのだよ。卵焼きはさっとはまだできないなぁ)

自立した人となるには経済力だけでなく、男女に関係なく台所力も欠かせないと思ってるからなんだけどね。

でも食べ過ぎ注意!だねぇ。

2026年3月12日木曜日

【20260312:木】+++2025年度確定申告提出+++

 ■□

初めて締め切り日ではなく少しゆとりをもって確定申告を提出した。ぼくにしては快挙!

気分がいい。

なので自転車で税務署に行った。

今ではe-Taxで電子申告する人が増えたのか駐車場も空いていて駐車場案内係の人も暇そうに見えた。

ぼくも来年度は電子申告に取り組んでみようかと。

今回、名古屋の行きつけの古本屋(すでに閉店して20年くらいになるのかな)で知り合った元会計士の友人にアドバイスしてもらい、とても勉強になった。Cさんに感謝!

さ~て、宿題も終わったので気持ちも晴れやか!

少し何かをやる気になってきたかもなぁ。

2026年3月11日水曜日

【20260311:水】+++あれから15年 +++

 


■□

東日本大震災から15年経った。

あの日ぼくは一階の職員室で弱くない揺れを感じ、すぐさま二階の図書室で会議中のボランティアさんたちの様子を見にあがった。幸い名古屋にあるこの学校のあたりではグラウンドに生徒を避難させるほどの揺れではなかった。しかし、その後会議室の大きな液晶テレビの画面にうつしだされた映像にぼくはとてもショックを受け、気づいたら涙を流していたのを今でも克明に覚えている。

津波が家や車をあっという間に呑みこみ、船が堤防を越え町中に押し流される様子が画面に映し出されていた。なり続ける甲高いサイレンの音が自然の猛威と無常さを増幅させていた。自然の力の前に人の営みはあまりに無力で成すすべもなかった。

その後の原発の爆発と放射能の恐怖。この国は根本から変わらざるを得ない・・・と思ったのだけど。。。

多くの人命が失われ、莫大な被害を被りながら、その教訓を果たしてぼくらは、そしてこの国は活かせているのだろうか。




2026年3月9日月曜日

【20260309:月】+++ロスタイムに生き急ぐ+++

 

■□

自宅マンション。新築購入してからすでに40年近く経っている。そのため、あちこちガタが来てる。

特にベランダからの漏水問題。昨年は保険で漏水部分の床と畳、壁紙を無償交換してもらった。それでも根本的に漏水問題が解決したわけではない。これは構造的な問題だからだ。

売却も考えたけれど、二束三文の値段しかつかないようなら、自分のカラダ同様、問題箇所とうまく付き合って行く、そんな選択の方が良さそうだ。

売却を思いとどまった要因の1つに、眺めの良さがあった。3LDKのうち、リビングと2部屋が南に面しているので陽の光を存分に楽しむことができる。幸い視線被曝するような高層の建物も近くになく、南方にある里山緑地を眺めることができる。春になれば里山との中間点にある河川の遊歩道に満開となる桜を遠くにうっすら見ることもできる。

親子世帯では手狭に感じられた専有面積も今ではちょうど良いサイズ感。部屋の壁を取り払い1LDKにリノベしたら快適さも増すかもしれない・・・。

そんなことを妄想してるうちにも時間はどんどん過ぎて行く。

ぼくの人生のロスタイムだって終了のホイッスルがいつ吹かれてもおかしくない。

二十歳前、ぼくは若くして死ぬんじゃないかと漠然とした不安にせき立てられるように生き急いでいた。そして還暦後の今、明らかに死が現実のものとなってから、ぼくは再び生き急いでいる感じだ。

「またね」「いつかまたね」「また今度ね」「もう少ししたらね」はやめないと。

やりたいこと、そして会っておきたい人との予定を後回しにするのは卒業しないと。

それが今のぼくのココロ持ちです。

 

 

 

2026年3月8日日曜日

【20260308:日】+++めんどくさがり屋+++

 

■□

「めんどくさがり屋」って方言なのかなぁ?

