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生きづらい世の中だよね。
「ふつう」から外れたら最後、ぼくらを取り巻く世界は違った様相を呈してくる。
「ふつう」はいろんな要素でふつうでなくなる。
病気だったり、怪我だったり、事故に巻き込まれたり。。。
あるいは、生まれつき何かのことで少数派だったりね。
LGBTとかもそうだね。
社会で常識とされてることに非常識を通そうとするとでかくて分厚い壁が突如眼前に出現するしね。
自己責任の名の下に非寛容な弱肉強食の世の中になってしまってるしね。
超金持ちは一般ピーポーには信じられないようなお金を払って宇宙空間に漂いに行くけど、地上では餓死したり、虫けらのように路上で死んでいく人たちもいる。
人の命よりも猫の命の方が大切だとネットで言い切る小賢しい有名人さえいたりした。
敢えて極論するなら、ほとんどの場合、夢なんて持っても実現なんてしないし、努力は報われるっていうのも絵空事にすぎない。
現世では辛くても真面目にやれば天国に行けて来世は報われるってのと同じだ。
極々一部の人の夢の実現や報われた努力が自分にも訪れると期待だけさせることは罪だとさえぼくは思う。
報われなくても努力はすればいいし、その経験は別のことに活かされることはある。そういう意味での努力ならもちろん否定するつもりはないのだけどね。
『努力』という言葉に押しつぶされて自死する人だっている。自分がいたらないのは努力が足りないからだと自分で自分を責め続け心が壊れてしまうからだ。
他人や世間の物差しで自分を測りはじめたら地獄が始まる。
自分を取り戻すためにも他人や世間の物差しを捨て、自分を知ろうとすることだ。
自分にとっての幸福とは何なのか。
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何でこんなことを書いたかっていうと、
ありがたいことに、ぼくのお店にはこういうことを話しあえる人が少ないながら何人か居るってことだ。
金儲け主義に巻き込まれたら、死ぬまで満足することはないだろう。金を増やし成長し続けることを永遠に求めてしまうからだ。
そんなスパイラルや、ある意味、マトリックスから抜けだせたら、楽になる人もきっと居るはずだと思うのだけどね。
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今日は最後までお店に居た彼と夕食に中華屋さんに一緒に行った。久しぶりだった。
自分の息子と言えるほどの彼とこうした付き合いができるのも人生の幸せの一つだとぼくは思ってるよ。
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