2026年5月27日水曜日

【20260527:水】+++タカさんと雨のパラつく海へ+++

 

■□

曇天の三河湾。

時折雨がパラつく中を友人のタカさんと久しぶりに海へ行く。

二人の自転車をタカさんの軽トラに積んで行ったのだけど、あいにくの天気のため、ポタリングはやめ、涼しい風が吹くなか海を眺め、タカさんがアルコール燃料で淹れてくれた苦味の効いたコーヒーをベンチに並んで座っていただく。

こんな時間と空間。

そして格別なコーヒー。

美味しい。


今日タカさんが連れてきてくれたスッポットはいつもぼくが行く海岸のすぐ西隣。

ほんの少ししか離れてないのに見える景色や印象が全くと言っていいほど異なっていた。

季節外れの海水浴場って祭りの後のような寂しさがどこか漂っているようでぼくは好きだ。

浜辺の向こうにポツンと忘れ去られたような監視台もまたぼくの目を引いて離さなかった。

 

タカさんとあれこれ話してから、海岸をあとにした。

いつものことだけど海を眺めると固く閉じたぼくのココロが解放されるような気がした。 

次回はまた自転車持参で海岸線をのんびり走れるといいね。

夏は暑いから半年後の晩秋あたりにね。

2026年5月23日土曜日

【20260523:土】+++睡眠障害なんだろうな+++

 

■□

また眠れない夜をあかした。

時々ぼくは夜眠れなくなる。

「明日からまた営業日なんだからもう寝なくちゃ」と思えば思うほど眠れなくなる。

「明日は久しぶりに友人とサイクリングするからもう寝なくちゃ」と思えば思うほどワクワクして眠れなくなる。

思い返してみれば昔からずっとそんな具合だった。

やれ定期考査だから、やれ部活の試合だから、やれ入学試験だから。

そんな時は決まって眠れなかった。

気が小さくて臆病だからということもある。


眠れない時、頭と足の向きを逆にしてみたり、下着を脱いで真っ裸で寝てみたり、呼吸法を試してみたり、アレコレやってみる・・・のだが。

それでも眠れない時、とにかく横たわって身体を休めるだけでもいいやとじっと寝たふりをしてみる。自分に対して寝たふりをするわけだ。稀に引っかかって寝入ることができるときもあったりするから。

1時間ほど経ってそれでも眠れない時、スパッと眠る努力を諦め、起き上がって活動し始める。掃除したり、料理の仕込みをしたり、ブログを書いたりとかね。

そんなことが2ヶ月から1ヶ月半に一度くらいの割合でやってくるのだ。

いわゆる『睡眠障害』なんだと思う。

でも今まで「睡眠導入剤(眠剤)』は飲んだことがないし、飲む予定も今のところ無い。一睡もできなかった日の夜には泥のように眠ってしまうからだ。

今日みたいな日の昼間、一番心配なのは注意力が散漫になることだ。

お客さんに飲み物をこぼすような粗相したり、モノを落として壊したり、お湯で火傷したりとか。 。。

そんなことがないよう今日はいつも以上に注意しなければね。

何事も起きませんように!

 

 *ところで、今日の写真は何を撮ったものかわかる?

わかったらすごいよ!

答えは

瓢箪の内側。

あの穴の奥を覗き込むと長いトンネルのようになっていて別世界にワープできるのかもしれないよ。

これも1つの世界だよね。

 


2026年5月22日金曜日

【20260522:金】+++現実逃避なのかもしれない+++

 

