2023年5月31日水曜日

【20230531:水】+++久しぶりにSwampsideのカフェでモーニング+++

 


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いやぁ~、久しぶりだったぁ。

前回はまだストーブがついてた頃だったからな。

今日で5月も終わりなんだものなぁ。


温かくなったので、ぼくが入店した時、すでに二組のお客がデッキスペースでモーニングしてたよ。

二組の間に位置するテーブルに座れなくはなかったけれど、

ぼくは誰も居ない店内のテーブルに居場所を定めることにした。

その決断まで数秒ってところかな。

特別な理由がなければ、人が居るところを本能的に避けてしまうんだな、きっと。




本を持ってこなかったことが悔やまれた。


このカフェならBGMを聞き流しながら読書できる気分になるからだ。

ぼくがそんな気分になるお店ってなかなかないからここは貴重だ。




帰り際、駐車場に立ててある看板が気になった。

これって以前なかったような気がするけどなぁ。

『ゆったりと・・のんびりと・・』

『オトナのための』

いいね~。

そしてぼくならはそこに『群れない』ってのを個人的には付け足したいかな。

そしたらパーフェクト!

どうかな?



2023年5月30日火曜日

【20230530:火】+++エンジン音+++

 


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予想通り静かな火曜営業日兼5月最終営業日となった。

コンナヒモアル。

客席で穂村弘の「にょにょっき」を大笑いしながら読んでたら、ド・ド・ド~っていう低いエンジン音。

音の方向からどうやらぼくのお店の駐車場に入って来るもよう。



見覚えのあるシルバーのスポーツカー。

アルファロメオ・スパイダー2000

以前来店してくれた時も写真を撮らせてもらったやつだ。

確かフォトグラファーさん。

ぼくの記憶も部分的には大したもんだぁ!

他のお客さんもいなかったので、彼からかなりプロフェッショナルな写真の話をきかせてもらった。こういうのは本当に役得ってやつだね。



こんな日だけど、最後は7時半ちかくまで延長。

常連の陶芸作家アンディーと読み聞かせ&製本ボランティアのIさん。

その二人とぼくとであれこれ話はつきなかったんだよね。


ということで、5月の営業終了。

今月も本当にありがとうございました!

2023年5月29日月曜日

【20230529:月】+++濃い月曜日、でもって梅雨入り+++

 


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平日月曜日。。

しかも雨のマンデー。。

しかもこの地方も例年より早く梅雨入り。。

でも、店内はなぜかホットだったなぁ。


コンナヒモアル。


EOS 5Dをゲットした友人が安城から来てくれた。

今までも雰囲気ある写真を撮ってた彼。

彼の好きなフォトグラファーは高橋ヨーコ。

ぼくも彼女の中版写真が好き。

お店にも彼女の写真集を1冊置いてる。

友人が5Dで切り撮った写真、それを見るのが楽しみだ。


そこに元同僚の豊嶋さん。

今月9日にグラフィック社からしおりの本を刊行したところ。

『ニッポンのアンティークしおり』(税込み2,200円)






そこに三人組到着。

常連のSさんが友だち二人を連れて来店してくれた。

友だちの一人はTさん。

今回初めておしゃべりしたけど、話やすい人。

好奇心旺盛で懐深いということがぼくの思う素敵な人の共通項。

実は豊嶋さんのしおりの展示を以前彼女のお店でやったことが判明。

偶然の再会となった。


濃い月曜日だったねぇ。

ありがとう!





2023年5月27日土曜日

【20230527:土】+++VOUSHOの柱時計++

 


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2010年の12月から名古屋市東区新栄の古ビルの1室を倉庫借りして、今のVOUSHOのプロトタイプとなるアトリエを作り始めた。

その頃古道具屋さんで買った柱時計は元祖VOUSHOの時からずっと時を刻み続けてくれていた。普通の柱時計ではなく、柱時計の箱や文字盤をはずし、ゼンマイや歯車がむき出しになった時計型オブジェのようなものだ。古材を活かし、時報の音も短くシンプルでぼくはとても気に入っている。

