2026年5月9日土曜日

【20260509:土】+++お気に入りのぼくの自転車+++

 

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昔、もう15年以上前かな。

某オークションでフレームサイズの大きいミニベロのまさにフレームのみを落札した。ビンテージでもなんでもない自転車。

それを当時守山区にあった(今は大阪に移転)隅除輪業の量太さんにお願いし、ギアをシングル化し、更に後輪をコースターブレーキ化してもらった。ハンドルはビーチクルーザーに使う幅広で大きく弧を描くものにした。ぼくはこの自転車をVOUSHO号と名付けた。

ところがビーチクルーザー用のハンドルがぼくの膝に干渉してしまい、とにかく乗りにくい。正直言って危険だった。そこで自分でハンドルをカットし長さ調整してみたのだけどあまり効果無し。そんなに短くもできないしね。

次第にVOUSHO号の出番は少なくなり、お蔵入り。。。となっていた。

そこで昨年ハンドルを別の自転車に使っていたノーマルっぽいものに交換してみた。そしたら見た目のアンバランスさ(これが好きなんだけど)は失ってしまったものの俄然乗りやすくなった。当たり前なのだけど。

急な下り坂や長く続く下り坂ではコースターブレーキは楽だ。ペダルを漕ぐのを逆回転させればブレーキがかかるのだ。つまり足の力だけでブレーキングってこと。ブレーキワイヤーやギアのワイヤーもなく、前輪ブレーキのワイヤーだけという見た目のシンプルさもいい。

そこで今回は藤のカゴからより荷物がたくさん載せられるスチールのカゴに交換した。友人のカゴに刺激されてのこと。これは無印良品の自転車で使っていた無印純正の白い大きなカゴ だ。錆びついていたので全体をやすってミッチャクロンとラッカースプレーでつや消しクロにお化粧直しした。

このVOUSHO号で友人と海を眺めながらポタリングする予定だ。

ぼくは急な坂道はすぐに自転車を降りて押してのぼる。ストイックさを求めるサイクリングは断固NG!なのだ。

歩くような速度でタラタラ海辺の路地裏なんかを自転車で散策するのが好きだ。

そんなサイクリングならどうかお誘い下さい。軽トラにVOUSHO号を積んで馳せ参じます。

 

2026年5月7日木曜日

【20260507:木】+++無為に過ごせなかった+++

 

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銭亀さんにこの連休は無為に過ごすと宣言してたのに、ぼくはあれこれ作業したり母の入院だったりで更に疲れてしまったのだった。

ブログですでに書いたこと以外に何をしたかと言うと、こんな具合だった。

お店の駐車場の草取りから始まり、オリーブとシマトネリコの剪定、更には駐車場から道路の側溝にまで進出してしまった初代の(つまり一番古い)ローズマリーをバッサリと刈り取ったのだった。

一日中剪定バサミで太い幹もカットしまくったので、翌日から朝起きると右手がパンパンにむくみ、親指と人差し指と中指の第2関節に痛みが走るようになってしまった。相変わらずぼくは愚かだった。

そして次にやったのが防虫防腐効果のある黒色のキシラデコールを道路側と駐車場側の黒板塀に塗ったのだった。その日は天気がよくて、半日でしっかり陽焼けしてしまった。もっと早朝からやるべきだった。陽焼けは体力を消耗する。それはわかっていたのにぼくは愚かだった。

また別の日には大きなビニール袋に入れっぱなしで外に放置してた古材にカビが生えそうだったので、この機会にタワシで洗い始めてしまった。こうした単純作業は何も考えなくてもいいのでやっていて気持ちいい。一皮むけてきれいになった板目を見ると達成感もあったりしてね。それぞれの板の使い途を考えるのもまた楽しいだろう。


そんな時に母が入院となったのだった。

他にはVOUSHO店内に工業系の照明器具を取り付けたり、自転車の前カゴを別のカゴに取り付け直したり、とにかくこちょこちょあれこれしていた。まさに貧乏暇なし状態だった。

結局11連休のうち、今日と明日は仕込みがあるので休みではないのだけど、何もしないで家でゴロゴロ寝てたのは9日間の中でたった一日だけだった。

休みの時に休養し鋭気を養うならともかく、休みのたびにくたびれてしまっていては本末転倒も甚だしい。わかっちゃいるけどやめられないぼくは本当に愚かだ。

それは十分承知しているのだけど・・・無為に過ごすというのはぼくにとってかなり高難度の修行のようだ。

ぼくの修行はそれこそ無為に続いていきそうだね。

 

2026年5月5日火曜日

【20260505:火】+++母再び入院+++

 

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母は昨年5月15日に施設内で転倒し、大腿骨骨折のため入院・手術した母。退院したのは6月3日で、20日間の入院だった。

そして今年3月23日。

今度は転倒もしてないのに第3腰痛を骨折し入院。母の体の型をとって作ったコルセットで固定するだけで4月6日に退院。 15日間の入院だった。

そして今日、5月5日。

実は今日は母の94歳の誕生日でもあった。日曜日と祝日は面会できないという規則の施設のため誕生祝いは5月2日に面会して行ったのだけど、その日も嘔吐し食欲がないと聞いた。

今日も午前中に嘔吐し、38.5℃の発熱と悪寒の連絡が施設の看護師さんからあり、救急外来で診てもらうことになった。ぼくは午後5時40分頃に救急病棟に到着した。GW連休ということもあり、救急外来はとても混んでいた。病院まで施設から付き添ってくれた看護師さんから色々話をうかがった。彼女が帰ってからも診察の順番はなかなか回ってこなかった。

