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愛知の文化の一翼を担うと言っても過言ではない「名古屋シネマテーク」が7月で閉館することを岡田くんが午前にメッセージを送信して知らせてくれた。
ショック以外の何物でもなかった。
数年前閉館が取りざたされた時、なんとか持ち直したようで安堵していたけれど、ついに来るものが来たかと。
昔からぼくは個人的に、「名古屋シネマテーク」と「千種正文館」と「ウニタ書店」は今池から千種にかけて文化のトライアングル地帯だとみなしていた。
この三つは無くなることはないだろうと暢気に思っていた。そのツケがまわってきたかのようだ。
ぼくは反省している。
それというのも、ぼくが足しげくシネマテークに通っていたのは、教員時代であって、自営業に転職してからは映画館から全く足が遠のいてしまっていたからだ。
シネマテークでぼくは本当にいろんな勉強をさせてもらった。
小川伸介を知ったのも、テオ・アンゲロプロスを知ったのも、ブラザーズ・クェイやユーリ・ノルシュタイン、シュヴァンクマイエル、ローラン・トポール、セルゲイ・パラジャーノフ、フランソワ・オゾン、ピーター・グリーナウェイ、ヴィム・ヴェンダース、ケン・ローチ、アレハンドロ・ホドロフスキー、ダルデンヌ兄弟等々を知って夢中になったのもすべてシネマテークのおかげだった。
ぼくの今のココロの中核の一つと言えるものは、シネマテークの狭くて暗くて蒸し暑い空間の中で醸造されたとも言える。
毎月のシネマテーク通信の記事も楽しみだった。
裏の広告に載ったお店にも行けるところは行ってみたりもした。
しかし、時代の流れは土石流のような勢いで効率のよくない、手間暇かかる、アナログ的なものすべてをのみこんでなくしてしまうようだ。
大きな液晶テレビも安価になり、配信サービスも安定供給され、映画館の利用者は激減した。追い打ちをかけるようにコロナ禍もあった。シネマテークのような個性的ミニシアターが無くなり、ますます商業主義的で画一的な作品だけしか見ることができなくなるのだろうか。
閉館はとても残念だけど、やるだけのことはやってのことだろう。彼らだけにもう少しがんばってとはぼくにはもう言えない。今までよく踏ん張ってぼくらを牽引してくれたと思う。
シネマテーク利用者の平均年齢もきっと予想以上に高いだろうし、シネマテークのスタッフだって同じように歳をとるのだから。
ぼくは名古屋シネマテークの全期間を通しての熱心な観客ではなかったけれど(ここ10年間は数回しか観に行ってない)、ぼくにとってこの映画館はとても特別なものだった。
振り返ってみると、教員時代によく観に行ってたのは現実逃避行動でもあった。逃避場所としてシネマテークが存在してくれたことはぼくの人生にとってこの上なく幸運なことだった。
感謝の念とさみしさと無常感と。
そんな気持ちが綯い交ぜになった一日だった。
*「猫も杓子もクラファン頼み」が嫌いなぼくだけど、シネマテークのような映画館を存続させるためのクラファンこそ、本来的なクラファンだとぼくは思っている。もし万一リスタートすることがあるようなら微力ながらぼくは必ず応援する。
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