ま、それはさておき、ぼくはかなりのめんどくさがり屋なのです。

詰めが甘いとも言うし、それこそ方言でいう「だだくさ」なのです。

因みに「だだくさ」とは主に愛知県や三重県などで使われる方言で物を「粗末に扱う」「雑に扱う」「ぞんざいに扱う」と言うような意味なのです。

物作りを生業にしている人ならばあってはならないことですね。

 

少し話は飛ぶのですが、ぼくの足は左と右で1cmの長さの差があるし、とても幅広でさらにはとんでもなく甲高なのです。そんなぼくの足型に合う靴は今の所、HOKAという靴メーカー(フランスだったかな?)の中の特定なタイプのものしかありませんでした。現在お店で履いているのがそのシューズです。

ところが、今回試着(?)してみてKEENのトレッキングシューズも履けることがわかり、すぐさま購入することにしました。靴と食パンは少し値がはっても毎日のことなので頑張りたいとぼくは思っているのです。 


話はまた戻ります。

そのトレッキングシューズにノンシリコン性の撥水・防水・防汚のスプレーをするのですが、めんどくさがり屋のぼくは靴ひもを靴からはずしたり、足首部を新聞紙等で詰めてスプレーが靴内部に入ることを防ぐことをせず、小手先の噴霧方向の調整だけでやってしまうのです。

スプレーしないよりはマシだから、いいか・・・って感じです。つまりは「だだくさ」なんですよね。

この性格?性質は半世紀以上かけてつちかってしまったものなので、なかなか矯正することができません。ぼくは箸の持ち方も自己流でとても変だし、人によっては恥ずかしくて人前では見せられない程度だと思います。何度か練習したこともありましたが、食事自体が美味しくなくなってしまったのでやめました。ダメならフォークで刺したり、スプーンですくって食べればいいや!って思ったからです。

そんなぼくですが、めんどくさがり屋でいるよりは、丁寧に物事を扱う方がいいのはよくわかっているので、気持ちをコントロールしてときおり丁寧にやったりもするのですが・・・・。

何事も自分のペースをくずさず丁寧に扱うことのできる人に本当に憧れます。

トホホ・・・

そんなぼくの一面でした。

2026年3月7日土曜日

【20260307:土】+++勧善懲悪とそこなわれていくもの+++


■□

最近顕著なぼくの感受傾向。

一言で表現するなら、勧善懲悪を希求しているのだな。

ドラマでも映画でも悪事や悪意に怯まず、筋を通し理不尽を正し、正義を貫く。

そして最終的に悪を懲らしめ、あるいは過ちを正す。

ぼくはそれにココロを揺さぶられ、涙し、溜飲を下げる。

それは現実世界がその真逆にあるからだと思う。

悪事を働いてもシラを切り通す。

平気で嘘を言い、決して謝ることをしない。

多数派は数の力で少数派を圧殺し、好き勝手をしてはばからない。

『今だけ、金だけ、自分だけ』の価値観がまかり通る。

それが国のトップからだから、損得の価値基準でなく、損得を度外視した純粋な何かが

大きくそこなわれ始めている。

新自由主義経済などまさにミハエル・エンデのモモの中の効率主義を思い出させる。

一体どこまで荒んで行くのか、この崩壊を食い止める手立てはないのだろうか。

答えを得られないまま、ぼくは再びフィクションの中で正義の貫徹に涙するしかないのだろうか。

2026年2月24日火曜日

【20260224:火】+++このままで+++

 


■□

先日新栄のお寿司屋さんに何年ぶりかで行った。子どもがちびっ子の頃からだから30年くらい前から行くようになったお寿司屋さんだ。当時はまだ古い建物だったけれど、いつ行っても掃除が行き届いていて感心したものだった。ぼくが自分のお店の掃除の見本にしているのはこのお店だった。現在は建て替えられ息子さん夫婦と一緒に営業されている。

それにしても最後に行ったのが父が亡くなってからのことだから既に7年近く経っている事になる。大将と奥さんが今でも健在でお店にいらっしゃることを願って暖簾をくぐった。

店内に入ってすぐにカウンター越しに仕込みをしてる大将がぼくに気づき(それは一瞬の表情からわかった)「いらっしゃい!」と渋い声で挨拶してくれた。ぼくは大将が今でも現役で寿司を握られているのがわかってホッとした。奥さんとはお寿司代を払う時に直接お話しすることもできた。奥さんもお元気そうに働いていらっしゃるのがわかって本当に安心した。

