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3月はザワザワした月だった。
プライベートですべきことも多く、毎日カレンダーでチェックを怠りなくしないととんでもないミスをしでかしそうだった。
そんな月もあるね。
そして3月も終わろうとしているこの時期、桜は満開を迎えているらしい。数日後の雨で桜は散ってしまうだろうと今日友人がいっていた。
桜をのんびり愛でる、そんなゆとりが今のぼくに無いのが残念だ。
『見なくちゃ』と思いたくない。
それは何か違う。
偶然通りすがりにチラ見するだけになりそうだ。
こんな春もあるね。
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3月はザワザワした月だった。
プライベートですべきことも多く、毎日カレンダーでチェックを怠りなくしないととんでもないミスをしでかしそうだった。
そんな月もあるね。
そして3月も終わろうとしているこの時期、桜は満開を迎えているらしい。数日後の雨で桜は散ってしまうだろうと今日友人がいっていた。
桜をのんびり愛でる、そんなゆとりが今のぼくに無いのが残念だ。
『見なくちゃ』と思いたくない。
それは何か違う。
偶然通りすがりにチラ見するだけになりそうだ。
こんな春もあるね。
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なぜかタイトルが覚えられないドラマが最終回を迎えた。
監督が今泉力哉だったこともあって(実はもう1つ大きな理由があったのだけどそれは内緒)何回も見直した。
それでもタイトルが覚えられなかった。
『冬のなんとか、春のなんとか・・・』
ちょっとこういうタイトルは苦手。
以前、高級食バンの店名に屋号とは思えないのがやたら増えた時のアノ感じに似てると思った。まるで拒絶するようにぼくの頭に入ってこなかった。
このドラマは単純に言うなら20代から30代前半と思われる若者の恋愛劇。
セリフが長く、長回しだし、会話劇みたいな感じなのは異色だった。
主演の杉咲花の演技はビッチな女性の内面を見事に演じ切っていた。
色々と登場人物の人間関係について思うところはあるのだけど、端的にぼくの感想を言うなら『面倒くさいなぁ』となる。
ぼくの若い頃もそうだったのかもしれないけれど、あれこれかけひきしあったり、理屈っぽく説明したりと恋愛にかけるエネルギーってこんなにも大きく、生活の大きな部分を占めるものだったのかなぁと。ああ、面倒くさい。
もっと単純でいいのではないか。一緒に居て疲れず、世界の見方のベクトルも同じ方を向いていて、お互い楽しい時を過ごせられるならそれでいいではないか。
最終話の公園のシーンでぼくには少し唐突に思えたのだけど、『戦争反対!』と小太郎(岡山天音)に叫ばせたのは昨今の世界や国内情勢を鑑みてのことだったのかな。
それにしても、ぼくにはこのドラマのタイトルが内容と符合して捉えられない。そして覚える気も全くない。
やはりぼくは相当の馬鹿者だな。
*写真は千代田街道沿いにある入ってみたいエスニック店3店舗。3店舗が隣り合って連続してるのもすごい。本文と全く関係無しね。
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来週から物置の作業部屋化工事が始まるので、物置の荷物の移動を午前から始めた。
腰を痛めないよう、無理をせず、一人でぼちぼちやることにした。
やり始めた時は先が全く見えず途方に暮れそうになった。
何事も少しずつ継続していけばなんとかなるもの。
少しやっては休憩し、また少しやっては休憩。
サッシの掃き出し窓もはずして掃除したので開閉もスムーズになった。
作業を終えた午後4時半頃までに半分から3分の2くらい片付いたように思う。
よくここまでやれたものだと思った。(写真だとまだモノがいっぱいに見えるけど、これでも
かなり少なくなったのだ)
工事が始まるまでに片付け完了できる見通しができてよかった。
明日以降も毎日少しずつ片付け継続するね。
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昨日母は入院した。
今日の午前9時半頃、整形外科の医師から電話があった。昨年骨折した大腿骨は問題ないが背骨骨折しているとのことだった。母が痛みのために立ち上がれなかったのはそのためだった。
高齢のため手術はできないので、母の身体に合わせたコルセットを作ることを勧められた。もちろん同意した。
来週の火曜日に母の骨折についての説明を受けることになった。
総合内科では見つけられなかったが、入院したことによって整形外科でも診てもらえ骨折がわかってよかった。
総合内科の医師は入院させるかどうか迷っていたので、こちらから入院を希望したのだった。もしあのまま母を施設に戻していたら痛みで寝たきりになっていたかもしれない。
