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『中立』って聞き心地の良いことばなんだろう。
『偏ったとらえ方』を自分はしていないと自己評価してる人は多いんだろうと思う。
でもぼくは『中立』なんて幻想にすぎないか、あるいは自分の日和見的な姿勢の言い訳にすぎないと思っている。どういう考え方に自分は立脚しているのか、それを自覚せずして中立だとか極論だとか言うのはナンセンスだと思っている。
ニュースを見るのが本当に嫌だ。
特にNHKとか、まさに『中立』を装っていて気持ち悪いし、人間の汚いあざとさをぼくは感じる。
他国のことであれば、正論をもっともらしく言うのに、自国のこととなると全くの腰砕けだからだ。自分がジャーナリスト、もしくはマスコミに従事しているものとしての矜持も糞もない。あるのは自己保身だけだ。
ロシア国営放送での女性スタッフのあの戦争反対アピールを彼や彼女らはどうとらえたのだろうか?
正義漢ぶってあんなことしなければ職も失うこともなかったのに、一時の感情で馬鹿なことをしでかしたもんだ・・・くらいだろうか。
今、自国で報道を生業としている自分は、損得抜きで自分が正しいと思っていることをしてるのだろうか・・・と自分に対して問う人はいないのだろうか。
命をとしている職業でもなければ、タレントのように見栄えや好感度が重視され、なんでも操れる従順さが求められるだけだ。しかもそんな職に就けるのは極少数であり、エリート意識と高収入で首根っこをがっちりと押さえつけられている。だから書かれた原稿をそのまま読み、書いたのは自分じゃないんだからと自己合理化する。
優等生なんて碌なもんじゃない。
優等生なんて本当につまらない。
昔教員をしてた時のことを思い出す。
生徒の前で「自分の意見をはっきり言いなさい」と言う教員にかぎって職員会議等で意見を言わなかったりするものだ。
理由はシンプル。
どちらの側にしても目をつけられたくないからだ。
イジメの現場で見て見ぬふりをするのと同根だとぼくはそんな同僚を見て思ってた。
というわけで、最近はテレビをますます見ないで、〇〇〇〇プライムで映画三昧。
「バイオハザード」シリーズは一気に6作目のファイナルまで見た。
ゲームのタイトルとして知ってたけれど、映画としては見たことがなかったし興味もなかった。
ストーリーや特撮自体よりも、主演のミラ・ヨヴォヴィッチが2002年26歳から2016年40歳までの14年間、体型や美貌を維持するためにどんな努力をしてきたかの方が気になって仕方なかった。途中から目の化粧が変わり印象も変化したように思った。仕方ないことだよね。それにしても、ほぼキープしてたのは並々ならぬ努力の成果なんだろうな。すごいなぁ。
またウクライナのキーフ出身でウクライナ語発音に忠実な日本語表記はジョヴォヴィッチでなくヨヴォヴィッチというらしい。
あと日本映画では片山愼三監督という人を知った。
「岬の兄妹」はいろんな意味で強烈な映画だった。それでもなぜか見終わった後、嫌な気持ちにならないのはダルデンヌ兄弟監督の作品に共通するようなかすかな希望みたいなものを感じるからだろうか。
「そこにいた男」、「さがす」も物語に引き込む力強さを感じた映画だった。
機会があれば是非ね。
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