2026年8月29日土曜日

【20260829:土】+++VOUSHO Coffee Factoryは12年目になった+++

 


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VOUSHOは今日から12年目に入った。

母の葬儀が昨日だったので今日29日は臨時休業にしたのだけれど、ぼくにとってVOUSHO開店記念日は自分の誕生日より今では大切な節目の日になったと思う。

お店のことはもちろんのことプライベートにおいてもこの11年は本当にいろんなことがあった。感慨深いものがある。

ぼくは30年間県立学校の教諭をしていて、定年退職5年前に早期退職をしたのだけど(もちろんVOUSHOをやるためにね)、合計4つの学校で勤務した。その中で最も長い在職期間の12年にこれから並ぼうとするわけだ。

母が亡くなった直後だからと思うのだけど、ココロが少しざわついているのを感じている。お店のこととは直接的な関係はあまりないはずなのに、何か糸が切れたような不安定さと感情の起伏がいつもより大きいのを感じている。

お店は既にペースダウンして十分のんびりやってるのに、しばらく何もせずぼーっとしていたいと思うのは何故だろう。

それが12年を迎えた今のぼくの心境なのだ。




2026年8月28日金曜日

【20260828:金】+++母の葬儀終わった/ 8月29日(土)〜31日(月)は臨時休業+++

 

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午前10時から母の葬儀が始まった。

お通夜無しの1日葬で家族葬。

初七日の法要も続けてお願いした。

小さいながら立派な式場だとぼくは思った。

葬儀会社の担当者もとても信頼できる人だった。

手前味噌で自画自賛だけど、あたたかい気持ちに包まれた簡素な良い式だったと思う。


さらにVOUSHOの縁も感じた。

葬儀のお坊さんはお客さんでもある若き住職。

そして火葬場で部屋を借りて昼食に出したのは、これもお客さんでもあった弁当屋さんのお弁当。

どちらも参列者から好評でお願いしてとても良かった。


また、SNSで母の他界にともなう臨時休業を告知したため、多くの方から心あたたまる哀悼とお気遣いのメッセージをいただいた。

本当にありがたかった。

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臨時休業:8月29日(土)〜31日(月)

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さきほど小さな仏壇の中の父の遺影の隣に母の遺影を並べてみた。

7年ぶりにまた一緒になった。


とりあえず、一つの、ぼくにとっては大きな節目が終わった。

しばらく、これまでの母とのことと、父とのことをゆっくりと考えてみたい。


『人の幸いとは何なのだろう?』ということも含めて。

 


2026年8月26日水曜日

【20260826:水】+++母、94歳3ヶ月の人生を終えました+++

 

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母が他界した。

午前4時過ぎに施設の介護スタッフから電話が入った。

4時9分に見回りしたら息をしてなかったと。

その12時間ほど前、ぼくは母のベッドの横で母の手と頭をさすりながら母への感謝の言葉を、「お母さん、ありがとうね」を繰り返していた。母は時折頷くような仕草をした。

「何も心配することはないから。お母さんとお父さんのおかげ。しっかりやるから安心して」、そう言うと指や顔の筋肉がほんの少しだけ緩んだような気がした。

また明日来るからねと母に言って部屋を出た。

それがずっと昔のように感じた。

 

父の突然の他界と異なり、母はこの2年で急速にそして着実に老衰の過程を辿ってきた。それは今思えば誰も止めらない津波のような巨大な何者かの意志のようだった(それを人は運命と呼ぶのだろうか)。だからぼくにも覚悟はできていたし、準備もそれなりにしてきたのだった。ついにこの日が来てしまったかとリビングの窓ガラスが次第に明るさを増すのを見ながら思った。

ぼくはこの日のために用意して来たココロのスイッチを入れた。


午前9時半過ぎ。

施設内の母の部屋。

医師により、死亡が確認された。

『午前9時33分。老衰のため死亡。』

おでこも手も冷たかったことを別にすれば、母はいつもみたいに眠っているように見えた。

苦しむことなく自然に逝けたよね、お母さん。

 

葬儀会館の車で11時半ごろ施設を出た。

施設の職員の人たちが数人見送ってくれた。

母の家の前を経由してもらい葬儀会館に向かった。

こんな形でしか家に帰してあげられなくて悲しい気持ちになった。


今日は文字通り一睡もしてなくて長い1日だったけれど、葬儀会館との打ち合わせも市役所での手続きも知らせるべき人への連絡もやらなければならないことはほとんどすべてやりきった。父の死から怒涛のような一連の葬儀もろもろ、そしてその後の銀行等各種手続きで疲弊しきって体調を崩した時とは全く違っている。