やっと診察室に呼ばれ、まずはコロナとインフルの検査。そして血液採取。それからレントゲンとCT撮影となった。それが終わってからまたしばらく待合室で待った。次に呼ばれた時はERの隣にあるカーテンで囲われたベッドに移され導尿による採尿や点滴が始まった。

午後10時前に若い女性医師から入院するように言われた。今回は誤嚥性肺炎の疑いがあるからだった。

心配して病院に駆けつけた時、救急外来で車椅子に乗った母を見たら、いつもとさほど変わらぬ様子で安心した。相変わらずおしゃべりだったからだ。しかし、待っている時間が1時間、2時間、3時間と長くなるにつれ、目をつむって黙っている時間が長くなった。ぼくでさえとても疲れて来たので当たり前だろう。 

この1年で3回目の入院となった。

そして入院するごとに明らかに母は体力的に弱まり、食事の量も少なくなって来ている。

父は7年前の2019年5月2日に亡くなったことも何度言っても忘れる母。今でも生きていると思い、面会や見舞いに来ない父を心配している。 

入院した後も高齢のため体調が急変することだってある。

また母が施設に戻れるよう回復することを願うばかりだ。


 

2026年5月4日月曜日

【20260504:月】+++OH! MY GOD! 雨漏り!+++

 

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雨漏り!

ずっと恐れていたこと。

開店当時からずっとね。

いつか来るって思ってた。

築50年以上の古いスレート屋根の工場だったからね。

顛末はこんな具合。

4月26日(日)の深夜の雨で天窓付近から1階床に雨漏りあと。

床がまるでおしっこしたみたいに濡れていた。

2階から天窓を調べたけれどこれといった雨漏りあとは発見できず。

5月1日(金)昨夜の雨の影響を見にお店に来たら琺瑯のたらいに50ccの雨水が溜まっていた。

やはり雨漏りに違いなかった。それでも天窓周辺に雨漏りあとは見つけられなかった。

漏れているときに見ないとわからないのかもしれないね。

翌日の5月2日(土)に実家の屋根にのぼりそこからスレート屋根の状態を目視する。

すると1箇所5cmくらい穴のあいたような箇所があり、知り合いの元板金屋さんに見積もりを電話で依頼。5日(火)に来てくれることに。

5月3日(日)夕方から雨で深夜に雷をともない激しく降る予報。

そのためぼくより体重が軽く(スレートは脆くなっているので割れる可能性大のため)、高所も大丈夫な家人がスレート屋根にのぼり、雨漏りの原因と思われるひび割れ箇所とスレートが欠けた箇所に防水用アルミテープを貼ったのだった。

翌日設置しておいた琺瑯のたらいには雨水は一滴も落ちていなかった。

元板金屋さんにもこのことを伝え、とりあえず、しばらくこのまま様子を見ることになった。

果たしてこのアルミテープどのくらいもつことやら。。。

屋根をガルバで貼り直すような大規模改修工事も想定しておかなければならなくなった。

やれやれだね。

 


2026年5月1日金曜日

【20260501:金】+++やっと行けた珈琲店+++

 

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開店してから1年も経ってしまった。営業日が重なっていて、ぼくが行けるのは金曜日だけ。金曜日は翌日からの営業のための仕込みをしてるので行くことができるタイミングがなかなかやってこなかった。

今回GW中の営業日をぼくは休業することにしたのでやっとそのタイミングがやってきたわけだ。

お店は名古屋の大須の西にあたる場所に位置している。どうやら花の卸売市場みたいな建物の一劃にある。駐車場がないので、お店の近くのコインパークに停めた。本当はマンションから自転車で来るつもりだったけれど昨夜からの雨が上がりきらなかったので諦めて車で来たのだった。

お店自体は大きくはないけれどシンプルな作りで清潔感溢れていた。音楽もかすかに聞こえる程度。平日のオープン直後なのにすでにお客さんが二組 。人気店だ。二人の人柄からだろう、近所の人とも知り合いになっていて声をかけてもらったりしていた。

ぼくはネルドリップのマンデリンとイチゴのパンナコッタを注文した。

旦那さんが淹れてくれたコーヒーはまろやかで、カップも温かみのある作家モノで美味しくいただいた。

そして奥さんの作るパンナコッタも美味しくてペロリと食べ切ってしまった。

店内には静かな時間が流れていた。

すると突如、けたたましい警告音が鳴り出したではないか。

お店の外にある警報が誤作動して甲高いベルの音が鳴り響いていた。

窓を閉めたりシャッターを半分まで下ろしたりと少しでもうるさくないよう旦那さんはお客さんに配慮していた。

10分か15分か、そのくらい鳴り続けていたように感じた。

人の耳というか脳はうまくできていて、この大音響に集中しないようにできているみたいで、徐々に気にならななくなって行った。

そして再び唐突に鳴り止んだ。

岡崎夫妻によると、こんなことは初めてだそうだ。

ぼくは思い出に残る日に来店できたということだ。

もっと色々話しをうかがいたかったけれど、それは次回のお楽しみということでお店を後にした。

そうそう、今日は食事類がなかったので、次回は岡崎さんの手作り料理を注文しよっと。 

それから奥さんの岡崎さんはFUNNEL名義でぼくのお店で骨董市をやってくれたり、夫婦で来店してくれたりととてもお世話になっていたのです。