午後4時半頃母の様子を見に行った。
母は左向きにエビのようになって眠っていた。
それが母にとって痛みが少ない姿勢のようだった。左腕に点滴をしていた。
目覚めた母は「早くお迎えが来てほしい」と弱音を吐いていた。
痛みは気力を削ぐ。
なんとか痛みがなくなるか軽減して欲しいと願わずにはいられなかった。
*
26日(木)の夜7時半頃に母の面会に行くと既にコルセットをし上体も起こしてベッドにもたれていた。痛みも無いようでホッとした。母の表情も良くなったように思えた。
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昨日夕方、高齢の母(93歳)の調子がよくないと施設からの連絡があった。
食欲旺盛な母が食べれなくなり、嘔吐もしたようだ。右大腿部骨折の箇所に痛みもあり、車椅子に移れずベッドで伏せているとも。便秘も6日目になり、かろうじてカロリーメイトを今朝一つ食べたとのこと。血尿も時々あるようで心配は絶えない。
そのため急遽病院へ付き添うことになった。
連休明けということもあり、病院は混雑していて待ち時間も長い。営業開始時間にとても間に合わないので今日は臨時休業することにした。
せっかく来てくれた人には本当に申し訳ない。
ごめんなさい!
✳︎昨年5月に入院したので1年間に2度目の入院となりました。
連休明けで大変混雑していて時間がかかりました。
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またやらかした〜!
営業してるのにお店の入り口の看板を『CLOSED』のままにしていたのだった。
そのため、ぼくが気づいただけでも2組6人のお客さんが去っていった。
3連休最後の日曜日。せっかく来てくれたのに申し訳ないことをした。
本当にすみません。。。
時々、うっかりミスをするぼく。
歳のせいもあって、ミスの頻度が上がってる気もする。
今日のように『OPEN』にしてなかったり、外灯を点け忘れたり、入り口の鍵をしたままにしてたり。この3点はいつもチェックしないといけない。いつものルーティンとして何も考えずにやるとこういうことになる。
なんでも疑うぼくなら、『CLOSED』でも本当にやってないかお店の入り口を開けてみようとするのだけど、看板を見て素直に休みなんだと諦める人もいる。割合的には後者の方が多いのかもしれない。本当に注意して間違えないようにしないといけない。
これに懲りずまたタイミング合ったらお越しくださいね。
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昨年、MacBookのSSD化でお世話になったTさんと二度目のお付き合い。
今回は物置の作業部屋化をお願いすることになった。
元々はガレージだったものをVOUSHOを開業する時に物置に改装してもらっていたのだけど、今回はそれに床と壁と天井に断熱材を仕込み構造合板で覆い部屋にしてしまうというもの。
今月中にこのリノベは始まるだろうけど、ぼくの妄想から始まり具体化するのに1年ほど要するにことになった。
完成は5月末を予定している(Tさんは他に仕事があるので週に1日か1日半の作業のため)。
とても楽しみ。
この空間ができたら、その中身はぼくが棚や作業台をレイアウトしたり、壁板を別に貼ったり、作りつけの棚を作ったりするつもり。空調も取り付け、ぼくの作業だけでなくワークショップもできるようになったらいいなと思っている。
とりあえず、工事できるように荷物を撤去することがぼくの目下の任務。
が、これが実はすごく大変。毎日少しずつやるしかないねぇ。
*別件だけど、先日このブログに閲覧制限をつけて見たら、全く空白のページ(about blannk)しか出なくなってしまい諦めた。他の無料ブログサイトに移行するしかないのかな。
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自炊するようになって十数年経つ。
ぼくが食事を作るときに注意してることはとにかく怪我をしないこと。
慣れてきて油断すると指を切ったりするから。
ちょっとした切り傷だってヒリヒリして痛い。
あの痛さをあじわいたくないから、指を切らないようにすごく注意してる。
そのおかげでここ10年間一度も包丁で指を切ったことはない。
でも一度だけ洗い物の時、手を突っ込んだ先に包丁があって切ったことがある。
まさか!・・・だった。
それ以来、最初に包丁を洗って水切りカゴに立てている。
前置きが長くなった。
今日のお題は目玉焼きと卵巻き(卵焼きと言った方がいいのかなぁ)。
この2つは簡単そうで難しい。
奥が深い・・・と勝手に思っている。
理想的な目玉焼きってなかなかできない。
半熟で綺麗な形にするのはとても難しい。
ポイントは火加減だ。
ある時点で火を止めたり、余熱態勢に入ったりする。(ぼくは蓋をして調理してる)