今ではVOUSHOの象徴となるモノの一つでもある。


13年間基本的に動き続けていた。地震で止まった時とネジを巻き忘れた時以外は。


当時からぼくは一週間に一度、二つのゼンマイを巻くことにした。本当は三週に一度で大丈夫なのだけれど、今は毎週土曜日の開店準備中に巻いている。

左側のゼンマイは短針と長針を動かすためのもの。

右側のゼンマイは時報を打つためのもの。

両方のゼンマイを巻くのは儀式のようなものとなった。

ある意味、VOUSHOという空間の命、空間の灯を保つための祈りの儀式となった。


その柱時計が5月5日に停まってしまった。

気付いたのは翌6日のお昼ごろだった。

店内に何かが欠けていていつもと何かが違うと感じた。


すぐに違いの原因がぼくにはわかった。

カッチ、カッチという柱時計の音が消えていたのだ。

まるで店内全体が死んでしまったかのように静かだった。


柱時計をみると振り子を支える針金が大きく曲がり、振り子自体も斜めに傾いて引っかかって止まっていた。

長針・短針は2時15分を指していた。

ぼくはこの事態を招いた原因をすぐに思いついた。


動く振り子にちびっ子が興味を持つのは当たり前のことだ。

だからちびっ子を責めることはできない。

反省すべきは、注意を怠ったぼくの方だった。

動く振り子に触り、それを引っ張りたくなると想定しておくべきだった。


形あるものはいつかは壊れるものだとぼくは思っている。

それは自然の摂理でもある。

だから、好きなモノは大切にはするけれど、だからと言ってそれに固執したりはしないと自分では思っている。


動かない柱時計をオブジェとしてそのまま飾っておくという選択肢もあるだろうけど、動かないものを置いておくのはぼくの主義ではない。

潔く動かなくなった柱時計をはずし、もう一台もってる小ぶりの柱時計を代わりにとりつけようかと考えた。


その前にダメ元で曲がった個所を指でできるだけまっすぐに戻してみた。振り子は残念ながら傾いたままでなんともならなかった。

振り子を動かしてみると以前よりも振幅する幅が狭くなったように感じたけれど、弱々しく動き始めた。希望の二文字が見えた瞬間だった。

ところが数日動いたあとで、時計は再び止まってしまった。

静寂がまた店内にひろがっていた。


これで諦めてもいいところだけれど、諦めきれなくてぼくは最後のあがき、もう少しだけじたばたしてみることにした。今度はペンチを使って再度針金の曲がりを調整してみたのだ。


その時以来2週間くらい柱時計は動き続けてくれている。

振り子は相変わらず少し斜めに傾いたままだけれども。

ありがたいことだ。

諦めずあがいた甲斐があった。

店内に心臓の鼓動がもどったような気がした。


新栄の頃から一緒にVOUSHOの変遷を眺めてきた柱時計。

だからぼくにとって特別な意味のあるモノとなっていた。

この柱時計は問題を抱えながらも頑張って動き続けてるんだから、ぼくも頑張らないとなぁと思うのだった。

本当に動いてくれてよかった~!

*下の写真は新栄VOUSHO時代のもの。ぼくはふと思った。新栄と瀬戸の両方のVOUSHOに来てくれた人たちのことを。それはとてもありがたいことで感謝しなければね。



2023年5月23日火曜日

【20230523:火】+++会いたかった人+++

 


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ぼくが新任英語教師として赴任した某県立高校。

隣の市の県立高校に転勤前の最後に担任した1年生クラスの生徒の一人。

その彼女が初めて来店してくれた。

33年ぶりだった。


注文をとりに彼女のところに行った時、ぼくはハッとした。

16歳の高校1年生のときの面影がそのままあったからだ。

コーヒーを淹れて持って行った時、おもいきって彼女に尋ねてみた。

『間違ってたらごめんなさい。もしかして〇〇さん?』

彼女の顔に笑みが浮かんだ。

『よくわかりましたね。』


彼女はぼくにとって、とても印象深い生徒だった。

まるでドラマ『北の国から』を彷彿とさせるような山と川に囲まれた古くて大きな家に陶芸家のご両親と暮らしていた。茅葺の大きな家の1階には特大の陶のオブジェが並んでいた。家庭訪問で訪れたぼくはただただ感激していた。

