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アイルランド映画、あるいはアイルランドのテレビドラマなのだろうか、『SMOTHER 行き詰まる愛 なぜ夫は殺されたのか?』のシーズン1、6話完結を見た。米国映画とは違う湿った雰囲気と寂寥感、閉塞感のある映画だった。
1話50分として全部で300分、つまり5時間に及ぶ。
登場人物の名前と顔を覚えるのは大変だけど、長尺物だけに、個々の登場人物の描写に奥行き感があって、ぼくは嫌いじゃない。
人間の強欲さや虚栄心、妬みは言動の原理にもなる。損得だけが価値基準になる人も少なくない。
ぼくの大嫌いな『今だけ、金だけ、自分だけ』の人たちも同類だ。利用できる者を平気で踏み台にし、踏まれる側の気持ちなんてお構いなし。踏まれたくなければ、他人を踏みつけるようになれと弱肉強食理論でせせら笑ってうそぶく。
このドラマの中もそんな人間の様々なネガティヴさが渦巻き、小さな田舎町特有のよそ者に対する排他性や偏見もあいまり、まさに「窒息させられる」ような気分になる。
そんな中で主人公の恋人男性のこの言葉にぼくは救われた気がした。暗闇の中に一条の光を見た気持ちだった。
それはこうだった。
『思惑のもとに動く人間ばかりじゃない。親切心で動く人間もいる。』
(行き詰まる愛 なぜ夫は殺されたのか? シーズン1、エピソード5より)
その男性自身もとんでもない誹謗差別を受けつつ、恋人の娘が横領した大金を肩代わりする時に言った言葉だった。
きっとぼくらの周りにだって、程度の差こそあれ、思惑のもとに動くばかりじゃない、損得とは関係なく動く人がきっといるはずだと思う。
そんなことを考えさせてくれるドラマだった。
寝不足要注意〜!
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