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ぼくは正直言って、儀式的なことが得意じゃない。
だから、しきたりとか冠婚葬祭が苦手なダメ大人だ。
でも、まぁ仕方ない。
そんな大人がいたっていいと思う。
実は今日はぼくの父の三回忌の日だった。
あれからもう3年ともいえるし、まだ3年か・・・ともいえる。
ぼくにとっては生まれてから一番ハードな日々だった。
父が亡くなってから四十九日まででぼくは心身ともに疲弊した。
あんなに疲れたことは一度もなかったと言い切れる。
あの日々を思い出すだけで内臓が動き出すようなストレスを感じる。
何がそんなにストレスだったかと言えば・・・と言い出したら、それこそいろんな方面に差し障りが出るから言うのはやめておく。
ほんとにほんとに、やれやれだった。
実際その後、ぼくは初めて帯状疱疹を発症した。そして父が亡くなって8か月後に一度目の急性虫垂炎で入院したのだった(結局3度目の再発で腹腔鏡下手術で切除した)。
そんなぼくだけど、つまり、決まり事をそういうものとして執り行うことが苦手のぼくだけど、営業終了後、叔父のお通夜に行ったのだった。
ぼくは中途半端に真面目なところがある。それがぼくの情けないところだと思うのだけど、元来気が小さくて、すべてをはねのけるだけの胆力というか破天荒さを持ち合わせていないのだ。
ところがだった!
このお通夜的なのがとてもよかったのだった。
ぼくは感動すらしたのだった!
ぼくが嫌いなのはお金をこれでもかと言わんばかりにかけた、見栄っ張りな葬儀だ。
叔父のお通夜は、いわゆる「お通夜」ではなかった。時間を決めてお坊さんがお経をあげるものではなかったからだ。
おそらく故人とかかわりある人が三々五々来て手を合わせる・・・みたいなものだったのだ。
ぼくが葬儀場に到着したのは午後7時を少し過ぎたころだった。
葬儀会場には誰も居なくて、親族の控室に、叔母と息子、孫、友人たちがいらした。
ぼくはその中に入って、棺ぎの中の叔父さんに手を合わせ、あとは叔母とお茶とお寿司をつまみながら話をした。
その話の中で、明日の葬儀もお坊さんは来ないし、戒名もないし、お墓も作らないことを知った。叔母の息子の意向を叔母はそれでいいと本心から思っていることがよくわかった。
形式にこだわらない潔さにきっとぼくは感動したのだと思う。
ぼくは1時間以上叔母たちとおしゃべりした。
こういった席でぼくにはありえないことだった。
故人の偲び方は人それぞれだ。
当事者がどうするかを外野はとやかく言う必要はないし言ってはいけないと改めて思った。
控室に集っていた人たちが、故人ととても親しく、楽しそうに偲んでいるのが伝わってきた。
葬儀場の広さでも、参列者の多さでもなく、お坊さんの数や生花の多さでもなく、香典返しの品の値段でもなく、故人をしのぶ気持ちがその葬儀の質を決めるのだ。
父の三回忌の日に、父の弟のお通夜の在り方に感動するという偶然!
叔父は苦しむことなく息をひきとったこともよかった。
叔母がいつものように気さくに明るくふるまってくれていたこともありがたかった。
こんな葬儀ならぼくだって、積極的に行くのにな。
でもこれは例外的なんだよね。
例外かもしれないけれど、ぼくの中で一つの大きな基準となったのは確かだった。
叔父さん、叔母さん、喪主さん、良い機会をありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌。
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