お話は生活空間となっていた2階でお母さんとしたのだった。

この家庭訪問以外にもアルバイトの許可申請のこと等記憶に残る生徒だった。

おとなしく、集団の中では目立たない彼女だったけれど、芯の強い、しっかりした人でご両親が遠い他県へ陶板を設置に行ったりした時は、数か月親代わりとして弟の面倒や家事を行っていると家庭訪問の際お母さんからきいたと記憶している。

ぼくが瀬戸でお店をはじめてから、彼女の家がかつてあったところを訪れることがあり、それがきっかけで彼女のことが気になっていたのだった。その時からでもすでに8年近く経っていることになる。

一つ意外だったのは、彼女がぼくのお店の存在を知ったのはご両親からきいたからではなく(実はご両親はお友だちと一緒に数年前偶然来店してくれていた)、ぼくの以前のブログをぼくだと知らずにたまたま読んでいたからだという。

まだお店を開く前からやっていたブログ『No Color's Ark II~無色のハコ舟II~』だ。

いろんな偶然が重なり、そしてVOUSHOというお店があったからこそ再会できたわけで、あらためて人生の不思議、醍醐味を味合わせてもらった一日だった。

そんな彼女も高校生のお子さんがいる49歳の素敵なお母さんになっていた。

本当に会えてよかった。

ありがとう。


2023年5月21日日曜日

【20230521:日】+++小確幸以上の中確幸だったかもしれない+++

 


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暇な日曜日。こんな日もある。


Aくんが「ジュンさん、今日夕食誘っちゃだめですか? なんか今日は一人で食べたくないんですよね。。。」とぼくに言った。

時間を見ると閉店時間の15分ほど前だった。

彼とは今まで二度ほど一緒に外食したことがあって、最近はタイミングがあわなくて断ることが続いてた。

「一人で食べたくない・・・」という気分に時としてなることはよくわかる。

今日はオッケーすることにした。

もう一人の常連客、岐阜から来てくれたOくんにも声をかけてみた。

Oくんも快諾してくれたので、営業時間が終わってから三人で歩いて瀬戸駅にある中華料理屋さんに行くことにした。

滅多に実現しない面白い面子だった。

注文した定食が運ばれてきてからは、ぼくらは各々黙々と食べた。

たとえしゃべらなくても一人で食べるより確かに楽しい気がした。

他にも多くの客さんでにぎわっていたから、なおさらぼくら三人の連帯感みたいなのが強まったのかもしれないし、物理的に孤独感から解放されてただけだったのかもしれなかった。

食べ終わってから、霊の話や生きる意味みたいな話題になった。

Aくんはビールを注文してもっと話したいようだったけれど、Oくんは車で来てて呑めないので今回はそれはやめておくことにした。

帰り道、VOUSHOまで歩いて戻ってくるとき、二人のうしろ姿を眺めながら人生の出逢いの不思議を想い、幸せな時間だなぁと感じずにはいられなった。

ぼくにとっては小確幸というより、むしろそれ以上の中確幸だったな。



2023年5月17日水曜日

【20230517:水】+++ぼくと猫の関係とか+++

 


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お店のTwitterにすでに記したのだけど、突然雷に打たれたように、あることにぼくは気づいた。

それはぼくが猫が好きじゃないと思っていた原因だ。

結論から言えば、ぼくの思い込みが原因だったということだ。

ぼくの思い込み。

猫をあまりに一般化、普遍化していた。

猫を個別に見ることをしていなかった。


ぼくは猫も犬も少年・青年時代に飼っていた。

だから食わず嫌いで言っているのではないはずだ。

自分なりの経験からの判断だったりするわけだ。

よくあることだけど、自分の限られた経験が容易に真実にまで格上げされてしまうのだ。


猫よりも犬の方にぼくは親近感がわくのだけど、犬全般が好きなわけではない。

小さなカラダの座敷犬、家の中で飼う犬は好きじゃなかったりする。

そのことにしても、十把一絡げ的に犬を総評してるわけだ。

猫よりもましとは言え、犬の個体差を同じように無視していたのだ。


ぼくは突如腑に落ちたのだけど、そのきっかけが何だったのかはもう覚えていない。

しかし、ぼくが接した猫がたまたまぼくとはそりが合わなかっただけのことなんだと思った。

もしぼくが相性ぴったりの猫と接した経験があったら、猫に対する捉え方もずいぶん違っていたもしれない。

村上春樹が言うのとは違って、ぼくには猫から学んだことは何一つ思い当たらないし、他の猫好きの人のように猫の振る舞いや習性を擬人化し自分の生き方の参考にすることも全くなかった。