■□

7年前に亡くなった父のことを最近よく思い出す。

ぼくと異なり無口でコツコツと何事においてもやり通す父だった。ぼくが有言実行タイプなら父は不言実行タイプそのものだった。

草取りもそんな父のおかげでぼくはやろうともせず、父にお礼の言葉さえ言わず任せっきりにしていた正真正銘の親不孝者だ。

今になって父のありがたさを噛み締め、父にすっかり甘えていたぼくのダメさを思い溜息するばかりだ。

GWの休業中のこと。

板塀塗装のためにローズマリーを抜いたことが契機となり、その流れで駐車場の草取りをしだしてからというもの、時間ができると草取りをしている自分に気がついた。

草取りに夢中になると頭の中が真っ白になる感じなのだ。

何も考えないで一心に雑草を器具を用いながら根っこごと引き抜く。特に根っこごとすっぽり抜けたときは格別だ。

何よりこの単純作業が心地よいのだ。

陽が傾き出した頃から、あっという間に3時間が過ぎたこともあった。午後7時を過ぎて暗くなり見えなくなるまで。

ぼくはふと父も同じだったのではないかと思った。

単純作業が苦手な人ももちろんいるだろう。でも逆に単純作業で心が凪ぎる人もいるはずだ。

ぼくは後者だ。そしておそらく父も。

現実逃避・・・なのかもしれないけど、誰かに迷惑をかけるものではないので良しとしよう。

この現実逃避作業のおかげで、駐車場は以前より広々とし、こざっぱりした感じがするのは手前味噌ではないと思いたい。

これから先、この状態をキープできるかどうかはわからないけど、少なくともぼくは草取りが嫌ではないことだけは自己認識できたし、父に感謝の気持ちを持てたことも悪くないと思ったのだった。

蛇足ながら、この草取りで一番の強敵はイシクラゲだ。雑草というより苔の一種みたいで生命力がとにかく凄まじい。晴れて乾燥すると黒く干からびたカットワカメみたいになり、あたかも死んだフリをしてるのだけど、雨が降ると吸水して復活し緑っぽいふやけたワカメみたいに大きくなるのだ。さらに水分を含むと分裂し増殖するという。そのため夥しい数のイシクラゲが湿気の多い土のあたりを中心に繁茂し増殖し続けている。いくらとってもキリがなくて、これには本当に参っている。バーナーで焼いてやろうかとか、ケルヒャーの蒸気を当ててやろうかと考えたりもしているのだけど。因みにイシクラゲ専用の駆除剤があるのだけど10,000円以上するのでちょっと手が出ないし、この駆除剤を使っても完全には駆逐できる訳ではないらしいので尚更躊躇しているのだ。やれやれ。


2026年5月21日木曜日

【20260521:木】+++母は退院したのだけれど+++

 

■□

昨年の5月から3度目の入院、そして退院。

1度目は施設での転倒による大腿骨骨折のための手術での入院。2度目は今年3月に腰椎骨折で入院。そして退院から1ヶ月後の5月5日、この日は偶然にも母の94歳の誕生日なのだけど、誤嚥性肺炎のため入院したのだった。

この1年で3回の入退院となった。

入院ごとに母は痩せていき、認知症もしだいにその深度を増していった感じがする。母の記憶の中の世界と現実世界の区別がより曖昧となり、時間軸も現在と過去が入り乱れている。母と病院で話すとそんな感じだ。母の手や腕をみると、おそろしいほど痩せ細ってしまっている。骨と皮、そして植物の細かな根のような血管がくっきりと浮き出ていて、痛々しい。

母の血管はすごく細く、毎回看護師泣かせだが、実際のところ、一番痛い思いをしているのは母だ。血管の細さだけでなく、血管自体も脆くなっているので、すぐに点滴がはずれ、漏れ出した点滴の痕で母の手の甲や腕はいたるところ黒く変色してしまっている。

今回の入院では折れたままの腰の痛みと誤嚥性肺炎による高熱と食欲不振と点滴の痛みで本当にかわいそうな状態だった。

それでも抗生物質のおかげで炎症や熱も収まり、おしゃべり好きな母に少しもどってきたことだけが救いだったと言える。

今現在、一番の心配事は食欲が戻らないことだ。

あれだけ甘いお菓子や果物が好きで、施設の面会時に差し入れしたものをペロリと平らげていた母なのに今は「食べたくないなぁ」というばかりだからだ。

『老衰』(老衰による死)という言葉をぼくは考えざるを得なくなった。

母はすでに『老衰』という死へのベルトコンベアーに乗っかってしまったのだろうかと。

来年5月に95歳の誕生日を迎えることはかなり厳しい、そんな状態になって来た気がするのだった。

 

2026年5月13日水曜日

【20260513:水】+++永代経と二人展+++

 