だからぼくは大丈夫。

 

お店の方は8月29日(土)・30日(日)・31日(月)は臨時休業することにした。無駄足させてしまうお客さんには本当に申し訳ないけれど、どうかよろしくお願いいたします。



2026年8月22日土曜日

【20260822:土】+++ぼくは梅干しが好き+++

 

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果物の中でぼくが一番好きなのはプラム。特にソルダムには目がない。プラムは皮も食べれるし、あのジューシーでかつ甘酸っぱいのがたまらない。 

その繋がりなのか梅や梅干しも大好きなのだ。

今日、クール宅急便で新城市から届いたのはそんな梅と野菜たち。

新栄VOUSHOの頃お世話になったあの方から。

名古屋から実家のある新城市に移られてから、SNSの写真や動画で垣間見られるのは自然と取り立ての旬な野菜に囲まれた豊かな生活だった。

梱包を解くのがどれほど楽しみだったことか!

・梅干し(紅紫蘇漬けの梅を天日干ししたもの)

・梅干さず(白漬け;梅と塩のみ)

・梅干さず(梅、塩、紅紫蘇)

・柴漬け

・梅ジャム

・ジェノベーゼ

・プチトマト

・唐辛子(プチトマトと唐辛子は梱包材がわりとか。素敵な遊び心)

丁寧で豊かな生活のいったん、そのお裾分けをいただいたような、そんな気分になった。

 

当時のVOUSHOで梅仕事のワークショップをやっていただいたこともあった。その時いただいた梅干しの美味しさをずっとずっと忘れられなかった。

塩分を最大限まで抑えたシンプルな梅干し(そのため保管は冷蔵庫で)。それこそぼくが求めていた梅干しだった。

ネット通販の梅干しに限らず、市販されてる梅干しはハチミツが入ってたり、かつお出汁とかアミノ酸とか余計な味や添加物が加えられていてぼくの口に全く合わなかった。

あの頃から15年くらいになるのだろうか。。。

またこれがきっかけで・・・と願わずにはいられない。

ありがとうございました! 


2026年8月18日火曜日

【20260818:火】+++母、看取り段階に+++

 

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午前11時に施設の担当医との面談でのこと。

母は看取り段階に入った。

食事がとれなくなってきたからだ。

介護スタッフの話では今では食事の1割ほどだと言う。

体重も30Kg台になり、手足も痩せ細くなってしまった。

ぼくは面会のたびにアイスクリームやフルーツゼリーやプリンなど冷たくて喉越しの良いものを母に食べさせるのだけどいずれも多くて三分の一ほどしか口にできなくなった。

それでもまだ口を開いて食べてくれるので意識がある限り続けるつもりでいる。

 

 

 

母の写真や動画を保存してあるノートパソコンのフォルダを見ると、施設にお世話になってからほんの1年10ヶ月の間に母は一気に老化の速度を速めていった気がする。

自分で歩いて施設の入り口を入って行った母。そんな母がその後施設内で転倒し、大腿部を骨折、入院・手術してから坂を転げ落ちるように、それはまるで老衰へのスイッチが「パチン!」と入ったように、母のできていたことが確実に着実に1つずつ消えて行ったみたいだった。それに比例し認知症の度合いも深まって行った。そのくらい、大腿部を骨折し歩けなくなることが歩行能力以外においても高齢者に多大な影響を与えるものだとぼくは思った。

一方ぼくは現実的具体的に母が亡くなった時の準備を粛々と始めなければならなかった。

医師との面談後、予約しておいた葬儀場で生前見積もりを行い、夕方には母の兄弟にそれぞれ電話をかけ看取り段階に入ったことを知らせた。葬儀の読経をお願いするお坊さんの手配もすすめていかなくてはならなかった。

今の救いは、母が痛みで苦しんでいないことと、まだぼくのことをかろうじて認識してくれていることだ。そして親族ではなくても母のことを気にかけてくれてるぼくの友人、知人たちの存在だ。

母が他界するのは2週間後かもしれないし、半年、あるいは一年後かもしれない。それまでの間残された母との時間を大切にしなければと思っている。

こんなことを書くと、まるでぼくが心優しい親孝行な息子に勘違いされるかもしれないけど、実際のぼくはその真逆。誇張なく、ずっと親不孝でわがままで恩知らずで優しい言葉すらかけられない息子だったから。誤解なきように。

 

 

2026年8月16日日曜日

【20260816:日】+++3年間ねかせておいた本+++

 