それはこれからも変わらないかもしれないけれど、猫も性格がさまざまで、中にはぼくなんかともウマガアウ、「ネコ」もいるかもしれないと自分の捉え方の狭量さを反省するのだった。

それともう一つ。

狭量なぼくの捉え方は正さないといけないのだけど、それとは別に好きじゃないものは好きじゃないと公言できる空気感が社会・集団・人間関係にもっとあってもいいかなと個人的に思うのだけどね。

人それぞれ好みは違って当たり前なんだからね。


<追記/5月21日11時16分>

腑に落ちたきっかけを思い出した。

常連客と愛猫者の多さ等々について話してた時のことだった。

「猫によるんじゃない?」の一言がぼくの頭の隅っこにひっかかったんだと思う。

その時はピンとこなかったのだけど、それが数日を経て別の事柄とつながり、腑に落ちたのだった。

忘れっぽくていかんなぁ。

2023年5月12日金曜日

【20230512:金】+++ますます画一的な文化になっていくのかな+++

 


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愛知の文化の一翼を担うと言っても過言ではない「名古屋シネマテーク」が7月で閉館することを岡田くんが午前にメッセージを送信して知らせてくれた。

ショック以外の何物でもなかった。

数年前閉館が取りざたされた時、なんとか持ち直したようで安堵していたけれど、ついに来るものが来たかと。

昔からぼくは個人的に、「名古屋シネマテーク」と「千種正文館」と「ウニタ書店」は今池から千種にかけて文化のトライアングル地帯だとみなしていた。

この三つは無くなることはないだろうと暢気に思っていた。そのツケがまわってきたかのようだ。

ぼくは反省している。

それというのも、ぼくが足しげくシネマテークに通っていたのは、教員時代であって、自営業に転職してからは映画館から全く足が遠のいてしまっていたからだ。

シネマテークでぼくは本当にいろんな勉強をさせてもらった。

小川伸介を知ったのも、テオ・アンゲロプロスを知ったのも、ブラザーズ・クェイやユーリ・ノルシュタイン、シュヴァンクマイエル、ローラン・トポール、セルゲイ・パラジャーノフ、フランソワ・オゾン、ピーター・グリーナウェイ、ヴィム・ヴェンダース、ケン・ローチ、アレハンドロ・ホドロフスキー、ダルデンヌ兄弟等々を知って夢中になったのもすべてシネマテークのおかげだった。

ぼくの今のココロの中核の一つと言えるものは、シネマテークの狭くて暗くて蒸し暑い空間の中で醸造されたとも言える。

毎月のシネマテーク通信の記事も楽しみだった。

裏の広告に載ったお店にも行けるところは行ってみたりもした。


しかし、時代の流れは土石流のような勢いで効率のよくない、手間暇かかる、アナログ的なものすべてをのみこんでなくしてしまうようだ。

大きな液晶テレビも安価になり、配信サービスも安定供給され、映画館の利用者は激減した。追い打ちをかけるようにコロナ禍もあった。シネマテークのような個性的ミニシアターが無くなり、ますます商業主義的で画一的な作品だけしか見ることができなくなるのだろうか。

閉館はとても残念だけど、やるだけのことはやってのことだろう。彼らだけにもう少しがんばってとはぼくにはもう言えない。今までよく踏ん張ってぼくらを牽引してくれたと思う。

シネマテーク利用者の平均年齢もきっと予想以上に高いだろうし、シネマテークのスタッフだって同じように歳をとるのだから。


ぼくは名古屋シネマテークの全期間を通しての熱心な観客ではなかったけれど(ここ10年間は数回しか観に行ってない)、ぼくにとってこの映画館はとても特別なものだった。

振り返ってみると、教員時代によく観に行ってたのは現実逃避行動でもあった。逃避場所としてシネマテークが存在してくれたことはぼくの人生にとってこの上なく幸運なことだった。


