■□
東京オリンピック。
コロナ禍が昨年始まり、1年延期された時にぼくはできっこないと思っていた。
それは今も変わらない。
できっこない・・・ではなくて、やらなくていいと思っている。
ぼくの周りには比較的同じような意見の人が多いように感じる。正直言って積極的にやるべきだという人と話したことがない。
だけど世論は大きく分かれているわけで、積極的にやるべきだ、やりたい!と言う人も同じくらいたくさんいる・・・はずである。
森何某の前時代的な発言態度はこの国の象徴であり、この社会の縮図だと思っているが、建前上であれ、それがNGであると言う風潮がやっと形成されたようだ。それは時代の潮流からして当然だと思う。
それに加え、ジェンダー平等や様々な価値観の人が集う大会という付加価値が付けられ、だからこそ開催したい・・・という論をはる人もいる。
それもなるほどな・・・と思う・・・わけだけど・・・どこか引っかかる。
ぼくは申し訳ないけれど熱心なスポーツ観戦愛好家でもなければオリンピックファンでもないからかもしれないけれど、経済(=商売)効果と深く結びついた現代のオリンピックを商売と切り離して行わなければ、どんな美辞麗句、どんな意義を付加したところで、そこの浅いものに変わりはないような気がしてしまうのだ。
高校野球が毎年甲子園球場で開催されるように、オリンピックもその発祥の地、アテネで毎回開催すればいいのにと心底思う。全世界に向けクラウドファンディングでお金を集め競技施設建設費や人件費を賄うとか、個人競技はあくまで国としてではなく個人としてエントリーするとか、国威発揚の場としてでない、そんな夢物語みたいなオリンピックだったら、こんなぼくでも一生に一度くらいアテネに行って各種競技を見たいと思うかもしれないな。
種々雑多な大人の事情が蠢いて、善意の人たちをのみ込んで、開催に向け猪突猛進するんだろうなぁ。
あ、それでもぼくはコロナ第四波や変異コロナの蔓延とかで結局開催できないと思ってるのだけどね。
0 件のコメント:
コメントを投稿