2022年6月26日日曜日

【20220626:日】+++ぼくが辟易するラジオ番組+++

 


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ぼくの性格のせいなんだろうけど、好き嫌いがはっきりしてる。

ラジオは総論的に言えば、好きだ。

でも中にはどうにも嫌になる番組が少なくない。。。

今日はそのことについて。2022年6月最後の日曜日だけど、関係ない話題で。


一つ目。

某FM局を聴いてると、ビジネス話題で成功者にインタビューし、そこから自分たちも成功するヒントを得ようという番組がいくつかある。たいていインタビューされる人は若いIT系企業をたちあげて成功した人だ。今夜なんて高校生で起業する話題だった。金儲けが悪いわけじゃないけど、金儲けがすべてでもないとぼくは思ってる。金儲けしてどれくらい大きな会社にしたかという基準で儲けた者が年齢等々関係なく絶対勝者みたいな風潮がぼくは嫌いだ。それを煽るような番組はもっと嫌いだ。だからすぐに消す。

現実にはそんな人はごくごく一握りにすぎない。実力だけでなく運も大きく左右する。社会はほとんどが下支えする人たちで成り立っているはずだ。本来ならその下支えするほとんどの大衆の生活向上にどう寄与したか、そういう人にインタビューするなら最後まで聴きたくなるのだけどね。


二つ目。

アイドルがMCの番組。とにかく中身がない。でも熱心なファンは必ず聴くだろうから、視聴率はそこそこあるのだろう。〇〇坂××とかファンでなければ区別がつかないアイドルがおしゃべりしてるだけの番組。女性アイドルだけでなく男性アイドルのもあるし、女の子だけの音楽ユニットの番組もある。ファン向けのみとしか思えないコンテンツの希薄さだ。

更に気持ち悪いのは、時々彼女たちの笑い声の向こうで一緒に笑う男の笑い声がすることも。ラジオ番組のスタッフなのかアイドルのマネージャーなのかわからないが、人気アイドルと同席してる特権を誇示してるようで、ぼくは気持ち悪くてすぐその番組を消す。

これが資本主義だよね。なんでも金になるなら商品として販売消費するんだ。中身なんて関係ない、売れればいいんだから。


三つ目。

学校ごっこ。先生ごっこの番組。

『先生』と呼ばれたいんだな。一度『先生』と呼ばれたらもうその気になってしまう。魔力的な言葉かもしれない。特に日本では他国とは違って特別なニュアンス、付加価値が付いてるのかもしれない。

そして職業として教諭をしてる者自らが、一人称として「先生」を使って当たり前だと思ってる気持ち悪さ。

ぼくは生徒の前で一人称として「ぼく」をずっと使っていたのだけど、そのことを若い頃中間管理職から何度も注意された。そしてこのことの根の深さは、権威的、強権的でなく、民主的だと自他ともに認める教員ですら(もちろんすべてではないが、一部であっても)自分のことを「先生」と言ってはばかってなかったことにも表れている。

ぼく自身ずっとその気持ち悪い閉ざされた世界で座りの悪さを感じていた。そして、教育界で自己実現しようとしたら、自らすすんで「先生ごっこ」をしなければならないと理解した。悟ったってやつだね。やってられないよ。

ついこの間、代議士を「先生」と呼ぶのはおかしいという記事を読んだ。本当にそうだ。上下関係を作る言葉だからだ。そもそも全体の奉仕者のはずだろう。根本からして間違ってるとぼくも思った。

そんなぼくだから、こういう「ごっこ番組」はすぐ消す。


どうですか?

嫌いが多いでしょ。

嫌な気持ちにさせたのならごめんなさい。

馬鹿なやつの独り言だと思ってご勘弁を。



*写真は本文とは全く関係ないジョセフ・コーネルの作品解説本(洋書)。

コーネル本がだいぶ集まってきた。この表紙は個人的にかなり好き。





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