続けることの偉大さを改めて教えてもらった気がした。

さて、話は突如変わります。

気づいてる人はほとんどいないと思うけど、ぼくはInstagramに鍵をつけました。もう何ヶ月も前のこと。一応お店のための告知用ではあるのだけど、誰でも見られるわけではなくしたのでした。既にフォローしてくれている人は気づかないと思う。お客商売でありながら、こんなことはあり得ないことかもしれないけれど、この方が自分の性分に合ってると思ってのこと。現状、必要あればネット検索でお店の情報は誰もがすぐに得られる環境だし、営業日・営業時間・店内の様子など必要事項はほぼネット検索のみで得られるわけだしね。可能かどうかわからないけど、このブログについてもなんらかの制限をつけることができるならそうしたいとも思ってる。実際のところInstagramはぼくの作品の発表場所としての利用比率の方が高いし、ブログもお店のことよりぼくの考えてること、感じてることの吐き出し場になってるので、それでも興味を持ってくれる人がたまに閲覧してくれれば十分かなと。世界に向けて発信するつもりはそもそも無いからね。

今、もっとも頻繁に更新してるのは字数制限のあるTwitterのお店のアカウント。週3日ある営業日に毎回投稿しているので、直近の情報はそれでまかなえることを付け加えておかなくちゃね。

早い話が、SNSから少し距離を置くためと言っていいかな。もともとフォロワーも多くないし影響はほとんどないのだけどね。気持ちの問題だね。意識的にSNSやスマホから距離を置くことが必要な時代になる、そんな気がしてる。

これからも試行錯誤しながら、このままで、このペースで、できる限り長くVOUSHOを続けて行けたらいいなと思うのでした。

*写真は先日行ったゴッホ展での映像のワンショット。ゴッホの才能を信じた弟テオとゴッホの奥さんとその息子に焦点を当てた切り口はおもしろかったけれど、ゴッホ自身の作品展示は多くないし、その割に入場料が高くて(¥2,000)なんとなく納得いかなかったのはこれまた少数派の感想かなぁ。

2026年2月9日月曜日

【20260209:月】+++それでも希望の光に変わりない+++

 


■□

いつの時代だって勝てば官軍ってやつだ。

姑息な手を使おうが、逃げ回り続けたとしたって勝てば官軍ってやつだ。

なりふり構わず、巨大資本の投入とその傘下のマスメディアのバックアップによって国民を見事なまでに誘導し、高市政権はなんでも好き勝手できる白紙委任状を手中におさめてしまった。

個人的に思うことは色々ある。民意の低さ等を嘆いたり憤慨したい気持ちももちろんある。

毎回のことながらアルゴリズムで支配されたSNSで不満はガス抜きされ、持たされた変革への期待はほとんどいつも落胆へと突き落とされる。

今までのぼくなら今回の衆院選の結果に絶望し、民衆自らが戦争しない国から戦争できる国への変更を選択したんだからこれからどんな理不尽なことが起こっても自業自得だと不貞腐れ、残りの自分の人生をいかに楽しく過ごすか、そのことのみに専念しようと思ったかもしれない。

でも、今朝ネットで選挙結果を識った時、そうした諦めの気持ちではなく、もともと大資本が牙を剥いて日本の方向性を変えようとしたのだから、それをくいとめようとする側の力不足・資金不足は当たり前、これからまた出直しだと思ったのだった。

正直自分自身の前向きな気持ちが意外だった。

それはなぜかと自問すれば、ぼくは確かに希望の光をれいわの山本や大石に見出したからだった。

人生だってもともとうまくいかないのがデフォルトだ。思い通りに物事が進むことこそ例外的なものなのだ。彼らは『本物』だから、こんなことでへこたれはしない。だから彼らが存続する限り、ぼくはその希望の光を見つめ続け、できる範囲で応援していきたいと改めて思っている。


2026年2月6日金曜日

【20260206:金】+++ぼくの立ち位置+++

 


■□

言うまでもないけど、ぼくの政治的な立ち位置は反権力。けれど組織自体を信じない。それは変容するものだから。教員時代、組織率2割に満たない愛高教と言う教職員組合にぼくは新任一年目から所属していたけれど、その中の反主流派に属したことで組織の不条理を目の当たりにし組合に幻滅し加入してから約10年後脱退した。以後いかなる組織にもくみしないことになった。

