2026年8月22日土曜日

【20260822:土】+++ぼくは梅干しが好き+++

 

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果物の中でぼくが一番好きなのはプラム。特にソルダムには目がない。プラムは皮も食べれるし、あのジューシーでかつ甘酸っぱいのがたまらない。 

その繋がりなのか梅や梅干しも大好きなのだ。

今日、クール宅急便で新城市から届いたのはそんな梅と野菜たち。

新栄VOUSHOの頃お世話になったあの方から。

名古屋から実家のある新城市に移られてから、SNSの写真や動画で垣間見られるのは自然と取り立ての旬な野菜に囲まれた豊かな生活だった。

梱包を解くのがどれほど楽しみだったことか!

・梅干し(紅紫蘇漬けの梅を天日干ししたもの)

・梅干さず(白漬け;梅と塩のみ)

・梅干さず(梅、塩、紅紫蘇)

・柴漬け

・梅ジャム

・ジェノベーゼ

・プチトマト

・唐辛子(プチトマトと唐辛子は梱包材がわりとか。素敵な遊び心)

丁寧で豊かな生活のいったん、そのお裾分けをいただいたような、そんな気分になった。

 

当時のVOUSHOで梅仕事のワークショップをやっていただいたこともあった。その時いただいた梅干しの美味しさをずっとずっと忘れられなかった。

塩分を最大限まで抑えたシンプルな梅干し(そのため保管は冷蔵庫で)。それこそぼくが求めていた梅干しだった。

ネット通販の梅干しに限らず、市販されてる梅干しはハチミツが入ってたり、かつお出汁とかアミノ酸とか余計な味や添加物が加えられていてぼくの口に全く合わなかった。

あの頃から15年くらいになるのだろうか。。。

またこれがきっかけで・・・と願わずにはいられない。

ありがとうございました! 


2026年8月18日火曜日

【20260818:火】+++母、看取り段階に+++

 

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午前11時に施設の担当医との面談でのこと。

母は看取り段階に入った。

食事がとれなくなってきたからだ。

介護スタッフの話では今では食事の1割ほどだと言う。

体重も30Kg台になり、手足も痩せ細くなってしまった。

ぼくは面会のたびにアイスクリームやフルーツゼリーやプリンなど冷たくて喉越しの良いものを母に食べさせるのだけどいずれも多くて三分の一ほどしか口にできなくなった。

それでもまだ口を開いて食べてくれるので意識がある限り続けるつもりでいる。

 

 

 

母の写真や動画を保存してあるノートパソコンのフォルダを見ると、施設にお世話になってからほんの1年10ヶ月の間に母は一気に老化の速度を速めていった気がする。

自分で歩いて施設の入り口を入って行った母。そんな母がその後施設内で転倒し、大腿部を骨折、入院・手術してから坂を転げ落ちるように、それはまるで老衰へのスイッチが「パチン!」と入ったように、母のできていたことが確実に着実に1つずつ消えて行ったみたいだった。それに比例し認知症の度合いも深まって行った。そのくらい、大腿部を骨折し歩けなくなることが歩行能力以外においても高齢者に多大な影響を与えるものだとぼくは思った。

一方ぼくは現実的具体的に母が亡くなった時の準備を粛々と始めなければならなかった。

医師との面談後、予約しておいた葬儀場で生前見積もりを行い、夕方には母の兄弟にそれぞれ電話をかけ看取り段階に入ったことを知らせた。葬儀の読経をお願いするお坊さんの手配もすすめていかなくてはならなかった。

今の救いは、母が痛みで苦しんでいないことと、まだぼくのことをかろうじて認識してくれていることだ。そして親族ではなくても母のことを気にかけてくれてるぼくの友人、知人たちの存在だ。

母が他界するのは2週間後かもしれないし、半年、あるいは一年後かもしれない。それまでの間残された母との時間を大切にしなければと思っている。

こんなことを書くと、まるでぼくが心優しい親孝行な息子に勘違いされるかもしれないけど、実際のぼくはその真逆。誇張なく、ずっと親不孝でわがままで恩知らずで優しい言葉すらかけられない息子だったから。誤解なきように。

 

 

2026年8月16日日曜日

【20260816:日】+++3年間ねかせておいた本+++

 

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『夏帆』を読み終えた後もの足りなくて、購入してから3年程ねかせて置いた『街とその不確かな壁』を8月6日に読了した。

ぼくは書籍化されなかった『街と、その不確かな壁』を鶴舞中央図書館で読み(正確には雑誌に掲載されたものをコピーして読み)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でより深化した世界観に感銘を受け、そしてこの最終形?『街と・・・』ということになった。

読み終わったあとしばらくこの小説の世界観に浸ることはできた。

それでもぼくは『世界の終りと・・・』の方が好みだとわかった。

ぼくは小説家でもなければ批評家でもないし、ハルキストと呼ばれる熱心な村上ファンでもない。何より自分の読解力も全く当てにならない。拠り所になるのは自分のあやふやな感性以外にないのだけど、『世界の終り・・・』の世界観の方が自分にはしっくりしていた。

映画もそうだ。

荒削りではあるけれど、若い頃の作品の勢いみたいな数値化できないものの力をぼくは感じたりする。ヴェンダースの初期三部作、特に『さすらい』や『都会のアリス』はいまでもぼくの最も好きな映画の1つだし、ジャームッシュの初期作品『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウンバイロー』は最近も含め何十回繰り返し見たことだろう。

小説の技法というか言語化力、描写力、物語の構成力は経験を積んだ現在の村上春樹の方が巧みだろうし、世界的人気作家の実力は疑いの余地のないものだろう。

それでもぼくの好みは『世界の終り・・・』だとはっきり感じた。

独特の『孤独感』、『寂寥感』というのだろうか。それこそが『世界の終り・・・』にぼくのココロが共振した核となるものだった。映画同様小説も鑑賞時の年齢や精神状態が少なからずその評価に影響を与えるものだとしても。

村上春樹の意図がどういうものなのかぼくには断言できないけれど、現実世界が今のようにひどくてもぼくらがとどまるべきなのは、高い壁の外側のこの世界なんだろうね。

ぼく個人としてはあの不確かな壁の街で暮らしたいと切に思ったりもするのだけど。

 

蛇足だけれど、『街とその不確かな壁』を読み終えた翌日、一体何度目の再読になるかわからない『1973年のピンボール』を読了した。ぼくにとっては村上文学に興味を持った原点の作品なのだ。

2026年8月2日日曜日

【20260802:日】+++酷暑の夏と『夏帆』の感想とか+++

 

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昨日から8月に入った。

8月の2日目の今日、当地の予想最高気温は41℃だ。

何もかも狂っている。

本当に何もかもだ。

不安を数え上げたらキリがない。

不安が現実となった時に考えることにして(先取り不安はやめて)人生の困難を乗り越えて行くしかない。それがたとえ満足のいく結果にならなくても。(そもそも人生は思い通りに行かないのがデフォルトだしね)

1週間ほど前に村上春樹の新作『夏帆』を読み終えた。

世の中が彼の新作にどんな評を下しているのかぼくは知らないし興味もないけれど、正直に言ってぼくにとってはこの小説はつまらなかった。

その理由の一番大きな点はアリクイの夫婦だとかジャガーだとかシロアリの女王と言った登場人物の起用に他ならない。小説内では日本語とかブラジル語といったような実際の言語を用いて意思疎通をするのではなく頭の中で思ったことが思念として伝わり、まるで言葉を話しているように意思疎通できる設定にはなっていたのだが、その設定自体にぼくは拒否反応を呈してしまったようだ。