感謝の念とさみしさと無常感と。

そんな気持ちが綯い交ぜになった一日だった。


*「猫も杓子もクラファン頼み」が嫌いなぼくだけど、シネマテークのような映画館を存続させるためのクラファンこそ、本来的なクラファンだとぼくは思っている。もし万一リスタートすることがあるようなら微力ながらぼくは必ず応援する。



2023年5月9日火曜日

【20230509:火】+++太くんとの夜+++

 



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太くんが息子さんと一緒に来店。

ぼくは初めて彼に会った。

物静かな朴訥とした話し方。

一語一語言葉を選びながら話すことから、ぼくは彼がきっと誠実で真面目な人なんだろうなと思った。

人見知りなのか、はにかんだ笑顔もいい。

太くんの息子さんということを抜きにしても友だちになりたい感じの人だった。

その太くんとぼくのお店の閉店後、うどん屋さんで夕食をとった。

太くん希望のお店。

道路拡張工事のために今は無き太くんの実家の近くにあるうどん屋さんにぼくらは向かった。

そこでたっぷり夕食をとった後、VOUSHOに戻り再会の酒宴。

帰る途中、スーパーで酒の肴も買ってきた。

食べすぎだ。

たのしい時間はあっという間に過ぎ、午後11時をまわっていた。

次回はぼくが相模原市に行って太くんおすすめのお店を一緒にまわりたいと思うのだった。

2023年5月7日日曜日

【20230507:日】+++ぼくが猫も杓子もクラファン頼みが嫌いな理由アゲイン+++

 


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まずは今日の画像の文章を読んでほしい。

それを読めば今日のブログのタイトルの答えが自ずと想像できると思う。


ぼくはこのお店に2回ほどしか行ってないので、もちろん常連客でもなんでもない。

ただこの店主はぼくのお店に何度か来てくれて、彼のお店のショップカードを置いたり、SNSで相互フォローしたりしていた。

名古屋にある飲食店で、店員も雇っていて、ぼくからしたらとてもうまくいってる人気店だった。フォロワーもぼくとは桁違いだった。(ぼくはSNSに対してネガティブで滅多に投稿しないこともあると思うけど)

彼のお店は残念ながら今年の1月10日に閉店することになった。

その決断に際し、どれほど辛い思いをされたろうと、彼の心中を察するとあまりあるものがある。ぼくなんかと商売の規模が違うけれど、他人事ではなかった。

彼は人生をかけていたし、上の彼の文章にあるように15年もの歳月をその準備にあてて頑張ってきたのだった。

しかし、これは彼だけに限ったことでなく、多くの自営希望者が同じように人生をかけるべく、お金をためたり、銀行から借り入れたりしてリスクを背負って商売を始めたものだった。

前にもぼくは同じようなことをこのブログに書いてるのでここでは詳しくは書かない。

ただこれだけは繰り返して書いておく。

個人的な商売をクラファンで安易に(というと異論があるだろうけれど敢えてこう記しておく)資金調達し(それが一部であっても)開業・起業することに対してぼくは完全に否定的であるということだ。(すべてのクラファンを否定するものでなく、社会・公共性に合致したものは肯定している。)


これが、猫も杓子もクラファン頼みをぼくが嫌う理由であり、そういうお店と積極的にかかわらない理由だ。

あれ?どこのお店ともぼくは積極的にかかわってないか!




2023年5月6日土曜日

【20230506:土】+++秘密はあった方がいい+++

 


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お客さんの中には、ぼくのことを知りたがる人もたまにいる。知りたくなる気持ちもわからないではない。ぼくはある意味正体不明だと自分でも思うから。

