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お店のTwitterにすでに記したのだけど、突然雷に打たれたように、あることにぼくは気づいた。
それはぼくが猫が好きじゃないと思っていた原因だ。
結論から言えば、ぼくの思い込みが原因だったということだ。
ぼくの思い込み。
猫をあまりに一般化、普遍化していた。
猫を個別に見ることをしていなかった。
ぼくは猫も犬も少年・青年時代に飼っていた。
だから食わず嫌いで言っているのではないはずだ。
自分なりの経験からの判断だったりするわけだ。
よくあることだけど、自分の限られた経験が容易に真実にまで格上げされてしまうのだ。
猫よりも犬の方にぼくは親近感がわくのだけど、犬全般が好きなわけではない。
小さなカラダの座敷犬、家の中で飼う犬は好きじゃなかったりする。
そのことにしても、十把一絡げ的に犬を総評してるわけだ。
猫よりもましとは言え、犬の個体差を同じように無視していたのだ。
ぼくは突如腑に落ちたのだけど、そのきっかけが何だったのかはもう覚えていない。
しかし、ぼくが接した猫がたまたまぼくとはそりが合わなかっただけのことなんだと思った。
もしぼくが相性ぴったりの猫と接した経験があったら、猫に対する捉え方もずいぶん違っていたもしれない。
村上春樹が言うのとは違って、ぼくには猫から学んだことは何一つ思い当たらないし、他の猫好きの人のように猫の振る舞いや習性を擬人化し自分の生き方の参考にすることも全くなかった。
それはこれからも変わらないかもしれないけれど、猫も性格がさまざまで、中にはぼくなんかともウマガアウ、「ネコ」もいるかもしれないと自分の捉え方の狭量さを反省するのだった。
それともう一つ。
狭量なぼくの捉え方は正さないといけないのだけど、それとは別に好きじゃないものは好きじゃないと公言できる空気感が社会・集団・人間関係にもっとあってもいいかなと個人的に思うのだけどね。
人それぞれ好みは違って当たり前なんだからね。
<追記/5月21日11時16分>
腑に落ちたきっかけを思い出した。
常連客と愛猫者の多さ等々について話してた時のことだった。
「猫によるんじゃない?」の一言がぼくの頭の隅っこにひっかかったんだと思う。
その時はピンとこなかったのだけど、それが数日を経て別の事柄とつながり、腑に落ちたのだった。
忘れっぽくていかんなぁ。
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