現実離れしたちょっとダークなメルヘンという感じと言ったらいいだろうか。(CGを用いて映像化されたシーンを時々想像してしまった)

細かなことを言えば、繰り返されるカッコ付きの注釈もくどかった。村上作品は音楽のように文章のリズムが心地よかったりするのだけど、ぼくにはこの注釈のテンポが合わなかったのかも。

もちろんのことだけど、これはぼくの個人的な主観であり、もっと言えば偏狭なぼくの嗜好と読解力不足のゆえだとも思える。

愛猫家や愛犬家のように猫や犬の考えていることがわかるような人だったらアリクイの奥さんが話すのも受け入れられるのかもしれないし、突如歌い始めるミュージカルが好きな人だったら多少の非日常性も特段の違和感なく捉えられるのかもしれないからだ。

とは言っても、村上春樹は一流のストーリーテラーであり、ストーリー展開に引き込まれあっという間に読み終えたのだった。

読後に静かに包み込まれるような魂というかココロの震え、もうしばらくこの(小説)世界に居たいという思いが今回はぼくにはわかなかった。

 

2026年7月25日土曜日

【20260725:土】+++書中お見舞い/酷暑すぎるね+++


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7月20日に東海地方は梅雨明けしていたらしい。

その頃から最高気温40℃なんていう日が続いてる。

今日も最高予想気温40℃。

明日も40℃予想だ。

こうして40℃が当たり前になってくる。

狂ってる。

 

こんな酷暑なので、正直お客さんに来て欲しいとは言えない。

ぼくだってこんな日にいくらエアコンの効いた車でも出かけようとは思わないからだ。

だから今日のVOUSHOのTwitterに「危険だから外出しちゃダメだよ」って書いてしまったほど。

 

実際いつもの土曜よりお客さんは少なかったけれどこんな酷暑にもかかわらず来てくれたお客さんに感謝。せめて空調をよく効かせておかないとね。

最高気温予想40℃以上の時は、臨時休業するのも有りか・・・と思ったけれど、逆にそんなとき来てくれて休みだったらがっかり度もマックスなのでそれはできないなと考え直した。

今日は読書もできたし、ヒジャブをかぶったインドネシアの若い女性客もきてくれて良い営業日でありがたかった。

 

2026年7月11日土曜日

【20260711:土】+++VOUSHO楽画き帳の書き込みに大確幸+++

 

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2022年11月15日から始めたVOUSHO楽画き帳も4ヶ月後に4年になる。

現在11冊目。

一人一日一頁、絵でも文でもオッケー、著作権フリーで等々。

そんな条件で鉛筆、消しゴム、鉛筆削りを用意して店内の書棚の隅に置いてある。

気づかないお客さんも多いし、描いてくれたものに今まで個別に返信したりしていなかった。

うまい下手を競うものではもちろんないし、自分のちょっとした足跡を残してもらえればという気持ちから始めたものだった。

ところが見てもらえばわかるけれど、とても楽しい力作揃い。

お客さんに飲み物をお出しするとき、「あ!描いててくれてる』とわかると閉店後に見させてもらうのが楽しみなのだ。

そして今日。

気づかなかったけれど、閉店後ページを繰ってみたら新しい書き込み。

とても嬉しかった。

何というか、VOUSHOをやって良かったとしみじみ思った。

いつかVOUSHOも閉店し無くなる。

それでも、誰かの記憶にうっすらとでもこのお店のことが残ってくれたらこれほど嬉しいことはないからだ。

あんなちょっと変わった隠れ家のようなお店があったな・・・と思い出してもらえるようなお店にしたいと思っていたからだ。

誰かの人生の節目に記憶してもらえて本当に光栄だった。

画像が表示されないエラーが起きたら何のことかわからないので、メインの文章だけ以下にテキスト化しておきます。手前みそな感じで申し訳ない。

本当にありがとうございました!

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2026.7.11(土)

 

 VOUSHOさんへ

 

ゆったりできる空間を

ありがとうございました

 

わたしたちにとって

VOUSHOさんは初デートの場所

 

あれから5年が経ち

夫婦となって再び訪れることが

できました  こんなすごい奇跡を

味わえて心が温かいです

 

そんな気持ちにぴったりな音楽が

今、流れてる・・・❤️

 

日常にある偶然、小さな幸せにこれからも心動かして

いきます  しあわせをありがとうございます

           あだっちーず より

 


2026年7月10日金曜日

【20260710:金】+++グランドカバー用に植えてみた+++

 

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ぼくがコツコツと草むしりをやってたのは実はこのためだったのだ。

それは駐車場にセダム属の多肉植物を植えるためだった。

一昨日、久しぶりに行った瀬戸の道の駅で欲しかったセダム属の多肉植物をやっと購入することができたのだった。

植えるには6月までが適しているようだけど、7月とは言えまだ梅雨明け前なのでギリギリ大丈夫じゃないかということで昨日の夕方駐車場の端っこに地植えしてみた。

植えたのは7種類11株。

(1)モリムラマンネングサ(2株)

(2)パリダム(1株)

(3)オカタイトゴメ(1株)

(4)アルブム(ブラックベリー)(2株)

(5)サクサグラレモスグリーン(1株)

(6)パープルヘイズ(2株)

(7)オオゴンマルバマンネングザ(2株)

お店の駐車場は水はけの良く無い場所が多いのでうまく育たないかもしれないけれど、この中でどれかが増えて育ってくれるといいなと思っている。

あとは鉢植えでハーブを何種類か育てられるといいのだけど、それはまた次回ということで。


2026年7月9日木曜日

【20260709:木】+++心の支えとまではいかないけど+++

 

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ぼくは思うのだけど、容易に心の支えを設けてしまうのは危険だとね。

今日、れいわ新選組の山本太郎代表が辞任し、今月行われることになった代表選以後は党名も変わると会見で発表された。実質れいわ新選組という政党はなくなってしまうことになった。それに伴い大石あきこ共同代表も役職から退き、離党し一旦政界から去るとのことだった。1つの時代が終わった気がした。

ぼくは今の政治状況の中において、馬鹿正直に筋を通し、空気を読まないこの政党に現状に風穴を開ける希望を託した。その一方で正直全てうまく行くとは思っていなかった。れいわ新選組が勢力をのばせば必ずそれを潰しにくるだろうし、バックに大企業や宗教や労働組合というパトロンを持たない政党がボランティアのみでたたかうことにも限界があるからだ。

山本太郎が病気を理由に議員辞職し、れいわ新選組の一線を退いてから党勢は弱体化し、内部分裂状態になってしまっていた。直近の衆議院選挙で惨敗したことから、沈み行く泥舟から逃げ去るように離党した地方議員たちもいれば、責任論をたてに主導権争いをするような旧態依然とした指導部糾弾の構図も浮き彫りになった。

ぼくはれいわ新選組は他の政党と同じような枠組みで捉える必要は無いと思っていた。

与党はもちろん野党に対しても馴れ合いの茶番だと言い切る政党は他にないように、元々れいわ新選組の枠組みは他党と全く違っていたからだ。それゆえに過激な発言に聞こえるようだが、かれらが繰り返し主張していることは過激でもなんでもなく全く当たり前のことしか言ってないのだった。

政治家が大企業や宗教や御用労働組合の方に向いているのか(そちらを向いていれば票が保証され国会議員の地位を安定的に確保できる)、主権者たる国民の方に向いているか、この仕組みから現状の政治判断の因果関係を説明する政党もなかった。