結局のところ、個として、自分として、というところが基本にならなければならないし、頭は良くなくても自分の頭で考えるしかないと思ってやってきた。だから支持政党もなく、毎回の選挙はいつも戦略的に考えて投票してきた。

具体的にわかりやすく言えば、

反戦、護憲、反差別、反原発、反帝国主義、反新自由主義、反日米地位協定。

嫌いなものは、忖度(教員時代に嫌という程味わった)、空気を読むこと(空気は吸うもので読むものじゃない)、イジメ(教員集団自体がイジメ構造を持っていたから学校からイジメがなくなるわけない)、愛想笑い(ついやってしまう自分が嫌だったから)、同調圧力(跳ね返すには気力体力が充実してないと辛い)。

そんなぼくだけど、山本太郎が2019年にれいわ新選組を立ち上げてから彼をそれとなく注目していた。まさに忖度と空気を読めという国会の雰囲気の中で彼はブレずに孤軍奮闘し自分の主張をし続けていた。彼は経験を積む中ですごいスピードで国会議員として成長していった。彼の勉強も努力も半端ないことだろうと想像した。その頃からぼくは比例でれいわと投票するようになった。

気づけば国会議員最大15名の国政政党となり、大石あきこというこれまた強烈なブレない議員が加わっていた。

彼らの主張は嘲笑いを受けながらも次第に無視できぬようになってきた。とにかく選挙の時しか地元の街頭に立たない国会議員とは全然違い、山本太郎はお話し会と称して全国遊説行脚を繰り返していたし、また彼だけでなく大石あきこたちも街頭演説を頻繁に行っていた。山本太郎はアンチの発言も認め、議論さえしていた。

そういう修羅場をいくつも経験したからこそ、彼の話は人を惹き付ける力を得たと思う。

ぼくは政治状況にすぐに絶望的になったり、意気消沈してしまうけれど、山本や大石の街頭演説等をネットで見て元気をもらい、涙することも少なくなかった。

病気療養のために議員辞職した山本太郎が昨日から応援演説に現れたのをネット動画で見て涙が止まらなかった。彼には確かにカリスマがある。そして大石にもカリスマがある。

企業や労働組合や宗教の後ろ盾がなく市民ボランティアだけでよくぞここまでやってこれたとおもう。少しでも彼らの力になりたくて、昨年末にれいわオーナーズに加入した(一年ごとの契約)。そして寄付の振込用紙の到着を今待っているところだ。

今回のこの衆院選挙はこの国の方向性を大きく変えてしまう選挙結果になるかもしれない。そのため今まで政治的コメントや投稿をしなかった人たちもSNS等で相次いで発信している。それほど現状を危惧しているということだ。

それでも相変わらず政治的に無関心だったり、高市首相のペテンスマイルに誤魔化される人たちが大半かもしれない。既得権益を失いたくない勢力の圧倒的な資金力とマスコミ等を使った総力戦の前にドンキホーテのようかもしれないけれど、諦めたらそれでおしまいなので仮に今回の選挙で民主勢力が後退したとしても希望を失わず本物の国会議員をこれまで以上に応援して行こうと思っている。 

ぼくは○○党に投票してくださいと言うことはできない。

それはやはり自分で決めることだと思うからだ。

ぼく自身はれいわを支持しているけど、共産や社民を応援するのもいいと思う。

場合によっては中道ですら、戦略的に考えて投票することもありだと思う。

とにかく自・維をはじめとして改憲勢力や戦争への道を可能にする政党でなければいい。


2月8日の衆議院選挙に是非行って投票してきてほしい。

2026年1月28日水曜日

【20260128:水】+++衆院選期日前投票に行ってきた+++

 


■□

最近すっかりこのブログもおろそかになってしまった。

一つには世情があまりにもひどくなってしまったこともその理由の一つだ。世の中のことはほっておいて自分だけリヤ充してればいいというわけにはいかないところまで来ていると思ったりもする。

弱肉強食の思想はますます強固になり、人種や国籍や文化などの違いはことごとく差別・対立・分断へと向かってしまう。とんでもなく無能で権力を持たせてはならない危険な人物が首相におさまり、あろうことか多くの国民から支持を集めているという。ぼくには全く理解できないし、絶望的な状況だ。

