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最初に断っておくと、常識レベルのこと、つまり、マナーとして当然のことをあげつらっているのではないのでよろしくお願いします。
もう10数年も前のことになるけれど、朗読と演奏のコラボしたイベントに出かけた。前売り券を購入して行ったのだけど、そこそこ広い和室にぎっしりの観客だった。ぼくは体操座りをしたのだけど、一旦座ってしまうと身動きできないくらいすし詰め状態だった。トイレに立とうものなら、多くの人に立ち上がってもらい進まなければならないから、我慢するしかないなと諦めた。
夜のイベントで開場時間から開演までの30分ほどですでにぼくは疲れてしまった。
それに加え、スタッフの人が携帯の電源を忘れずに切ることと開演後は絶対に喋らないことを何度も繰り返し注意した。
ぼくは比較的後方に位置していて全体を見渡せたが後ろに座ってる数列の人たちの背後には唐紙障子があった。
暗転となって朗読が始まって少したつと背後からヒソヒソと話し声が聞こえてきた。それはスタッフの人たちの話し声だった。まさか襖越しに自分たちの声が聞こえてるとは思っていなかったのだろう。
それからの1時間ほど、暑いわ、お尻は痛いわ、時々漏れ聞こえる話し声のために朗読に集中できないわで散々だった。帰りにアンケート用紙にこれらのことを書いて出した。
演じる側ができる限り観客を増やしたいと思うのは、収益をあげるためにはわかるのだが、観客に我慢と緊張を強いるほど詰め込んで良しとする考え、ぼくはそう言うのが嫌いだ。自分が客の立場になって考えられないのだろうかと思うし、そうした視点の欠如したものが場や形態は違ってもぼくらの周りに少なくないように思う。なんでも結果オーライ、ノリ重視のものが好きではない。
観客に私語を慎むように言うなら、スタッフの方はそれ以上に自ら注意して当たり前だし、たとえそれが連絡事項であっても話し声が上演中に漏れてるなど、杜撰すぎると思った。
そんなことがあってから、ぼくは狭い箱でのライブや公演に全くと言っていいほど足を運ばなくなった。映画館も空調の効きが悪かったり、座席も狭くてきついところは余程のことがない限りいかなくなったし、仮に一人で入ったとしても私語禁止のカフェも御免だ。
立ち見なんてぼくには無縁の世界となったし、そんな無縁世界がぼくの中に随分と広がってしまった。
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