つまり徹底的に規格外だったのだ。

規格外のものに、手垢のついた規格を当てはめるのはナンセンスなのだ。

この規格外政党にぼくは希望を託したと言ってもいい。

彼らに希望は託しても心の支えとまで安易にしてはいけないとぼくは最初に書いた。

個が自立していてこその連帯だ。

れいわ新選組の第1期の役割は十分すぎるほど果たしてくれたと思っている。

全体から見れば多く無いかもしれないが、れいわ新選組の存在によって政治に目を向けるようになった人たちも確かに増えたと思う。れいわを支持しなくても無関心から無が取れただけでも大進歩だ。

既得権益の分厚い壁に風穴を開けるのは並大抵のことでは無い。

でもその壁に揺さぶりをかけることはできたのではないか。

今後どういう政党の体に変化して行くかわからないけれど、一部の富裕層にではなく、ぼくら庶民の暮らしに安心と安全を与え、この国で生きててよかったと思える、そんな政治を実現できうるのは彼らのような政治家・政党だろうという期待・希望をぼくは今も変わらず持ち続けている。 

次はこの壁に小さなヒビを入れられるといいな。

 *写真はTumblrでぼくの集めた月別の画像のアーカイブより。

2026年7月5日日曜日

【20260705:日】+++村上の新作を読んでたお客さん+++

 

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今日、村上春樹の新作「夏帆(かほ)」を読んでるお客さんがいた。

帰り際、そのお客さんと少しだけど話をすることができた。

すでにこの新作を読了し、二まわり目だという。

村上ラジオも聴いてるという。

かなりの村上ファンとお見受けした。

ぼくも毎月逃さず村上ラジオを聴いてるのだけど(実は録音もしている)、番組最後に世情について彼のコメントが最近無いのが寂しいというか、残念というか、彼の見解を知りたいということをお客さんに打ち明けてみた。

どうやら今回の新作に彼の考え、捉え方が暗に示されているようだった(ぼくの捉え方が違ったらごめんなさい)。

そんなわけで「夏帆」をぼくもちょっと読みたくなった。

そのお客さんと世の中の見方も似ていると思った。

ぼくはこの分断され、排外的で、弱肉強食の非寛容社会と政治に無関心な人々の多さにうんざりしているのだけど、このお客さんもぼくと同様の考えのようだった。

このブログも読んでくれてるとのことで6月27日の記事のことまであげてくれて恐縮した。

「村上の小説で一番好きなのは何ですか?ってなかなか決められないかもしれないけれど」って訊いたらぼくと同じで「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だった。

お客さんは「ずっとあの図書館に居たい」と言ってた。

ぼくもあの壁に囲まれた世界にずっと居たいし、黄金色の一角獣たちを眺めていたい。

ぼくは「世界の終わり」を読んでた時、いつもアルボ・ペルトの曲を流していた。彼の楽曲は「世界の終わり」の雰囲気にぴったりだと今でも思っている。そのお客さんも気に入ってくれるといいのだけど。(お薦めCD:The Best of Arvo Part、他にThe Very Best of Arvo Partもあり。それに加えArbosがあれば完璧!)

短い時間だったけれど、楽しい時間だった。

ありがとうございました。

またね。


2026年6月30日火曜日

【20260630:水】+++太くんとの午後+++

 

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久しぶりに太くん来訪。  

午後5時に二人で早〜い夕食。 

鰻の巴屋へ。(昨日予約しておいたのだ)

この店は瀬戸の穴場の名店だとぼくは勝手に思ってるし、店主の人柄もいいと勝手に思っている。

いつものように特上鰻丼(2,900円)。今となってはこれでもリーズナブルな値段。

お客さんはぼくたち二人だけだったので太くんの東北、北海道旅行のエピソードを興味深くゆっくりききながらタレのきいたウナギを頬張った。 

その後少し離れた巴屋の駐車場に戻る途中、養蜂店の叔父に7年ぶりに遭遇した。父の葬儀以来だった。しばらく国道脇で3人で立ち話。82歳になった叔父。昔のようにマッチョではなくなったけど元気そうで何よりだった。会えて本当によかった。

そのままVOUSHOに引き返すのをやめ、急遽太君と岩屋堂を散策することにした。

午後6時過ぎの岩屋堂は犬の散歩をしてる夫婦一組とすれ違っただけでほとんど他に人影がなかった。

『ツキノワグマの目撃情報有り』という看板があってちょっとびびった。

ぼくたちは、瀬戸大滝まで散策して戻ってきた。

 

VOUSHOに帰ってきてから、冷蔵庫で冷やしておいた蓬莱泉を呑みながら日付が変わる直前まであれこれ話した。楽しい時間はいつもあっという間に過ぎ去るのだった。

またねー。



2026年6月27日土曜日

【20260627:土】+++ドラマと現実世界との乖離+++

 

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中立なんてあり得ないとぼくは思っている。

仮に極右に政治が流れたら穏健派右翼当たりが中立ということになる。

そしてその基準は個々人で異なる。

主観的なものなのだ。

中立という言葉が言い訳になっているとも思う。

テレビを見なくなって久しいが、時折外出先で見たりすると相変わらずNHKのニュースは現政権に忖度しまくりでジャーナリストの矜持というものを保身の前に捨て去ったのかと呆れる。

そこでも中立という護符を掲げて言い訳するのだろう。

ところが、同じNHKでもドラマやドキュメンタリーでは気骨あるところを見せていたりもする。

また最近民放で毎週楽しみにしていて、見ては大抵泣いているドラマがある。

『銀河の一票』だ。(いずれもぼくはテレビでなく配信で見ている)

財界や労働組合のバック無しで都知事選に立候補する政治素人の(元養護教諭で元スナックのママの)女性を大物政治家の元秘書やそこに加わった人々がサポートしていくドラマだ。

誰一人取り残さない社会をモットーにしていて毎回セリフに泣かされる。

時々これってれいわ新撰組?と思ったりする場面もある。

演出が「ひらやすみ」の松本佳奈なのもいい。

もちろん役者の演技も素晴らしい。


それにしてもだ。

現実世界は大企業優先、米国追従、憲法改悪とドラマの真逆。弱肉強食で自己責任論のまかり通る非寛容社会がますます強固なものになってきている。

米国でトランプのような大統領が選ばれてしまうことに驚き呆れていたけれど、この国の現状はトランプのように世界的な影響は与えられないものの、ある意味それ以上にありえない首相が国の舵取りをしているわけだ。

ぼくらはドラマでガス抜きさせられているのだろうか。

一体このドラマと現実世界の乖離はなんなんだろう。

ぼくは現実世界でも弱者を置いてきぼりにしない社会を十分目指せる・・・といまでも思ってるのだけどね。


 (2つの台風、8号と7号が接近して去って行った夜に。)

2026年6月18日木曜日

【20260618:木】+++久しぶりのお絵描き+++

 


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すごく久しぶりに絵を描いた。

右利きのぼくだけど左手で描き始め、細かな線描や点描のところで右手に変えた。

草むしりと同様に絵を描き始めると他ごとを考えることもなく集中できるのが気持ちいい。

最近のぼくは絵を描く気力が無く、絵やモノを創り続けている人をみると、それも一つの大きな才能だと羨ましく思う。

ぼくには無いものだ。

描き続ける、創り続けるって誰でもできるものではないが、基本の基本だろう。

ボチボチでいいから続けていけたらいいなぁ。



2026年6月16日火曜日

【20260616:火】+++胃痛で点滴+++

 

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胃が痛いことは滅多にないぼくだけど、今日は胃の存在を嫌という程知らされた日だった。