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『夏帆』を読み終えた後もの足りなくて、購入してから3年程ねかせて置いた『街とその不確かな壁』を8月6日に読了した。

ぼくは書籍化されなかった『街と、その不確かな壁』を鶴舞中央図書館で読み(正確には雑誌に掲載されたものをコピーして読み)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でより深化した世界観に感銘を受け、そしてこの最終形?『街と・・・』ということになった。

読み終わったあとしばらくこの小説の世界観に浸ることはできた。

それでもぼくは『世界の終りと・・・』の方が好みだとわかった。

ぼくは小説家でもなければ批評家でもないし、ハルキストと呼ばれる熱心な村上ファンでもない。何より自分の読解力も全く当てにならない。拠り所になるのは自分のあやふやな感性以外にないのだけど、『世界の終り・・・』の世界観の方が自分にはしっくりしていた。

映画もそうだ。

荒削りではあるけれど、若い頃の作品の勢いみたいな数値化できないものの力をぼくは感じたりする。ヴェンダースの初期三部作、特に『さすらい』や『都会のアリス』はいまでもぼくの最も好きな映画の1つだし、ジャームッシュの初期作品『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウンバイロー』は最近も含め何十回繰り返し見たことだろう。

小説の技法というか言語化力、描写力、物語の構成力は経験を積んだ現在の村上春樹の方が巧みだろうし、世界的人気作家の実力は疑いの余地のないものだろう。

それでもぼくの好みは『世界の終り・・・』だとはっきり感じた。

独特の『孤独感』、『寂寥感』というのだろうか。それこそが『世界の終り・・・』にぼくのココロが共振した核となるものだった。映画同様小説も鑑賞時の年齢や精神状態が少なからずその評価に影響を与えるものだとしても。

村上春樹の意図がどういうものなのかぼくには断言できないけれど、現実世界が今のようにひどくてもぼくらがとどまるべきなのは、高い壁の外側のこの世界なんだろうね。

ぼく個人としてはあの不確かな壁の街で暮らしたいと切に思ったりもするのだけど。

 

蛇足だけれど、『街とその不確かな壁』を読み終えた翌日、一体何度目の再読になるかわからない『1973年のピンボール』を読了した。ぼくにとっては村上文学に興味を持った原点の作品なのだ。

2026年8月2日日曜日

【20260802:日】+++酷暑の夏と『夏帆』の感想とか+++

 

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昨日から8月に入った。

8月の2日目の今日、当地の予想最高気温は41℃だ。

何もかも狂っている。

本当に何もかもだ。

不安を数え上げたらキリがない。

不安が現実となった時に考えることにして(先取り不安はやめて)人生の困難を乗り越えて行くしかない。それがたとえ満足のいく結果にならなくても。(そもそも人生は思い通りに行かないのがデフォルトだしね)

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1週間ほど前に村上春樹の新作『夏帆』を読み終えた。

世の中が彼の新作にどんな評を下しているのかぼくは知らないし興味もないけれど、正直に言ってぼくにとってはこの小説はつまらなかった。

その理由の一番大きな点はアリクイの夫婦だとかジャガーだとかシロアリの女王と言った登場人物の起用に他ならない。小説内では日本語とかブラジル語といったような実際の言語を用いて意思疎通をするのではなく頭の中で思ったことが思念として伝わり、まるで言葉を話しているように意思疎通できる設定にはなっていたのだが、その設定自体にぼくは拒否反応を呈してしまったようだ。

現実離れしたちょっとダークなメルヘンという感じと言ったらいいだろうか。(CGを用いて映像化されたシーンを時々想像してしまった)

細かなことを言えば、繰り返されるカッコ付きの注釈もくどかった。村上作品は音楽のように文章のリズムが心地よかったりするのだけど、ぼくにはこの注釈のテンポが合わなかったのかも。

もちろんのことだけど、これはぼくの個人的な主観であり、もっと言えば偏狭なぼくの嗜好と読解力不足のゆえだとも思える。

愛猫家や愛犬家のように猫や犬の考えていることがわかるような人だったらアリクイの奥さんが話すのも受け入れられるのかもしれないし、突如歌い始めるミュージカルが好きな人だったら多少の非日常性も特段の違和感なく捉えられるのかもしれないからだ。

とは言っても、村上春樹は一流のストーリーテラーであり、ストーリー展開に引き込まれあっという間に読み終えたのだった。

読後に静かに包み込まれるような魂というかココロの震え、もうしばらくこの(小説)世界に居たいという思いが今回はぼくにはわかなかった。