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プライベートなことだけれど、久しぶりに実家の現状を綴ることにした。
2019年5月初め。
まだコロナ禍が本格化する直前88歳の父が急逝した。
それからもうすぐ丸6年になる。
それ以後、ぼくが父に代わって母の世話をすることになった。
徐々に着実にぼくは母の衰えを目撃していった。
それは肉体的なことだけでなく、思考、言動、行動においても同様だった。
子どもがえりしたようなときもあれば、嘘と言い訳に明け暮れるときもあった。
壊れたロボットのような動作を繰り返したかと思えば、ただ無表情でテレビ画面に向かっていることもあった。
できていたことが一つ一つできなくなって行った。
ぼくが母に向かう気持ちはこれも徐々に怒りっぽいものに変わっていった。
今思えば、それは自己嫌悪の連続であり、心が疲弊し荒んでいくものだった。
ぼくの性格に問題があるのかもしれないけれど、この気持ちは経験したものでないとわからない類のものかもしれないとも思う。
デイ・サービス。
ショートステイ。
訪問ヘルパー。
弁当サービス。
こうしたサービスを最大限利用した。
そして昨年の5月に介護判定を行い、7月に要介護3の認定通知が郵送されてきたのだった。短期記憶ができなくなり、認知能力の限界がそこまでやってきた感じだった。
その3ヶ月後、入所を前提としたロングショートを利用するようになり、それからちょうど半年後の今月末に母は正式に介護施設に入所することになった。
このロングショートの利用でぼくの精神的ストレスはかなり軽減し、母に対する気持ちも介護以前に戻った気がした。それは何にもまして、ありがたいことだった。
この半年で母の認知能力もさらに衰えを増してきた。
また椅子やベッドから立ち上がる脚の筋力も衰え、自力で立ち上がることもままならなくなってきた。
来月93歳になるという年齢的なことを考えれば当たり前のことかもしれないが、このように少しずつ「老衰」していくものかと、母のことが可哀想になった。
ただ、相変わらずおしゃべりで、顔の表情も穏やかなのはぼくにとってとても救いだ。
年老いた母が穏やかな日々を少しでも長く送ってくれたらと思っている。
そんな現状だ。
もしかするとこの記事は非公開にしたり削除するかもしれない。
その時は悪しからず。
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