二度と同じ過ちを繰り返さぬことを誓ったほどに。

胃痛と吐き気と膨満感の原因は明白だった。

自宅で一人昼食をとった後(スーパーで昨夜買ったお好み焼き)、冷蔵庫にごま油と塩で和えたワカメがあることを思い出し、ドラマを見ながらガラス容器から直にたくさん食べてしまった。振り返って思い出してみると無意識に頰張っていた。

これがまず胃痛の原因の1つに違いない。

そして、午後4時半ごろ、同じくドラマを見ながら冷蔵庫の冷凍室に900ml入った大きなアイスクリームのカップを取り出し、残っていた3分の1ほどを完食してしまった。これもやめられなくてスプーンを口に運び続けてしまった。

ワカメもアイスクリームも容器からカップ等にうつさずに食べたことがいけなかった。

その後車でドラッグストアとセリアの入っているマルシェに行き、買い物を済ます頃、アイスクリームを食べ切ってから30分ほど経った頃だけど、まずは吐き気と膨満感が襲ってきた。

そしてそこに胃痛が加わり、吐き気と膨満感以上に胃痛がぼくを苦しめ始めた。

運転するのもやっとだったけれど、自宅に戻る途中、あまりの苦しさに何年も行ってない内科クリニックに飛び込んだ。

あとでわかったことだけど16年ぶりだった。

原因と思われることを医師に説明し、血圧や触診をしたあと、胃の動きを抑える薬とビタミン剤の入った点滴を打ち、血液検査もすることになった。

30分くらいで点滴は終わった。

そして再度の診察で血液検査で炎症反応のないこともわかった。少しだけ胃痛がやわらいできた気がした。

胃腸の薬を処方してくれて帰宅した。

それが午後6時半頃。

そこからまた痛みが増し、どんな体位をとっても痛みと吐き気と膨満感がつきまとって離れなかった。

それでも午前0時半ごろに眠ったと思われる。

よく朝5時半に目覚めた時には胃痛も吐き気も膨満感も消えていた。

クリニックから帰ってきて気づいたことに唇の端にヘルペスができていた。胃が弱っていたのだろう。そこに繊維の豊富なワカメとアイスクリームが合わさってお腹の中で膨張したのだろうか。

とにかく辛かった。

これを機にもう二度と暴食をしないと誓った。

喉元過ぎても忘れないようにね。

 


2026年6月13日土曜日

【20260613:土】+++2年も経っていたなんて〜!+++

 


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山中君が来店!

Pentax SL のシャッターが切れなくて、固着していたのだった。

それを◎エ◎コカメラの山中君が来店した時託したのだった。

それがもう2年前のこと!

すぐに山中君は直してくれたのだけど、新栄のお店に取りにいくタイミングがなくてあっという間に2年が経ってしまっていたなんて!

2年て言ったら、生まれたばかりの赤ちゃんが、スタスタ歩いておしゃべりするくらいの時間なんだよね。本当に時は宇宙人のように身軽にぼくらをすり抜けていくね。

物々交換。お礼にフィリップス社のOEMで、アップル純正CDプレーヤーであるPowerCDを持って帰ってもらった。これはずっとお店に飾ってたやつ。もちろんいまでもCDを聴ける。

彼と話していると本当に楽しい。

とても良い時間だった。

Pentax SLはほぼオーバーホールされたと言っていいほどきれいに整備されてた。ファインダーも綺麗になってるし、モルトも張り替え。シャッター鳴きも無くしてくれて、金属製のレンズフードまで着けてくれてた。1960年代の一眼レフはずっと使える良いカメラだね。



 

2026年6月10日水曜日

【20260610:水】+++軽トラ荷台にゴムマットを+++

 



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ぼくの軽トラ、ハイゼット・ジャンボの荷台にゴムマットを敷くことにした。

荷台に載せてるボックスのガタつき音が鬱陶しかったので、それがゴムマット採用の一番の理由。2番目の理由は荷台に寝転んだりする時多少なりともお尻や体の痛みを軽減できること。


ジャンボは運転席が普通の軽トラより広いことから、その分荷台が狭くなっている。そのため広くなったスペース分だけ荷台が運転席下にもぐり込むという特殊な形状になっている。

つまり、ゴムマットをそのままの形では敷き詰められないので、少しカットして置くことになる。この作業が面倒でマットが届いて半月ほど経ってしまっていた。

現状シワがついてるが、1ヶ月くらいで伸びてきれいに収まるものと思われる。

ゴムの臭いがきつかったりと良いことばかりでないのはもちろんのこと。もし使い勝手が良くなければ、はずせばいいことなので様子を見ながら使っていくことに。

さて、使いごごちはどうだろうね。

【追記】

走ってみたら、荷台のボックスのガタゴト音も消えて静か!

これだけでもゴムマットを敷いてよかった。

それに荷台に横たわってみたら鉄板の固さや冷たさも減りぼく的にはかなり快適。

ぼくの軽トラの使い方としてはマストアイテムなのかもね。






2026年6月7日日曜日

【20260607:日】+++雨の浄水場は最高だ!+++

 

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雨。

今日は年に一度の馬ヶ城浄水場の公開日。

6月第1週の水道週間でのイベント。

ぼくはコロナ禍の前から行き始め今回で何回目なんだろう。

調べてみたら6回目だった。

2016年、2017年、2018年。そしてあのパンデミック。

2022年、2025年と今回2026年だ。

 

コロナ禍前は市内県立高校の茶道部がお茶とお菓子をだしてくれたりしてたんだ。

VOUSHO写眞倶楽部としても行ったことがあった。

いつぞやも小雨が降ってる時に行ったのだけど、その時もとても空いていた。

だから今日も絶好の見学日和だと予想していた。

狙いは的中!

スタッフの数の方が遥かに多かった。

人が勝手に入って踏み荒すことがないから、木々や植物や苔なんかの緑もとても綺麗なんだよね。

国道248号線からほんの少ししか離れてないのに静かで別世界。

因みにVOUSHOの水道水もこの馬ヶ城浄水場の水らしいんだ。

 

うろこ状の水の流れが美しい高さ15mのダムの手前の写真スポットも、そしてダムの上も誰もいなかった。

独り占め!


行き帰りはレインウェアーを着て自転車でね。

VOUSHOから10分か15分くらいかな。

お店をあける前だからちょっとバタバタするんだけど、その価値は十分すぎるほどあったよ。

 

 また一緒に行けるといいね。

 

2026年6月5日金曜日

【20260605:金】+++男性平均寿命81歳+++

 

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現在この国の男性平均寿命は81歳なのだとか。

この平均寿命からぼくの年齢を引き算するのはとても容易だったことから改めて歳とったことを実感した。自分自身の現状をたまには客観視しないといけないということか。

しかも健康寿命の平均年齢72歳はさらにぼくを驚かすことになった。もうすぐじゃん!

だとすると平均9年間、なんらかの体の不調や病や怪我で行動が制限されたり入院してたり闘病してたりというわけだ。そんなに長く苦しい思いをするのは本当に嫌だし恐怖だ。

そんなわけで能天気なぼくも今後のことをちょっと考えさせられることになった。

いや、いきなり現実を突きつけられたみたいに大きな衝撃だった。

まだ何十年も人生が続くかのような幻想、あるいは妄想を軸にぼくはなんとなくこれからのことを思い浮かべていたからだ。

例えばマンションのリノベを考えたり、お店を今のようなペースでずっとやり続けていくつもりになっていたからだ。それなりの金額をかけてリノベして何年そこに住むことができるというのか。お店を維持するのも今でも体力的に余裕ないのに。

あきらかに、思い違い、勘違いをしていた・・・と思った。

人生の終盤の計画を見直す必要がある・・・とも思った。

 

ぼくは早死にするんじゃないかという思いにとらわれ30歳まで生き急いでいた。

ここに来て、また再び人生の終焉を前に生き急ぐことになるのだろうか。

あれ?

