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2025年参院選の結果を見て民意のなだれ込みっておそろしいなぁと思った。既存メディアのていたらくが言われて久しいけれど、やはりSNSの煽り効果というか、集団意識の流れを巧みに操作してるみたいで、スマホ時代特有なんだろうなぁと。そうした民意の核みたいなものが一旦出来上がると、そこに他の民意も吸い寄せられ今回のような結果になるのだろうかと。集団意識の流れを巧みに操作というのは、米・トランプのように容易な言葉と過激な言動で理屈ではなく感情に訴えるという手法かと思う。それを模倣したミニ・トランプがあっと言う間に世界中に増殖したようなものだ。
ぼくは以前から同調圧力的なものとか、ムラ意識みたいなものが苦手だったし、それがさらにひどくなると戦前の大政翼賛的なものに転化して行きそうでおそろしい。
強力なカリスマを持った指導者が現れて民衆をつき動かすのでなく、民意の塊が巨大化しその塊のもつ熱狂が権力者と共振した時におそろしいことが起こりそうな気がする。民主主義とは意識的に守っていかないといけない脆弱なものだと改めて思った。
スマホ時代の選挙活動はショー化、エンタテイメント化し、注目を集めたものが勝ちという図式に堕してしまった。そろそろなにがしかの規制を設けてもいいのではないだろうか。
差別と分断はどこの国でも根が深い問題だ。
ぼくは大学卒業後の北米一人旅を通し、自分が黄色人種であり、アジア人であることを強く認識することになった。北米ではマイノリティーとしての自分を経験した。
そこから、国籍や性別や年齢等は関係ないことを学んだ。どこの国にも素敵な人はいるし、逆にどこの国にもそうじゃない人もいる。結局個人としてどうかと言うことに尽きる。
友人がたまたま○○人と言うだけのこと。
そう言う意味において、ぼくはその人を個として捉えるから差別と分断は起こりえない。風習や文化の違いがあってもそれは国内の方言の違い程度のもので、お互いの風習や文化を尊重しあっていれば問題にならない。どちらが上だ下だという狭量な民族意識と無縁の世界に暮らしたいものだ。
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