弱肉強食に反知性の要素まで加わり、ぼくらが当たり前としてきた平和な生活の礎が根底から崩れる危険性が現実のものとなったかもしれない。そして、やってはいけない選択ミスに国民の多くが気づいたときには時すでに遅しだろう。自業自得だとしてもあまりに愚かすぎる。歴史から学ぶ者も少なく、どんな災いも時間の経過とともに風化し無かったと等しいものになってしまう。。。

と、こうしてぼくはすぐにへこたれ途方にくれる。

ぼくが希望を託してる政党の代表がつい先日病気治療のため議員辞職し一線を退いてしまったのもぼくのへたれ思考の一因となった。


とりあえず今日期日前投票に行ってきた。

まだ投票用のはがきさえ届く前だ。

もっと不正や不誠実さに多くの人が怒ってほしい。

あのペテンスマイルにだまされずそのスマイルの裏にあるどす黒いものに気づいてほしい。






2026年1月10日土曜日

【20260110:】+++18日間が一瞬のようだった+++

 


■□

今日から2026年の営業を開始した。 

よろしくお願いいたします。

18日間の年末年始休みだったけれど一瞬のように感じてる。

何かを成した・・・ということもなければ、のんびり休養できた・・・ということもない。

毎日こちょこちょ、ほんとにこちょこちょ動いてた。

例えば、実家のトイレのサッシ窓からの冷気がすごいので断熱して杉板で塞いだりとか、棚を作ったりとか、自転車のパンク修理したりとか、物置の整理したりとか、車のタイヤホイールを黒くペイントしたりとか、マンションの掃き出し窓の断熱したりとか・・・。

そんな具合にこちょこちょと動いてた。

こんな生活がもっともっと続くといいなぁと思ってたくらいだから、暇でやることなくて困ったなんてことはなかった。

ぼくにとって比較的大きなイベントとして、休みに入ってすぐに映画会やったとか、友人が訪問してくれたとか、久しぶりに海を見に行ったことが挙げられるくらいだった。 

話は変わるけれど、年賀送ってくださった方々、ありがとうございました。今回は全くやる気を失ってしまって今だに何もできてませんが、そのうちニューイヤーカード作って送ります。どうか首を長くしてお待ちくださいね。

もう1つ。

毎年今日みたいな最初の営業日、どんな人が初めてのお客さんだろうと思ったりする。

常連さんの顔が浮かぶ。

でも大抵予想は外れる。

今日もVOUSHOは初めてのお客さんだった。

それもまたありがたいこと。

2026年1月7日水曜日

【20260107:水】+++初遠出+++



■□

実質的には年始休み最終日の今日(明日、明後日は仕込み等開店準備のため)ジャンボで初めての遠出に。

海に向かった。

高速道路で初ETCカードでね。

天気も良くて光る海だった。

ジャンボの荷台のボックスに座って海を眺めた。

風があったのでポップアップテントを荷台にたてて中に入った。風がしのげて快適だった。

軽トラって本当にたのしい。

高速だと片道1時間ちょっと。

ふいに海を見に行きたくなったらこれだなってぼくは思った。


そうそう、ずっと行きたかったご当地スーパーに行けた。

サンヨネ。

ついついあれもこれも買ってしまった。


2026年1月6日火曜日

【20260106:火】+++初陽の出+++

 


■□

2026年になってもうすぐ1週間になる。やっと今朝陽の出をみることができた。

遅くなりましたが、無事年が明けてよかった。皆さんにおかれましてもおめでとうございます。

にしても、寒かった〜。


今年の年末年始もぼくは全くテレビを見なかった。

世間の正月ムードに呑み込まれず、普段の生活をマイペースでおくれたのはよかった。

それは決して正月という節目を毛嫌いしているわけではない。幹線道路の交通量も少なく静かな朝を迎えることができる利点だってあるからだ。

1月4日の日曜日には安城からタカさんが来訪してくれた。自転車用の革のサドルをもらったのですぐにそれをDahonの折りたたみ自転車のそれと付け替えた。かっこよくなった。ありがたいこと。

あれこれ話してたのしい密な時間だった。

年が明けてからも時間は相変わらず早く過ぎ去っていく。

時間をもっともっと大切にしなきゃなぁ。