生き急ぐのではなく、死に急ぐ・・・なのかな?

ま、どちらでもいいか。要するにそういうことなのだ。焦りみたいなものだ。

 

ぼくは何がしたいのか?と自問してみた。

美味しく食べられるうちに、胃腸が拒否したり、食欲が失せる前に、美味しいものを美味しく食べたい!逆にいうとまずいものは食べたくない!

人間関係も同様で気の合う人とは交流したいけれど、そうではない人とは交流しない。これは現時点で実行できてる。ストレスの大半は人間関係から来ているのだから、嫌な人と無理に付き合う必要は全くないし、そんな時間の余裕はない。友達は多くなくていいのだ。

散らかしたまま、作業できるスペースが欲しい。やりかけたまま放置しておけるスペースってのは理想的。

出不精だけど、国内旅行もたまにはしたいかも。(海外は面倒だしこの円安ではぼくの経済力では無理)。できれば旅程を組まず、行き当たりばったりな旅がいい。

 営業日を土日のみの二日に減らしてもVOUSHOを続けていきたい。

これらいくつか挙げたことが今のぼくの望みであり、したいことだ。

最大の変化はマンションのリノベの優先順位が下位に転落したことだ。

とにかく、今みたいに日々の生業や生活に流され、人生の残り時間の短さに無頓着なまま有限な時間を浪費せず、小確幸を感じる心のゆとりをもち、それに感謝しながらぼくの人生の総まとめをしていきたいと思うのだった。

2026年6月4日木曜日

【20260604:木】+++母4度目の入院+++


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先月5日から21日まで誤嚥性肺炎で入院し、退院して2週間ほどしか経ってないのにまた入院することとなった。

昨日の夕方、施設から電話があり母は微熱があり血尿が続いているとのことだった。今朝熱が下がらなければ病院で診てもらうことになった。

11時に病院で施設の看護師と合流し、母の付き添いを引き継いだ。

微熱があるため受診前にコロナとインフルの検査をした直後で結果待ちの状態だった。

結果はもちろん両方とも陰性で、その後総合内科で受診となった。

医師に病状を説明した後、CT撮影と血液検査と尿検査をすることに。

CT撮影は待ち時間も長くなくほぼ順調にいったけれど、血液検査に時間がかかった。

母はとても血管が細く、しかも脆いので針が入らないからだ。2本採血するのに40分近くかかった。

そして尿検査は看護師による導尿で行うのでこれも時間が少しかかった。

やっと検査が全て終わり、再度の受診待ちに。

母の嘔吐での緑色の液体は胆嚢を摘出しているため、ずっと流れ出ている胆液であり、血尿は膀胱炎からくるものだろうと言う説明がされた。高齢の女性が頻繁に膀胱炎になることがあるそうで、この2つの説明は腑に落ちた。

また、CT画像から尿路結石による感染症の疑いが高いとの判断で泌尿器科でも受診することになった。

問題は1cmもある尿路結石だ。

泌尿器科医によると94歳の母に全身麻酔で手術することはできないらしく、抗生剤を点滴して炎症を抑え経過観察する以外無いとのことだった。

結果、昨年5月から通算4度目の入院となった。

病棟の部屋に移動し終え、入院の手続きを完了して病院を出たのは午後4時半だった。

母の入退院に慣れてきたとは言え、5時間越えの病院付き添いはぼくにも応えた。

ただただあてもなく待合室で待つ時間は苦行以外のなにものでもない。毎回生気を吸い取られる気がする。

母のように超高齢になり健康寿命を損なうと根本治療ではなくこのように対処療法しかない現実が待ち構えている。こう思うと長生きすることの良し悪しも正直わからなくなる。長生きにこだわるより健康寿命を少しでも長くキープすることの大切さを改めて思うのだった。

2026年5月27日水曜日

【20260527:水】+++タカさんと雨のパラつく海へ+++

 

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曇天の三河湾。

時折雨がパラつく中を友人のタカさんと久しぶりに海へ行く。

二人の自転車をタカさんの軽トラに積んで行ったのだけど、あいにくの天気のため、ポタリングはやめ、涼しい風が吹くなか海を眺め、タカさんがアルコール燃料で淹れてくれた苦味の効いたコーヒーをベンチに並んで座っていただく。

こんな時間と空間。

そして格別なコーヒー。

美味しい。


今日タカさんが連れてきてくれたスッポットはいつもぼくが行く海岸のすぐ西隣。

ほんの少ししか離れてないのに見える景色や印象が全くと言っていいほど異なっていた。

季節外れの海水浴場って祭りの後のような寂しさがどこか漂っているようでぼくは好きだ。

浜辺の向こうにポツンと忘れ去られたような監視台もまたぼくの目を引いて離さなかった。

 

タカさんとあれこれ話してから、海岸をあとにした。

いつものことだけど海を眺めると固く閉じたぼくのココロが解放されるような気がした。 

次回はまた自転車持参で海岸線をのんびり走れるといいね。

夏は暑いから半年後の晩秋あたりにね。

2026年5月23日土曜日

【20260523:土】+++睡眠障害なんだろうな+++

 

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また眠れない夜をあかした。

時々ぼくは夜眠れなくなる。

「明日からまた営業日なんだからもう寝なくちゃ」と思えば思うほど眠れなくなる。

「明日は久しぶりに友人とサイクリングするからもう寝なくちゃ」と思えば思うほどワクワクして眠れなくなる。

思い返してみれば昔からずっとそんな具合だった。

やれ定期考査だから、やれ部活の試合だから、やれ入学試験だから。

そんな時は決まって眠れなかった。

気が小さくて臆病だからということもある。


眠れない時、頭と足の向きを逆にしてみたり、下着を脱いで真っ裸で寝てみたり、呼吸法を試してみたり、アレコレやってみる・・・のだが。

それでも眠れない時、とにかく横たわって身体を休めるだけでもいいやとじっと寝たふりをしてみる。自分に対して寝たふりをするわけだ。稀に引っかかって寝入ることができるときもあったりするから。

1時間ほど経ってそれでも眠れない時、スパッと眠る努力を諦め、起き上がって活動し始める。掃除したり、料理の仕込みをしたり、ブログを書いたりとかね。

そんなことが2ヶ月から1ヶ月半に一度くらいの割合でやってくるのだ。

いわゆる『睡眠障害』なんだと思う。

でも今まで「睡眠導入剤(眠剤)』は飲んだことがないし、飲む予定も今のところ無い。一睡もできなかった日の夜には泥のように眠ってしまうからだ。

今日みたいな日の昼間、一番心配なのは注意力が散漫になることだ。

お客さんに飲み物をこぼすような粗相したり、モノを落として壊したり、お湯で火傷したりとか。 。。

そんなことがないよう今日はいつも以上に注意しなければね。

何事も起きませんように!

 

 *ところで、今日の写真は何を撮ったものかわかる?

わかったらすごいよ!

