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2010年の12月から名古屋市東区新栄の古ビルの1室を倉庫借りして、今のVOUSHOのプロトタイプとなるアトリエを作り始めた。
その頃古道具屋さんで買った柱時計は元祖VOUSHOの時からずっと時を刻み続けてくれていた。普通の柱時計ではなく、柱時計の箱や文字盤をはずし、ゼンマイや歯車がむき出しになった時計型オブジェのようなものだ。古材を活かし、時報の音も短くシンプルでぼくはとても気に入っている。
今ではVOUSHOの象徴となるモノの一つでもある。
13年間基本的に動き続けていた。地震で止まった時とネジを巻き忘れた時以外は。
当時からぼくは一週間に一度、二つのゼンマイを巻くことにした。本当は三週に一度で大丈夫なのだけれど、今は毎週土曜日の開店準備中に巻いている。
左側のゼンマイは短針と長針を動かすためのもの。
右側のゼンマイは時報を打つためのもの。
両方のゼンマイを巻くのは儀式のようなものとなった。
ある意味、VOUSHOという空間の命、空間の灯を保つための祈りの儀式となった。
その柱時計が5月5日に停まってしまった。
気付いたのは翌6日のお昼ごろだった。
店内に何かが欠けていていつもと何かが違うと感じた。
すぐに違いの原因がぼくにはわかった。
カッチ、カッチという柱時計の音が消えていたのだ。
まるで店内全体が死んでしまったかのように静かだった。
柱時計をみると振り子を支える針金が大きく曲がり、振り子自体も斜めに傾いて引っかかって止まっていた。
長針・短針は2時15分を指していた。
ぼくはこの事態を招いた原因をすぐに思いついた。
動く振り子にちびっ子が興味を持つのは当たり前のことだ。
だからちびっ子を責めることはできない。
反省すべきは、注意を怠ったぼくの方だった。
動く振り子に触り、それを引っ張りたくなると想定しておくべきだった。
形あるものはいつかは壊れるものだとぼくは思っている。
それは自然の摂理でもある。
だから、好きなモノは大切にはするけれど、だからと言ってそれに固執したりはしないと自分では思っている。
動かない柱時計をオブジェとしてそのまま飾っておくという選択肢もあるだろうけど、動かないものを置いておくのはぼくの主義ではない。
潔く動かなくなった柱時計をはずし、もう一台もってる小ぶりの柱時計を代わりにとりつけようかと考えた。
その前にダメ元で曲がった個所を指でできるだけまっすぐに戻してみた。振り子は残念ながら傾いたままでなんともならなかった。
振り子を動かしてみると以前よりも振幅する幅が狭くなったように感じたけれど、弱々しく動き始めた。希望の二文字が見えた瞬間だった。
ところが数日動いたあとで、時計は再び止まってしまった。
静寂がまた店内にひろがっていた。
これで諦めてもいいところだけれど、諦めきれなくてぼくは最後のあがき、もう少しだけじたばたしてみることにした。今度はペンチを使って再度針金の曲がりを調整してみたのだ。
その時以来2週間くらい柱時計は動き続けてくれている。
振り子は相変わらず少し斜めに傾いたままだけれども。
ありがたいことだ。
諦めずあがいた甲斐があった。
店内に心臓の鼓動がもどったような気がした。
新栄の頃から一緒にVOUSHOの変遷を眺めてきた柱時計。
だからぼくにとって特別な意味のあるモノとなっていた。
この柱時計は問題を抱えながらも頑張って動き続けてるんだから、ぼくも頑張らないとなぁと思うのだった。
本当に動いてくれてよかった~!
*下の写真は新栄VOUSHO時代のもの。ぼくはふと思った。新栄と瀬戸の両方のVOUSHOに来てくれた人たちのことを。それはとてもありがたいことで感謝しなければね。