■□

覚王山日奉寺の永代経に参列。

久しぶり。

ここのお経は10人くらいのお坊さんが一斉にとなえるので荘厳な宗教音楽のようでいい。

毎日12時半からやるので永代供養や納骨をしてない人でも参列して見てみるといい。 

覚王山日奉寺はどの宗派でもいいのもいい。ぼくも特定の宗派を信仰してるわけではないから気が楽だ。

普段着でお参りできるのもいい。

ぼくもすぐ近くのギャラリーでやってる二人展を見に行くついでに参列した。

 

夫婦による二人展。

奥さんは絵。

旦那さんは立体オブジェ。

ぼくのお気に入りは布でできた不思議な動物。

存在感、質感は彫刻家だけにさすがだった。

 


2026年5月12日火曜日

【20260512:火】+++写真展@無我苑+++

 

■□

碧南市の無我苑に行くたびに、とても遠く感じる。

それでもこれが4回目くらいなのでやっと道順を8割くらい覚えられた気がする。

 

VOUSHOでも個展やワークショップをやった竹谷さんの写真展。

1800点の写真はまさに圧巻以外のなにものでもなかった。

平日で入館者も少なくじっくり見学できたのもとてもよかった。

刺激をもらった。

見て、あ!っと思ったものを帰り道から積極的にiPhoneで撮ってるぼく。

単純だ。

刺激をもらえるかどうか。それがぼくにとって意味のある展示かどうかの評価基準なんだろうな。

2026年5月9日土曜日

【20260509:土】+++お気に入りのぼくの自転車+++

 

■□

昔、もう15年以上前かな。

某オークションでフレームサイズの大きいミニベロのまさにフレームのみを落札した。ビンテージでもなんでもない自転車。

それを当時守山区にあった(今は大阪に移転)隅除輪業の量太さんにお願いし、ギアをシングル化し、更に後輪をコースターブレーキ化してもらった。ハンドルはビーチクルーザーに使う幅広で大きく弧を描くものにした。ぼくはこの自転車をVOUSHO号と名付けた。

ところがビーチクルーザー用のハンドルがぼくの膝に干渉してしまい、とにかく乗りにくい。正直言って危険だった。そこで自分でハンドルをカットし長さ調整してみたのだけどあまり効果無し。そんなに短くもできないしね。

次第にVOUSHO号の出番は少なくなり、お蔵入り。。。となっていた。

そこで昨年ハンドルを別の自転車に使っていたノーマルっぽいものに交換してみた。そしたら見た目のアンバランスさ(これが好きなんだけど)は失ってしまったものの俄然乗りやすくなった。当たり前なのだけど。

急な下り坂や長く続く下り坂ではコースターブレーキは楽だ。ペダルを漕ぐのを逆回転させればブレーキがかかるのだ。つまり足の力だけでブレーキングってこと。ブレーキワイヤーやギアのワイヤーもなく、前輪ブレーキのワイヤーだけという見た目のシンプルさもいい。

そこで今回は藤のカゴからより荷物がたくさん載せられるスチールのカゴに交換した。友人のカゴに刺激されてのこと。これは無印良品の自転車で使っていた無印純正の白い大きなカゴ だ。錆びついていたので全体をやすってミッチャクロンとラッカースプレーでつや消しクロにお化粧直しした。

このVOUSHO号で友人と海を眺めながらポタリングする予定だ。

ぼくは急峻な登り坂はすぐに自転車を降りて押してのぼる。ストイックさを求めるサイクリングは断固NG!なのだ。

歩くような速度でタラタラ海辺の路地裏なんかを自転車で散策するのが好きだ。

そんなサイクリングならどうかお誘い下さい。軽トラにVOUSHO号を積んで馳せ参じます。

 

2026年5月7日木曜日

【20260507:木】+++無為に過ごせなかった+++

 

■□

銭亀さんにこの連休は無為に過ごすと宣言してたのに、ぼくはあれこれ作業したり母の入院だったりで更に疲れてしまったのだった。

ブログですでに書いたこと以外に何をしたかと言うと、こんな具合だった。

お店の駐車場の草取りから始まり、オリーブとシマトネリコの剪定、更には駐車場から道路の側溝にまで進出してしまった初代の(つまり一番古い)ローズマリーをバッサリと刈り取ったのだった。