答えは

瓢箪の内側。

あの穴の奥を覗き込むと長いトンネルのようになっていて別世界にワープできるのかもしれないよ。

これも1つの世界だよね。

 


2026年5月22日金曜日

【20260522:金】+++現実逃避なのかもしれない+++

 

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7年前に亡くなった父のことを最近よく思い出す。

ぼくと異なり無口でコツコツと何事においてもやり通す父だった。ぼくが有言実行タイプなら父は不言実行タイプそのものだった。

草取りもそんな父のおかげでぼくはやろうともせず、父にお礼の言葉さえ言わず任せっきりにしていた正真正銘の親不孝者だ。

今になって父のありがたさを噛み締め、父にすっかり甘えていたぼくのダメさを思い溜息するばかりだ。

GWの休業中のこと。

板塀塗装のためにローズマリーを抜いたことが契機となり、その流れで駐車場の草取りをしだしてからというもの、時間ができると草取りをしている自分に気がついた。

草取りに夢中になると頭の中が真っ白になる感じなのだ。

何も考えないで一心に雑草を器具を用いながら根っこごと引き抜く。特に根っこごとすっぽり抜けたときは格別だ。

何よりこの単純作業が心地よいのだ。

陽が傾き出した頃から、あっという間に3時間が過ぎたこともあった。午後7時を過ぎて暗くなり見えなくなるまで。

ぼくはふと父も同じだったのではないかと思った。

単純作業が苦手な人ももちろんいるだろう。でも逆に単純作業で心が凪ぎる人もいるはずだ。

ぼくは後者だ。そしておそらく父も。

現実逃避・・・なのかもしれないけど、誰かに迷惑をかけるものではないので良しとしよう。

この現実逃避作業のおかげで、駐車場は以前より広々とし、こざっぱりした感じがするのは手前味噌ではないと思いたい。

これから先、この状態をキープできるかどうかはわからないけど、少なくともぼくは草取りが嫌ではないことだけは自己認識できたし、父に感謝の気持ちを持てたことも悪くないと思ったのだった。

蛇足ながら、この草取りで一番の強敵はイシクラゲだ。雑草というより苔の一種みたいで生命力がとにかく凄まじい。晴れて乾燥すると黒く干からびたカットワカメみたいになり、あたかも死んだフリをしてるのだけど、雨が降ると吸水して復活し緑っぽいふやけたワカメみたいに大きくなるのだ。さらに水分を含むと分裂し増殖するという。そのため夥しい数のイシクラゲが湿気の多い土のあたりを中心に繁茂し増殖し続けている。いくらとってもキリがなくて、これには本当に参っている。バーナーで焼いてやろうかとか、ケルヒャーの蒸気を当ててやろうかと考えたりもしているのだけど。因みにイシクラゲ専用の駆除剤があるのだけど10,000円以上するのでちょっと手が出ないし、この駆除剤を使っても完全には駆逐できる訳ではないらしいので尚更躊躇しているのだ。やれやれ。


2026年5月21日木曜日

【20260521:木】+++母は退院したのだけれど+++

 

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昨年の5月から3度目の入院、そして退院。

1度目は施設での転倒による大腿骨骨折のための手術での入院。2度目は今年3月に腰椎骨折で入院。そして退院から1ヶ月後の5月5日、この日は偶然にも母の94歳の誕生日なのだけど、誤嚥性肺炎のため入院したのだった。

この1年で3回の入退院となった。

入院ごとに母は痩せていき、認知症もしだいにその深度を増していった感じがする。母の記憶の中の世界と現実世界の区別がより曖昧となり、時間軸も現在と過去が入り乱れている。母と病院で話すとそんな感じだ。母の手や腕をみると、おそろしいほど痩せ細ってしまっている。骨と皮、そして植物の細かな根のような血管がくっきりと浮き出ていて、痛々しい。

母の血管はすごく細く、毎回看護師泣かせだが、実際のところ、一番痛い思いをしているのは母だ。血管の細さだけでなく、血管自体も脆くなっているので、すぐに点滴がはずれ、漏れ出した点滴の痕で母の手の甲や腕はいたるところ黒く変色してしまっている。

今回の入院では折れたままの腰の痛みと誤嚥性肺炎による高熱と食欲不振と点滴の痛みで本当にかわいそうな状態だった。

それでも抗生物質のおかげで炎症や熱も収まり、おしゃべり好きな母に少しもどってきたことだけが救いだったと言える。

今現在、一番の心配事は食欲が戻らないことだ。

あれだけ甘いお菓子や果物が好きで、施設の面会時に差し入れしたものをペロリと平らげていた母なのに今は「食べたくないなぁ」というばかりだからだ。

『老衰』(老衰による死)という言葉をぼくは考えざるを得なくなった。

母はすでに『老衰』という死へのベルトコンベアーに乗っかってしまったのだろうかと。

来年5月に95歳の誕生日を迎えることはかなり厳しい、そんな状態になって来た気がするのだった。

 

2026年5月13日水曜日

【20260513:水】+++永代経と二人展+++

 

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覚王山日奉寺の永代経に参列。

久しぶり。

ここのお経は10人くらいのお坊さんが一斉にとなえるので荘厳な宗教音楽のようでいい。

毎日12時半からやるので永代供養や納骨をしてない人でも参列して見てみるといい。 

覚王山日奉寺はどの宗派でもいいのもいい。ぼくも特定の宗派を信仰してるわけではないから気が楽だ。

普段着でお参りできるのもいい。

ぼくもすぐ近くのギャラリーでやってる二人展を見に行くついでに参列した。

 

夫婦による二人展。

奥さんは絵。

旦那さんは立体オブジェ。

ぼくのお気に入りは布でできた不思議な動物。

存在感、質感は彫刻家だけにさすがだった。

 


2026年5月12日火曜日

【20260512:火】+++写真展@無我苑+++

 

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碧南市の無我苑に行くたびに、とても遠く感じる。

それでもこれが4回目くらいなのでやっと道順を8割くらい覚えられた気がする。

 

VOUSHOでも個展やワークショップをやった竹谷さんの写真展。

1800点の写真はまさに圧巻以外のなにものでもなかった。

平日で入館者も少なくじっくり見学できたのもとてもよかった。

刺激をもらった。

見て、あ!っと思ったものを帰り道から積極的にiPhoneで撮ってるぼく。

単純だ。

刺激をもらえるかどうか。それがぼくにとって意味のある展示かどうかの評価基準なんだろうな。

2026年5月9日土曜日

【20260509:土】+++お気に入りのぼくの自転車+++

 

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昔、もう15年以上前かな。

某オークションでフレームサイズの大きいミニベロのまさにフレームのみを落札した。ビンテージでもなんでもない自転車。

それを当時守山区にあった(今は大阪に移転)隅除輪業の量太さんにお願いし、ギアをシングル化し、更に後輪をコースターブレーキ化してもらった。ハンドルはビーチクルーザーに使う幅広で大きく弧を描くものにした。ぼくはこの自転車をVOUSHO号と名付けた。

ところがビーチクルーザー用のハンドルがぼくの膝に干渉してしまい、とにかく乗りにくい。正直言って危険だった。そこで自分でハンドルをカットし長さ調整してみたのだけどあまり効果無し。そんなに短くもできないしね。

次第にVOUSHO号の出番は少なくなり、お蔵入り。。。となっていた。

そこで昨年ハンドルを別の自転車に使っていたノーマルっぽいものに交換してみた。そしたら見た目のアンバランスさ(これが好きなんだけど)は失ってしまったものの俄然乗りやすくなった。当たり前なのだけど。

急な下り坂や長く続く下り坂ではコースターブレーキは楽だ。ペダルを漕ぐのを逆回転させればブレーキがかかるのだ。つまり足の力だけでブレーキングってこと。ブレーキワイヤーやギアのワイヤーもなく、前輪ブレーキのワイヤーだけという見た目のシンプルさもいい。