教育公務員だった時、いろんなお店に行ったけれど、ほとんど自営業者や自由業者と勘違いされていた。

そんなこともあったから、一体この店主は何をしてた人なんだろうと詮索したくなるのはもっともだと思う。 

それはさておき、ぼくは誰にもあかさない秘めゴトや、自分だけの空間・場をもっていた方がいいとかねがね思っている。

どんなに近しい間柄であってもだ。

ココロの中のことだけでなく、現実の物理的なことについてもね。

『謎めいたものがあった方が人も物事も奥深く素敵なように見えるからね』なんて答えておく。

本当はもちろん大したことなんて全くないんだけどね。

久しぶりの映画の会。 

一昨年からの持ち越しだった。

やっと見ることができた。

単なるライブ映像ではなく、素晴らしいパフォーマンスだった。


2023年5月5日金曜日

【20230505:金】+++極端なことを言ってみると+++

 


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光があって影があるように、生と死も別々のものではなく二つ合わさって成り立つものなんだろうなぁと思うようになった。

死あっての生。

死をも含めての生。

そんなことなのかなぁと。

土曜朝のラジオ番組であるお婆ちゃんが『人は生きるのが仕事だよ』とおっしゃったというのをきいた。

ぼくはとても納得した。

と同時に、深沢七郎の本のタイトルがぴょこんとぼくの頭の中に浮かんだ。

それは『生きているのはひまつぶし』だった。

極端なことを言えば、ぼくらは短いのか長いのかわからないけれど、生まれて死ぬまでの間、あれこれ喜怒哀楽経験し、職についたりするのも恋愛するのも暇つぶしの一つなのかもしれない。

ぼくなんてまさに今やってるお店なんかも「暇つぶしでしょ?」って言われたら、否定できなくて「う~ん、そうかもしれない。」と思うものね。

そもそもが暇つぶしで勉強し、暇つぶしで旅し、暇つぶしで恋愛し(怒られるね)、暇つぶしで就職し・・・等々なのかもしれない。

でも、そう思うと、少し気が楽にならなる自分もいる。

そのときどき、ぼくとしては自分の気持ちに正直に生き、人生の選択をしてきたわけだけど、極端なことを言えば、すべて暇つぶしの一貫だったのかもしれないなとね。

もともとぼくらは生きること自体が仕事なんだとしたらね。

読んで嫌な気持ちになったらごめんなさい。

くれぐれも敢えて極端に言ってみるとということなので。


〈蛇足〉

「暇つぶし」と言う時いつも「ひつまぶし」と言い間違いそうになるのは、ぼくだけ?

2023年5月3日水曜日

【20230503:水】+++後悔のため息を吐いた+++


 

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久しぶりに机周りを整理し始めた。段ボール箱の中身を確認する。
それぞれに夥しい数の写真や手紙や葉書が詰まっている。
40年前からのものたちだ。

気になった写真や手紙、葉書を手に取る。

写真には若造のぼくがいて、
若造の男友だちやその当時の彼女が少しはにかんだ表情でこちらを見ていた。

また若造の教師だったぼくは遠足や球技大会、体育祭などの学校行事でクラスの生徒たちと一緒に教師というよりむしろ兄貴のような感じで写真の中におさまっていた。
まだくたびれていない、エネルギッシュなぼくだった。

手紙や葉書も手に取ると一枚ずつしっかり読んでしまう。
 
懐かしさではなく、切なさと後悔、申し訳なさでココロがいっぱいになってしまった。

ぼくのことを一言で表すならば不義理の塊だ。
ぼくに手を差し伸べてくれた人たちを置き去りにして、そのまま忘却の彼方に放り投げてしまったみたいだ。
過去を振り返らず、今と未来しか見ていない、そんな傲慢さが若い頃のぼくに垣間見られた。
ぼくは根っこのところで冷たい性格なんだと改めて思うのだった。

今更どうすることもできないのはわかってる。
取り返しのつかない不義理。
言い訳のできない無関心さと忘却。 

だけど、ほんの少しでも手繰り寄せることができるものもあればと思うぼくもいる。

一方で、もう一人のぼくはもうジタバタすべきでないとぼくに囁いてる。
それがぼくで、だからこそ今のぼくがあり、それを受け入れなきゃいけないと。

今日はそんな申し訳なさに満たされてしまったので、気分転換に外に出てみた。 
もう陽はすっかり傾いて夕方になっていた。

人の少ない公園のベンチに腰掛け、ぼくは青空にため息を吐いてみた。
青空は広く深く、ぼくのため息はなかったことのように風とともに空のカナタに吸い込まれていったよ。