この火加減というのは、他の料理の時でもある意味最も大切な調理を成功させる要素なのではと思ったりする。
いくら味付けが良くても、火加減を間違ったら台無しとまではいかなくてもとても残念なことになる。
卵巻きもそうだ。
焦らずにうまく卵を巻けて行ったときは嬉しいし、焦げ目もなく綺麗に焼けたときの達成感も半端ない。
だから、ぼくは目玉焼きと卵巻きは料理の基本中の基本が詰まっていて、これらをうまく調理できたら他のものもできるんじゃないか・・・とすら思ってる。(専門家から言わせたら違うかもしれないけど)
今朝卵6個使い、顆粒出汁ときび砂糖、それに千切りした大葉をたっぷり入れた卵巻きが自分的にはうまく焼けてとても嬉しかった。
これぞ本日の小確幸!・・・だった。
目玉焼きと卵巻きを日々作り続けながら、現在の料理のレパートリーを増やしたり、応用を効かせるようになりたい。
そう思う一方でご飯を鍋で炊けて、具沢山の味噌汁を作れて、卵巻きがさっと焼けるなら、あとは怖いもの無しだ!と思う自分もいたりする。(前の二つはなんとかできるのだよ。卵焼きはさっとはまだできないなぁ)
自立した人となるには経済力だけでなく、男女に関係なく台所力も欠かせないと思ってるからなんだけどね。
でも食べ過ぎ注意!だねぇ。
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初めて締め切り日ではなく少しゆとりをもって確定申告を提出した。ぼくにしては快挙!
気分がいい。
なので自転車で税務署に行った。
今ではe-Taxで電子申告する人が増えたのか駐車場も空いていて駐車場案内係の人も暇そうに見えた。
ぼくも来年度は電子申告に取り組んでみようかと。
今回、名古屋の行きつけの古本屋(すでに閉店して20年くらいになるのかな)で知り合った元会計士の友人にアドバイスしてもらい、とても勉強になった。Cさんに感謝!
さ~て、宿題も終わったので気持ちも晴れやか!
少し何かをやる気になってきたかもなぁ。
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東日本大震災から15年経った。
あの日ぼくは一階の職員室で弱くない揺れを感じ、すぐさま二階の図書室で会議中のボランティアさんたちの様子を見にあがった。幸い名古屋にあるこの学校のあたりではグラウンドに生徒を避難させるほどの揺れではなかった。しかし、その後会議室の大きな液晶テレビの画面にうつしだされた映像にぼくはとてもショックを受け、気づいたら涙を流していたのを今でも克明に覚えている。
津波が家や車をあっという間に呑みこみ、船が堤防を越え町中に押し流される様子が画面に映し出されていた。なり続ける甲高いサイレンの音が自然の猛威と無常さを増幅させていた。自然の力の前に人の営みはあまりに無力で成すすべもなかった。
その後の原発の爆発と放射能の恐怖。この国は根本から変わらざるを得ない・・・と思ったのだけど。。。
多くの人命が失われ、莫大な被害を被りながら、その教訓を果たしてぼくらは、そしてこの国は活かせているのだろうか。
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自宅マンション。新築購入してからすでに40年近く経っている。そのため、あちこちガタが来てる。
特にベランダからの漏水問題。昨年は保険で漏水部分の床と畳、壁紙を無償交換してもらった。それでも根本的に漏水問題が解決したわけではない。これは構造的な問題だからだ。
売却も考えたけれど、二束三文の値段しかつかないようなら、自分のカラダ同様、問題箇所とうまく付き合って行く、そんな選択の方が良さそうだ。
売却を思いとどまった要因の1つに、眺めの良さがあった。3LDKのうち、リビングと2部屋が南に面しているので陽の光を存分に楽しむことができる。幸い視線被曝するような高層の建物も近くになく、南方にある里山緑地を眺めることができる。春になれば里山との中間点にある河川の遊歩道に満開となる桜を遠くにうっすら見ることもできる。
親子世帯では手狭に感じられた専有面積も今ではちょうど良いサイズ感。部屋の壁を取り払い1LDKにリノベしたら快適さも増すかもしれない・・・。
そんなことを妄想してるうちにも時間はどんどん過ぎて行く。
ぼくの人生のロスタイムだって終了のホイッスルがいつ吹かれてもおかしくない。
二十歳前、ぼくは若くして死ぬんじゃないかと漠然とした不安にせき立てられるように生き急いでいた。そして還暦後の今、明らかに死が現実のものとなってから、ぼくは再び生き急いでいる感じだ。
「またね」「いつかまたね」「また今度ね」「もう少ししたらね」はやめないと。
やりたいこと、そして会っておきたい人との予定を後回しにするのは卒業しないと。
それが今のぼくのココロ持ちです。
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「めんどくさがり屋」って方言なのかなぁ?