一日中剪定バサミで太い幹もカットしまくったので、翌日から朝起きると右手がパンパンにむくみ、親指と人差し指と中指の第2関節に痛みが走るようになってしまった。相変わらずぼくは愚かだった。

そして次にやったのが防虫防腐効果のある黒色のキシラデコールを道路側と駐車場側の黒板塀に塗ったのだった。その日は天気がよくて、半日でしっかり陽焼けしてしまった。もっと早朝からやるべきだった。陽焼けは体力を消耗する。それはわかっていたのにぼくは愚かだった。

また別の日には大きなビニール袋に入れっぱなしで外に放置してた古材にカビが生えそうだったので、この機会にタワシで洗い始めてしまった。こうした単純作業は何も考えなくてもいいのでやっていて気持ちいい。一皮むけてきれいになった板目を見ると達成感もあったりしてね。それぞれの板の使い途を考えるのもまた楽しいだろう。


そんな時に母が入院となったのだった。

他にはVOUSHO店内に工業系の照明器具を取り付けたり、自転車の前カゴを別のカゴに取り付け直したり、とにかくこちょこちょあれこれしていた。まさに貧乏暇なし状態だった。

結局11連休のうち、今日と明日は仕込みがあるので休みではないのだけど、何もしないで家でゴロゴロ寝てたのは9日間の中でたった一日だけだった。

休みの時に休養し鋭気を養うならともかく、休みのたびにくたびれてしまっていては本末転倒も甚だしい。わかっちゃいるけどやめられないぼくは本当に愚かだ。

それは十分承知しているのだけど・・・無為に過ごすというのはぼくにとってかなり高難度の修行のようだ。

ぼくの修行はそれこそ無為に続いていきそうだね。

 

2026年5月5日火曜日

【20260505:火】+++母再び入院+++

 

■□

母は昨年5月15日に施設内で転倒し、大腿骨骨折のため入院・手術した母。退院したのは6月3日で、20日間の入院だった。

そして今年3月23日。

今度は転倒もしてないのに第3腰痛を骨折し入院。母の体の型をとって作ったコルセットで固定するだけで4月6日に退院。 15日間の入院だった。

そして今日、5月5日。

実は今日は母の94歳の誕生日でもあった。日曜日と祝日は面会できないという規則の施設のため誕生祝いは5月2日に面会して行ったのだけど、その日も嘔吐し食欲がないと聞いた。

今日も午前中に嘔吐し、38.5℃の発熱と悪寒の連絡が施設の看護師さんからあり、救急外来で診てもらうことになった。ぼくは午後5時40分頃に救急病棟に到着した。GW連休ということもあり、救急外来はとても混んでいた。病院まで施設から付き添ってくれた看護師さんから色々話をうかがった。彼女が帰ってからも診察の順番はなかなか回ってこなかった。

やっと診察室に呼ばれ、まずはコロナとインフルの検査。そして血液採取。それからレントゲンとCT撮影となった。それが終わってからまたしばらく待合室で待った。次に呼ばれた時はERの隣にあるカーテンで囲われたベッドに移され導尿による採尿や点滴が始まった。

午後10時前に若い女性医師から入院するように言われた。今回は誤嚥性肺炎の疑いがあるからだった。

心配して病院に駆けつけた時、救急外来で車椅子に乗った母を見たら、いつもとさほど変わらぬ様子で安心した。相変わらずおしゃべりだったからだ。しかし、待っている時間が1時間、2時間、3時間と長くなるにつれ、目をつむって黙っている時間が長くなった。ぼくでさえとても疲れて来たので当たり前だろう。 

この1年で3回目の入院となった。

そして入院するごとに明らかに母は体力的に弱まり、食事の量も少なくなって来ている。

父は7年前の2019年5月2日に亡くなったことも何度言っても忘れる母。今でも生きていると思い、面会や見舞いに来ない父を心配している。 

入院した後も高齢のため体調が急変することだってある。

また母が施設に戻れるよう回復することを願うばかりだ。


 

2026年5月4日月曜日

【20260504:月】+++OH! MY GOD! 雨漏り!+++

 

 ■□

雨漏り!