そこで今回は藤のカゴからより荷物がたくさん載せられるスチールのカゴに交換した。友人のカゴに刺激されてのこと。これは無印良品の自転車で使っていた無印純正の白い大きなカゴ だ。錆びついていたので全体をやすってミッチャクロンとラッカースプレーでつや消しクロにお化粧直しした。

このVOUSHO号で友人と海を眺めながらポタリングする予定だ。

ぼくは急峻な登り坂はすぐに自転車を降りて押してのぼる。ストイックさを求めるサイクリングは断固NG!なのだ。

歩くような速度でタラタラ海辺の路地裏なんかを自転車で散策するのが好きだ。

そんなサイクリングならどうかお誘い下さい。軽トラにVOUSHO号を積んで馳せ参じます。

 

2026年5月7日木曜日

【20260507:木】+++無為に過ごせなかった+++

 

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銭亀さんにこの連休は無為に過ごすと宣言してたのに、ぼくはあれこれ作業したり母の入院だったりで更に疲れてしまったのだった。

ブログですでに書いたこと以外に何をしたかと言うと、こんな具合だった。

お店の駐車場の草取りから始まり、オリーブとシマトネリコの剪定、更には駐車場から道路の側溝にまで進出してしまった初代の(つまり一番古い)ローズマリーをバッサリと刈り取ったのだった。

一日中剪定バサミで太い幹もカットしまくったので、翌日から朝起きると右手がパンパンにむくみ、親指と人差し指と中指の第2関節に痛みが走るようになってしまった。相変わらずぼくは愚かだった。

そして次にやったのが防虫防腐効果のある黒色のキシラデコールを道路側と駐車場側の黒板塀に塗ったのだった。その日は天気がよくて、半日でしっかり陽焼けしてしまった。もっと早朝からやるべきだった。陽焼けは体力を消耗する。それはわかっていたのにぼくは愚かだった。

また別の日には大きなビニール袋に入れっぱなしで外に放置してた古材にカビが生えそうだったので、この機会にタワシで洗い始めてしまった。こうした単純作業は何も考えなくてもいいのでやっていて気持ちいい。一皮むけてきれいになった板目を見ると達成感もあったりしてね。それぞれの板の使い途を考えるのもまた楽しいだろう。


そんな時に母が入院となったのだった。

他にはVOUSHO店内に工業系の照明器具を取り付けたり、自転車の前カゴを別のカゴに取り付け直したり、とにかくこちょこちょあれこれしていた。まさに貧乏暇なし状態だった。

結局11連休のうち、今日と明日は仕込みがあるので休みではないのだけど、何もしないで家でゴロゴロ寝てたのは9日間の中でたった一日だけだった。

休みの時に休養し鋭気を養うならともかく、休みのたびにくたびれてしまっていては本末転倒も甚だしい。わかっちゃいるけどやめられないぼくは本当に愚かだ。

それは十分承知しているのだけど・・・無為に過ごすというのはぼくにとってかなり高難度の修行のようだ。

ぼくの修行はそれこそ無為に続いていきそうだね。

 

2026年5月5日火曜日

【20260505:火】+++母再び入院+++

 

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母は昨年5月15日に施設内で転倒し、大腿骨骨折のため入院・手術した母。退院したのは6月3日で、20日間の入院だった。

そして今年3月23日。

今度は転倒もしてないのに第3腰痛を骨折し入院。母の体の型をとって作ったコルセットで固定するだけで4月6日に退院。 15日間の入院だった。

そして今日、5月5日。

実は今日は母の94歳の誕生日でもあった。日曜日と祝日は面会できないという規則の施設のため誕生祝いは5月2日に面会して行ったのだけど、その日も嘔吐し食欲がないと聞いた。

今日も午前中に嘔吐し、38.5℃の発熱と悪寒の連絡が施設の看護師さんからあり、救急外来で診てもらうことになった。ぼくは午後5時40分頃に救急病棟に到着した。GW連休ということもあり、救急外来はとても混んでいた。病院まで施設から付き添ってくれた看護師さんから色々話をうかがった。彼女が帰ってからも診察の順番はなかなか回ってこなかった。

やっと診察室に呼ばれ、まずはコロナとインフルの検査。そして血液採取。それからレントゲンとCT撮影となった。それが終わってからまたしばらく待合室で待った。次に呼ばれた時はERの隣にあるカーテンで囲われたベッドに移され導尿による採尿や点滴が始まった。

午後10時前に若い女性医師から入院するように言われた。今回は誤嚥性肺炎の疑いがあるからだった。

心配して病院に駆けつけた時、救急外来で車椅子に乗った母を見たら、いつもとさほど変わらぬ様子で安心した。相変わらずおしゃべりだったからだ。しかし、待っている時間が1時間、2時間、3時間と長くなるにつれ、目をつむって黙っている時間が長くなった。ぼくでさえとても疲れて来たので当たり前だろう。 

この1年で3回目の入院となった。

そして入院するごとに明らかに母は体力的に弱まり、食事の量も少なくなって来ている。

父は7年前の2019年5月2日に亡くなったことも何度言っても忘れる母。今でも生きていると思い、面会や見舞いに来ない父を心配している。 

入院した後も高齢のため体調が急変することだってある。

また母が施設に戻れるよう回復することを願うばかりだ。


 

2026年5月4日月曜日

【20260504:月】+++OH! MY GOD! 雨漏り!+++

 

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雨漏り!

ずっと恐れていたこと。

開店当時からずっとね。

いつか来るって思ってた。

築50年以上の古いスレート屋根の工場だったからね。

顛末はこんな具合。

4月26日(日)の深夜の雨で天窓付近から1階床に雨漏りあと。

床がまるでおしっこしたみたいに濡れていた。

2階から天窓を調べたけれどこれといった雨漏りあとは発見できず。

5月1日(金)昨夜の雨の影響を見にお店に来たら琺瑯のたらいに50ccの雨水が溜まっていた。

やはり雨漏りに違いなかった。それでも天窓周辺に雨漏りあとは見つけられなかった。

漏れているときに見ないとわからないのかもしれないね。

翌日の5月2日(土)に実家の屋根にのぼりそこからスレート屋根の状態を目視する。

すると1箇所5cmくらい穴のあいたような箇所があり、知り合いの元板金屋さんに見積もりを電話で依頼。5日(火)に来てくれることに。

5月3日(日)夕方から雨で深夜に雷をともない激しく降る予報。

そのためぼくより体重が軽く(スレートは脆くなっているので割れる可能性大のため)、高所も大丈夫な家人がスレート屋根にのぼり、雨漏りの原因と思われるひび割れ箇所とスレートが欠けた箇所に防水用アルミテープを貼ったのだった。

翌日設置しておいた琺瑯のたらいには雨水は一滴も落ちていなかった。

元板金屋さんにもこのことを伝え、とりあえず、しばらくこのまま様子を見ることになった。

果たしてこのアルミテープどのくらいもつことやら。。。

屋根をガルバで貼り直すような大規模改修工事も想定しておかなければならなくなった。

やれやれだね。

 


2026年5月1日金曜日

【20260501:金】+++やっと行けた珈琲店+++

 

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開店してから1年も経ってしまった。営業日が重なっていて、ぼくが行けるのは金曜日だけ。金曜日は翌日からの営業のための仕込みをしてるので行くことができるタイミングがなかなかやってこなかった。

今回GW中の営業日をぼくは休業することにしたのでやっとそのタイミングがやってきたわけだ。

お店は名古屋の大須の西にあたる場所に位置している。どうやら花の卸売市場みたいな建物の一劃にある。駐車場がないので、お店の近くのコインパークに停めた。本当はマンションから自転車で来るつもりだったけれど昨夜からの雨が上がりきらなかったので諦めて車で来たのだった。