ま、それはさておき、ぼくはかなりのめんどくさがり屋なのです。
詰めが甘いとも言うし、それこそ方言でいう「だだくさ」なのです。
因みに「だだくさ」とは主に愛知県や三重県などで使われる方言で物を「粗末に扱う」「雑に扱う」「ぞんざいに扱う」と言うような意味なのです。
物作りを生業にしている人ならばあってはならないことですね。
少し話は飛ぶのですが、ぼくの足は左と右で1cmの長さの差があるし、とても幅広でさらにはとんでもなく甲高なのです。そんなぼくの足型に合う靴は今の所、HOKAという靴メーカー(フランスだったかな?)の中の特定なタイプのものしかありませんでした。現在お店で履いているのがそのシューズです。
ところが、今回試着(?)してみてKEENのトレッキングシューズも履けることがわかり、すぐさま購入することにしました。靴と食パンは少し値がはっても毎日のことなので頑張りたいとぼくは思っているのです。
話はまた戻ります。
そのトレッキングシューズにノンシリコン性の撥水・防水・防汚のスプレーをするのですが、めんどくさがり屋のぼくは靴ひもを靴からはずしたり、足首部を新聞紙等で詰めてスプレーが靴内部に入ることを防ぐことをせず、小手先の噴霧方向の調整だけでやってしまうのです。
スプレーしないよりはマシだから、いいか・・・って感じです。つまりは「だだくさ」なんですよね。
この性格?性質は半世紀以上かけてつちかってしまったものなので、なかなか矯正することができません。ぼくは箸の持ち方も自己流でとても変だし、人によっては恥ずかしくて人前では見せられない程度だと思います。何度か練習したこともありましたが、食事自体が美味しくなくなってしまったのでやめました。ダメならフォークで刺したり、スプーンですくって食べればいいや!って思ったからです。
そんなぼくですが、めんどくさがり屋でいるよりは、丁寧に物事を扱う方がいいのはよくわかっているので、気持ちをコントロールしてときおり丁寧にやったりもするのですが・・・・。
何事も自分のペースをくずさず丁寧に扱うことのできる人に本当に憧れます。
トホホ・・・
そんなぼくの一面でした。
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最近顕著なぼくの感受傾向。
一言で表現するなら、勧善懲悪を希求しているのだな。
ドラマでも映画でも悪事や悪意に怯まず、筋を通し理不尽を正し、正義を貫く。
そして最終的に悪を懲らしめ、あるいは過ちを正す。
ぼくはそれにココロを揺さぶられ、涙し、溜飲を下げる。
それは現実世界がその真逆にあるからだと思う。
悪事を働いてもシラを切り通す。
平気で嘘を言い、決して謝ることをしない。
多数派は数の力で少数派を圧殺し、好き勝手をしてはばからない。
『今だけ、金だけ、自分だけ』の価値観がまかり通る。
それが国のトップからだから、損得の価値基準でなく、損得を度外視した純粋な何かが
大きくそこなわれ始めている。
新自由主義経済などまさにミハエル・エンデのモモの中の効率主義を思い出させる。
一体どこまで荒んで行くのか、この崩壊を食い止める手立てはないのだろうか。
答えを得られないまま、ぼくは再びフィクションの中で正義の貫徹に涙するしかないのだろうか。