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「アウェイ感」をものともしない人が羨ましい。逆にこのアウェイ感を楽しんでいたりするからなおさらだ。自分という芯がしっかりしてるからだろうと想像する。
ぼくは昔ちょっとだけ記憶力が良かったらしく、それだけで学校時代を乗り切ってきたようなもの。つまり頭はそんなに良くない。だから理論武装なんてのもできない。
さらに宗教とかも信じられない。死んだらそれまで。あの世とか生まれ変わりとかも無いと思ってる。
死ぬのは仕方ないし、怖い・・・とも思ってない・・・はずである。
怖いのは痛み。強烈な痛みを我慢してまで生きてたいとは思わない。
痛みは恐怖だ。
そんなぼくだけど、1つだけこれは(良いことかも)と言えるのは、「自分は自分」と思えること。人と比べても仕方ないからね。それと他の人にどう思われようとあまり気にしないこと。それくらいだな。
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ぼくは年齢からいっても戦争に駆り出されることはない。憲法が変えられ、徴兵制が導入されてもね。でも戦争適齢期の人たちはわかってるのかな?と心配になる。日本は誰がどんな政治を行っても今のままみたいな、まぁ何となく暇つぶしができる程度のモノがあり腹が減ったら食事にありつける状況、そんな平和ボケボケの状況が今後もずっとできるんだろうとたかをくくってないのかなと。
どの党になっても政治なんて変わらない・・・とずっと思い込まされてるんだろうけど、そんなことは嘘だ。政治が変われば暮らし向きも自ずと変わる。でなければ世界に政治家がいる必要なんてないからね。
バカは死ななきゃなおらない・・・というのも違う。バカは死んでもなおらない。
自分の大切な人が異国の戦争に駆り出され瓦礫の下や泥水の中で無駄死にしてもいいのかな。もちろん兵士となった自分自身も含めてね。
本当にやばい状況が近づいてるんじゃないかな。
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ケチな人を好きな人はいないはず。ぼくもケチな人はノーサンキュー。例えば自分が高価な商品を作って売ってる人が自分がお金を払う立場になると、そんな高い飲み物は飲めないとかそんな高い商品は買えないとか言う。こう言う人とは付き合わないことにしてる。
逆にアルバイトしながら作家活動を頑張ってる人がぼくのお店の安くないコーヒーや珈琲豆を購入しに来てくれたりする。そう言う人を応援したいと思うのは当然のこと。
ぼくが親しくさせてもらってる個人事業主の若い友人は、ぼくの知り合いのお店に一緒に誘って行ったりすると、必ずと言っていいほど何かちょっとした小物を購入したりする。決して裕福とは言えないのにである。彼はいいお金の使い方をするなぁと思うし、見習わせてもらってる。
良いお金の使い方をする人って素敵だね。もっともっと評価していいはず。
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何にでも「向き、不向き」ってある。
向いてるものに出会えればラッキーだけど、人生うまくいかないことがデフォルトだとぼくは思ってるので、不向きでもやってみることは有りだなとも思ってる。
やってみないとわからなことがあるし、やってみて初めて気づくこともある。自分にとって何らかのプラスになることもあったりする。
ぼくは教員になってみて、不向きだなと思ったけれど30年我慢して続けた。
そして自家焙煎珈琲店の店主を10年やってみて、商売にも向いてないなと自覚した。
それでも、どちらもぼくの人生にとって得るものは少なからずあったのも本当だ。
だから向いてないと思ってもやって見る価値はあるかもしれないね。
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ぼくは所属意識が希薄だ。
だから「同じ高校の出身です」とか「同じ大学の出身です」とか言われても「そうなんだ」としか言いようがない。
逆にそんなことで、他の人より便宜をはかったりとか、重用することはおかしいと思う。学閥というやつだよね。悪しき習わし。
繰り返し言うけれど、やはり人は個人としてどうかだと思う。個としての性格とか考えとか行動とかだよね。それが自分と合うかどうかだ。
同窓会とかにぼくが行かないのは所属意識が希薄なこともあるけれど、同窓生というだけですべて好きな人ばかりでなく、そうじゃない人もいるからね。一括りにすること、されることから距離を置いてる・・・と一応言っとくね。
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馬ヶ城浄水場の水がぎりぎりぼくのお店まで来てると先日お客さんから教えてもらった。彼が見せてくれた浄水場の守備範囲の地図を見ると、VOUSHOはぎりぎり馬ヶ城の水ということになる。(公開日の時の試飲で) 他の水と飲み比べてもまろやかで美味しい水だったから正直嬉しい。でも浄水用の水槽池だけでなくダムも事務所もすべて耐震基準を満たしてないらしく、それを修繕するには巨額の予算がかかるので当局としては閉鎖したいらしい。それに加え、近くに産廃施設の建設予定もあるらしい。
いずれ瀬戸市で一番古くて歴史的価値もあると思われる馬ヶ城浄水場もなくなってしまうのかも。
残念という言葉を使いたくないけど。。。
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