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新潮社の『波』2025年6月号の新連載のタイトルが『 九十歳、それがどうした』。
作者は下重暁子(シモジュウアキコ)89歳。作家、評論家であり元NHKアナウンサーで名古屋放送局にも居たらしい。
アナウンサー時代の顔はぼくも見覚えがある気もする。
とにかく、連載タイトルがまるで佐野洋子のようにぼくには思えた。
腹の据わった女性の考えは示唆にとんで面白いし、ためになる。
本当に歳で束ねられることってよくあると思う。
でもそれは他者にだけでなく、自分にも向けられる言葉でもあると思う。
歳でもって自分をたばねてる人の方が多いのではと見てとるのはぼくだけじゃないと思いたいのだけど。
以下抜粋。
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・・・新川和江さん。1929年生まれの詩人で、私がまだNHKにいた頃、仕事でお目にかかったことがある。
「新川和江です。お元気? この間、私の詩を本でとりあげてくださってありがとう。なつかしかった! 今は施設に入っているけど、足が不自由なだけで元気よ」
・・・「私ね、もうすぐ95歳になるのよ。だからといって歳で私を束ねないで!」
そう、新川さんの詩で私が愛してやまないのが「わたしを束ねないで」。
その一部を引用しよう。
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
何ものにも縛られずくくられず、自由にはばたく詩人の声は力強く、95歳という年齢などに束ねられない。
それから間もなく、2024年8月に訃報を聞くことになった。・・・
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もちろん年齢だけでなく、ぼくらは性別とか国とか民族とか障がいとか、とかく様々なものでくくられ束ねられるわけで、それに真っ向からNO!と言ってくれる先輩がいるって心強いし大切な気づきを与えられることが多い。
常識のみにとらわれず柔軟な思考のできる人は素敵だなぁとぼくは思うのです。
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