お店自体は大きくはないけれどシンプルな作りで清潔感溢れていた。音楽もかすかに聞こえる程度。平日のオープン直後なのにすでにお客さんが二組 。人気店だ。二人の人柄からだろう、近所の人とも知り合いになっていて声をかけてもらったりしていた。

ぼくはネルドリップのマンデリンとイチゴのパンナコッタを注文した。

旦那さんが淹れてくれたコーヒーはまろやかで、カップも温かみのある作家モノで美味しくいただいた。

そして奥さんの作るパンナコッタも美味しくてペロリと食べ切ってしまった。

店内には静かな時間が流れていた。

すると突如、けたたましい警告音が鳴り出したではないか。

お店の外にある警報が誤作動して甲高いベルの音が鳴り響いていた。

窓を閉めたりシャッターを半分まで下ろしたりと少しでもうるさくないよう旦那さんはお客さんに配慮していた。

10分か15分か、そのくらい鳴り続けていたように感じた。

人の耳というか脳はうまくできていて、この大音響に集中しないようにできているみたいで、徐々に気にならななくなって行った。

そして再び唐突に鳴り止んだ。

岡崎夫妻によると、こんなことは初めてだそうだ。

ぼくは思い出に残る日に来店できたということだ。

もっと色々話しをうかがいたかったけれど、それは次回のお楽しみということでお店を後にした。

そうそう、今日は食事類がなかったので、次回は岡崎さんの手作り料理を注文しよっと。 

それから奥さんの岡崎さんはFUNNEL名義でぼくのお店で骨董市をやってくれたり、夫婦で来店してくれたりととてもお世話になっていたのです。


 

2026年4月27日月曜日

【20260427:月】+++GW中、臨時休業することにした+++

 

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4月の営業日も今日がラスト。ぼくの中では今日で4月も終わり。つまり2026年も3分の1が過ぎてしまったということだね。

母が腰椎骨折しての入退院。施設に戻ってからの腰痛の再発とコルセットの着用位置等々。その前にはぼくの体調不良と物置を作業部屋に改装する工事スタートとあれこれ重なって多忙を極めていた。正直疲れたし、疲れが取れないうちに、淀みのように新たな疲れが以前の疲れの上に堆積していった。そんな感じの今日この頃なのだ。

そんなこともあって今年のゴールデンウィークにかかったVOUSHOの営業日は思い切って臨時休業にすることにした。

早速、SNS(twitterとインスタとFacebook)とホームページに臨時休業の告知をした。

それに加えこの期間中にきてくれそうな人たち(特に遠方の人)に個々にSNSのDM等で連絡した。

それでも営業してると思って来店してくれる人たちが毎回いて、いつも本当に申し訳なく思っている。今回もきっと少なくない人たちがやってきてはがっかりして帰っていかれることだろう。心苦しい。ごめんなさい。

twitterだけは営業日に投稿しているけど、InstagramもFacebookもHPも5ヶ月ぶりの投稿で放置プレーも甚だしい。いくらSNS自体が苦手だとしても、お詫びするしかない。これも、ごめんなさい。

GW明けの5月9日(土)からはまたいつも通り変わりばえなくひっそりと営業再開しますので何卒よろしくお願いいたします。

*HPのトップページの文言も変えた。英語と日本語の併記は敢えてやめ、英語だけにした。このどうしようもない国内向けでなく、世界に向けての意思表明ってことになったりするといいんだけど。

2026年4月16日木曜日

【20260416:木】+++7年ぶりの風邪+++

 

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『馬鹿は風邪をひかない』という。

ぼくは父が2019年5月2日に亡くなってから風邪をひいたことがなかった。その間、コロナ禍もあったけれど、コロナにもインフルエンザにもかかることはなかった。

ただし、父の葬儀の疲れからか帯状疱疹になったのと、3度虫垂炎になり、3度目に手術したことだけだった。

喉のちょっとしたいがらっぽさを感じたのが4月9日(木)ですぐに市販の風邪薬を飲んだのだけど翌日からは発熱以外風邪の諸症状が次々に現れた。

今振り返ると当たり前だけど営業日の土日月に症状はさらに悪化した。

なんとか営業日を乗り切った翌日火曜日、軽トラ・ジャンボの半年点検と知り合いの作家さん二人の個展をはしごして自宅マンションに戻った時が底だった。

それから1日半ずっと寝て過ごしたおかげでやっと快方に向かってきた状態。食事の時とトイレ以外ほとんど寝ていた。何時間寝ても寝足りないほどだった。

まだ今日も時々咳や痰が出るし、疲労感は残ってるけど、それでも随分良くなった気がしてる。

今回のことで、ぼくのような自営業者は体調管理も仕事の1つにしないといけないことと、若い頃と違いリカバリーに時間がかかることを認識すべきだと思い知った。丸1週間かかったからね。

若い頃、発熱を伴わない体調不良なら栄養ドリンクと一緒に風邪薬を飲めば翌朝にはほぼ良くなってたわけだけど、もうそんなわけには行かないということ。

そして今回実は一番辛かったのは味覚がなくなっていたことだた。食欲はあって口に含んでも味がしないことだった。(今日は味覚も戻ってきているけど、相変わらずコーヒーは口がまずくて飲みたくない状態)

明後日からまた営業なのでぶり返さないようにしないといけないね。無理が利かなくなってきたことを認識すべし!だね。問題は無理してる自覚がないことなんだけどね。

 

2026年4月6日月曜日

【20260406:月】+++母、退院した+++

 

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午前11時半、母は退院した。

しかし背骨の骨折はそのままでコルセットで痛みを和らげるだけ。今後施設での生活はより大変なものになるだろう。何をするにも痛みを伴うのだから。高齢になると全身麻酔の手術もできず『様子見』しか無くなる。長生きをするということは、いろんな側面があると改めて思い知らされる。

そしてなんと4日後の金曜に受診予約が組まれていた。レントゲン撮影しての受診だ。この受診に一体どんな意味があるのだろう?

 

2026年4月4日土曜日

【20260404:土】+++とても疲れているのは季節のせい?+++

 

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季節の変わり目、と言うこともある。

母の入院諸々だったり、物置改装工事の準備だったり、花粉症の影響だったりもある。

それより年齢的に当たり前なのかもしれない。

他人のカラダに入ったことがないので比較できないわけだが、自分史的に とにかく癒えない疲れを感じている。 

昨夜だって8時間半も寝たのにだ。

これはぼくも無呼吸症候群ってやつかと疑ったりもするが、どうなんだろう。

諸悪の根源はストレスだと思うけど、教職を退職してからと言うもの、大きなストレスとは無縁になり、さざなみのようなストレスくらいになったとこれも実感している。

だけどストレスフリーではない。

かえって小さなストレスに過敏になってしまっているかもしれない。

新年度。

どこの職場も大変だと思う。

ぼくはいつも通り変わり映えなく一人でお店を営業してるだけなので、何も変わらない。

ありがたいこと。

この疲労感と眼精疲労がもう少し軽減してくれるといいんだけど。

それは贅沢というものかな。

1つ良い報せは、母の退院が来週月曜日の午前中に決まったこと。病室のベッドにいるよりは施設に居た方がずっと良い。腰の骨折部位の根本治療はできなくて、コルセットでしのぐしかないのだけど、母がまた施設に戻れるまで回復してホッとしてる。来月に母は満94歳を迎えることになる。