ずっと恐れていたこと。

開店当時からずっとね。

いつか来るって思ってた。

築50年以上の古いスレート屋根の工場だったからね。

顛末はこんな具合。

4月26日(日)の深夜の雨で天窓付近から1階床に雨漏りあと。

床がまるでおしっこしたみたいに濡れていた。

2階から天窓を調べたけれどこれといった雨漏りあとは発見できず。

5月1日(金)昨夜の雨の影響を見にお店に来たら琺瑯のたらいに50ccの雨水が溜まっていた。

やはり雨漏りに違いなかった。それでも天窓周辺に雨漏りあとは見つけられなかった。

漏れているときに見ないとわからないのかもしれないね。

翌日の5月2日(土)に実家の屋根にのぼりそこからスレート屋根の状態を目視する。

すると1箇所5cmくらい穴のあいたような箇所があり、知り合いの元板金屋さんに見積もりを電話で依頼。5日(火)に来てくれることに。

5月3日(日)夕方から雨で深夜に雷をともない激しく降る予報。

そのためぼくより体重が軽く(スレートは脆くなっているので割れる可能性大のため)、高所も大丈夫な家人がスレート屋根にのぼり、雨漏りの原因と思われるひび割れ箇所とスレートが欠けた箇所に防水用アルミテープを貼ったのだった。

翌日設置しておいた琺瑯のたらいには雨水は一滴も落ちていなかった。

元板金屋さんにもこのことを伝え、とりあえず、しばらくこのまま様子を見ることになった。

果たしてこのアルミテープどのくらいもつことやら。。。

屋根をガルバで貼り直すような大規模改修工事も想定しておかなければならなくなった。

やれやれだね。

 


2026年5月1日金曜日

【20260501:金】+++やっと行けた珈琲店+++

 

■□

開店してから1年も経ってしまった。営業日が重なっていて、ぼくが行けるのは金曜日だけ。金曜日は翌日からの営業のための仕込みをしてるので行くことができるタイミングがなかなかやってこなかった。

今回GW中の営業日をぼくは休業することにしたのでやっとそのタイミングがやってきたわけだ。

お店は名古屋の大須の西にあたる場所に位置している。どうやら花の卸売市場みたいな建物の一劃にある。駐車場がないので、お店の近くのコインパークに停めた。本当はマンションから自転車で来るつもりだったけれど昨夜からの雨が上がりきらなかったので諦めて車で来たのだった。

お店自体は大きくはないけれどシンプルな作りで清潔感溢れていた。音楽もかすかに聞こえる程度。平日のオープン直後なのにすでにお客さんが二組 。人気店だ。二人の人柄からだろう、近所の人とも知り合いになっていて声をかけてもらったりしていた。

ぼくはネルドリップのマンデリンとイチゴのパンナコッタを注文した。

旦那さんが淹れてくれたコーヒーはまろやかで、カップも温かみのある作家モノで美味しくいただいた。

そして奥さんの作るパンナコッタも美味しくてペロリと食べ切ってしまった。

店内には静かな時間が流れていた。

すると突如、けたたましい警告音が鳴り出したではないか。

お店の外にある警報が誤作動して甲高いベルの音が鳴り響いていた。

窓を閉めたりシャッターを半分まで下ろしたりと少しでもうるさくないよう旦那さんはお客さんに配慮していた。

10分か15分か、そのくらい鳴り続けていたように感じた。

人の耳というか脳はうまくできていて、この大音響に集中しないようにできているみたいで、徐々に気にならななくなって行った。

そして再び唐突に鳴り止んだ。

岡崎夫妻によると、こんなことは初めてだそうだ。

ぼくは思い出に残る日に来店できたということだ。

もっと色々話しをうかがいたかったけれど、それは次回のお楽しみということでお店を後にした。

そうそう、今日は食事類がなかったので、次回は岡崎さんの手作り料理を注文しよっと。 

それから奥さんの岡崎さんはFUNNEL名義でぼくのお店で骨董市をやってくれたり、夫婦で来店してくれたりととてもお世話になっていたのです。